「車はもう運転しない」決意の裏の後ろめたさ

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 私は車を持っていない。つまりほとんど運転していない。使われぬまま無事故無違反の普通自動車運転免許証は、燦然と輝くゴールドである。優良運転者と呼ばれるのはおこがましいため、「ゴールデン・ペーパー・ドライバー」を名乗っている。そして先日、とうとう腹を括る機会が訪れた。ニューヨーク州が発行する顔写真付きの身分証明書を作成したのだ。発行元は、DMV(州政府陸運局)。運転免許を持たない人が免許証に相当する身分証明書をもらう、このIDカードは「ノン・ドライバーズ・ライセンス」と呼ばれている。

 日本で免許を取得したのが19歳。米国でノン・ドライバーの称号を得たのが37歳。マヌケな顔写真が刷り込まれた白っぽいプラスチックカードを手に、「とうとう私は、車の運転を、やめた!」と嬉しくなった。じつに18年も「運転する」と「運転しない」の間でずるずる悪あがきを続けていた、もうおしまいにしよう。向いていないことは「しない」に限るのだ。しかし私は今でもまだ、解放感と罪悪感との間を、行ったり来たりし続けている。

果たすべき義務から逃れた?

 地球上に生きて暮らして元気に働いている大人の多くは、車の運転を避けて通ることができない。まぁ、運転免許保有者の統計などを見てみると数字上は案外少なかったりもするのだが、それでも運転できる大人たちの多くは、自分のためだけでなく、他人のためにも、クルマに乗ることになる。好むと好まざるとに関わらず、運転ができない人々の分までドライバー役を務めている人が大半であろう。

 一方の私は、働き盛りのいい年した大人で、身体に問題もなく、試験にも合格して免許もあるのに、「苦手だから、やめちゃった!」と、果たすべき義務から逃れている。そんな気がしてならない。

 たとえば、地方在住の知人から「これだから都会の奴は!」とキレられた。彼女だって運転は大嫌いだという。しかし、通勤にも、子供や老親の送り迎えにも、ちょっとした買い物にも、家の敷地を出ると同時に車を運転しなければ何もできないから、仕方なくやっている。結婚前は電車移動中心の生活だった彼女に、「しないで済むなら私だってしたくないわ!」と噛みつかれて、ぐうの音も出ない。

 あるいは、出版社に勤めていた頃。とある作家の取材旅行に同伴したのだが、レンタカーを借りて江戸時代の街道をゆくというその行程、私はずっと助手席か後部座席に座っていた。忙しい締切の合間、慌ただしい旅程の中で、新作小説の構想を練りながらハンドルを握っていたのは、大先生である。あちこちで「おまえ、何のための雑用係だよ!」と叱られて、「だって私が運転したら、高確率で先生のお命を危険に晒すんですもの!」と反論しつつも、肩身が狭かった。入社試験の履歴書には「資格:普通免許」と書いたくせに。とんだ給料泥棒、出張手当泥棒ではないか。

 運転が好きな人たちは、そんなの気に病むことないよ、と言ってくれる。でも、私の代わりに苦もなく引き受けてくれる人がいるからこそ、「できない」自分を、半人前のように感じてしまう。

親の期待に応え免許を取ったものの…

 そんなに苦手なら最初から車の免許なんか取るな、と思うかもしれないが、私にはその選択肢もなかった。実家の両親は、二人揃って遠出の家族旅行とお酒が大好き。幼い頃からクルマでしか辿り着けない場所へあちこち連れて行ってもらい、こう言い聞かされていたのだ。「大きくなったら免許を取って、代わりに運転してちょうだいね。そしたら夫婦で存分にお酒を飲めるのが、楽しみだわ」

 大学受験の合格発表とほぼ同時に、近所の自動車教習所へ入学手続きに連れて行かれた。進学費用は私がローンを組んだのに、教習所の代金はすべて親が支払った。思えばこの「義務」的な感情の正体は、私が初めて教習車のハンドルを握る、ずっと以前から始まっていたのだ。

 お父さん、お母さん、いつもいつも子供の私をクルマに乗せてくれてありがとう、と思う。大人になったのに代わってあげられなくてごめんなさい、とも思う。だけど、私は本当に、本ッ当に、自動車の運転が苦手なのだ! やろうと思えばできなくもないフリをし続けてきたけれど、実際には、絶対に、二度と、したくないのだ! そう正直にカミングアウトするのに、18年もかかってしまった。

 「運転をやめた」と宣言するのは、ものすごく、後ろめたい。どうやったら、この後ろめたさを拭うことができるのだろうか。「ノン・ドライバー」となった今なお悶々と悩み続ける私に、コラムもう一回分、おつきあいいただきたい。(次回へつづく)

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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