なぜ嫌いな人にまで……「目上には敬語」の違和感

岡田育「40歳までにコレをやめる」

 子供の頃から、敬語を使うことに抵抗があった。「敬うべき目上の相手に対しては丁寧な言葉遣いを心がけなければいけない」ということは、頭では理解している。でも、納得できないことが多すぎる。

 たとえば、すべての目上の相手に対して敬意を抱けるわけではない。どうして嫌いな先生や意地悪な上級生、どこの誰かもわからない見ず知らずの大人に話しかけられたとき、ただ年下であるというだけの理由で、私が敬語で返さなければならないのだろう。尊敬できない大人なんて、たくさんいるのに。

 両親や祖父母、親戚とはタメ口で話すが、近所に住む人や友達の親、病院のお医者さんなどには敬語で挨拶あいさつをする。これは単に親密度の薄い相手だからで、実の両親より深く敬愛しているからではない。「敬語とは、一定の距離を保っておきたい相手に使うもの」と教わったほうが、まだわかる。敬遠ってやつだ。ほとんどの大人同士は、敬意が深いからではなく、仲が悪いから、敬語で話すんじゃないの?と疑わしい。

 仲良くなりたい人、今より距離を縮めたい人となら、握手してハグして呼び捨てにしたほうがぐっと親しくなれるはずなのに、「よし」と許されるまではなぜか、絶対に敬語を解いてはいけない、とされている。その「よし」がいつ訪れるのか、まったく空気が読み取れない。

初対面から「タメ口」の人が苦手

 私は昔から紳士的な男性が好みで、子供の自分にも丁寧な言葉で話しかけ、いっぱしの淑女扱いをしてくれるような大人の殿方に出会うと、それだけでポーッとれ込んでしまっていた。テレビドラマ『相棒』の杉下右京さんみたいなキャラだ。もう少し踏み込んで親しくなりたいと思うのだが、こうした人はデスマス調を崩さないので、子供のほうから「敬語をやめませんか」とは提案しづらい。

 一方で、初対面からずっとタメ口をきいてくる大人もいる。偉そうなオジサンや、自称サバサバ系の女。基本的に子供をバカにしており、パーソナルスペースを侵してハラスメントを働いてくる率も高い。そういう不埒ふらちやからにならばと、私も遠慮なくタメ口で応じていると、それだけで周囲から「あら、仲良しね」などと評されて、心外である。こういうときこそ、慇懃いんぎん無礼な敬語で追い払っておくべきだったのか。

 誰にでも敬語を崩さないような人が好きで、そうした人とならば親しく距離を詰めてタメ口で語らいたいとさえ思うが、いきなりタメ口で話しかけてくる人は大抵嫌いだから、そいつらは敬語で遠ざけておきたい……と、そんなことで、ぐるぐるぐるぐる思い悩んでしまっていた。

 「敬語表現があるのは、日本語だけ。外国では先生や上司のことも名前で呼び捨てにするし、誰とでも対等に、好きに意見を述べる自由があるんだ」と聞きかじり、自分が生まれ育った世界もそうだったらどんなにいいか、と思っていた。実際は英語をはじめとする諸外国語にだって敬語表現は存在し、るものは有効活用したほうが便利だと気づくのは大人になってからだが、それはまた別の話。

相手によって話し方を変える自由

 幼い私は、一緒に暮らす親きょうだいとの対話以外、この「好きに意見を述べる自由」をまるで肌身に感じられずにいたのだ。通学路で痴漢してくるサラリーマン、論理的一貫性に欠ける指導をふりかざす教育者たち、駅務員や飲食店の従業員に偉そうに命令するお客様、大声でがなりながらストレス解消のために頭をどついてくる酔っ払い。女であり子供である私が弱い立場から彼らにあらがうとき、「おい、やめろよ!」という言葉を奪われて、「すみません、やめてください……」としか言えないのはなんだか理不尽だ。そもそもどうして私が謝らなくちゃいけない?

 テレビ越しに観る王侯貴族たちが、誰に対しても同じトーンの、やんごとなき言葉遣いを保つ姿など、美しいなと感じる。礼儀正しい紳士の敬語に優美な言い回しで応じるおくゆかしき淑女でありたいと夢想することもある。でも悲しいかな、私が生きる世界はそんなに雅やかではない。相手によって話し方を変える、どう変えるかは、自分で決める。まず、その自由を獲得しないことには、そのうち発言する権利そのものまで奪われてしまうのではないか?

 中学生の頃、そんなことばかり考えていた。演劇部やバスケ部、卓球部など上下関係の厳しい部活に入り、上級生と廊下ですれ違うたび先方が通り過ぎるまで壁際に寄って最敬礼を続けているような級友たちには、こう驚かれた。

 「あんた、先輩にタメ口きいてんの!? 失礼でしょう、よく殺されないね!?」

 教師や修道女にはいくらでも偉そうなタメ口をきく生徒も、部活の上級生にだけは最上敬語を用いるのが当然とされていたのだ。でも、そんなことで殺される下級生なんて見たことがない。ここで敬語をやめてみよう、そう決意した。(次回につづく)

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岡田育
岡田 育(おかだ・いく)
文筆家

 岡田 育(おかだ・いく) 文筆家。出版社勤務を経てエッセイの執筆を始める。著作に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(角川文庫)。現在は米ニューヨーク在住。このまま生きると、2020年に40歳。http://okadaic.net/

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