NHKの「子どもの貧困」のニュースに登場した女子高生が、「本当は貧困ではないのでは?」という疑惑からバッシングされるという問題がありました。
「非の打ち所のない貧しい人」
彼女は「子どもの貧困」に関するイベントで、学費が工面できず進学をあきらめた当事者として発言し、それがニュースにとりあげられました。
カメラは彼女の家に入り、クーラーがないことや、パソコンは買えないのでキーボードだけ買ってもらっていることなどを紹介。実名で登場していたことからSNSのアカウントが特定され、「映画に何回も行っている」「スマホを持っている」ことなどが指摘されて、“炎上”状態となったようです。
それに対して作家・活動家の雨宮処凛さんは、「『非の打ち所のない貧しい人』ってどこにいるの?~高校生バッシング、もういい加減やめませんか」と提言しています。
人は人が期待通りの姿でないと失望してしまう。例えば、長年、難民支援や緊急国際支援に携わる人がこう言っていました。
「支援の対象というと、ガリガリにやせてお腹がポッコリ出ているようなアフリカの子どもを思い浮かべるでしょう。私が初めて紛争後のボスニア・ヘルツェゴビナの支援に入ったとき、最初は印象が違いました。ヨーロッパ系の白人で、石造りの家に住んでいる彼らは、困っているようには見えません。でも深く現地に入れば入るほど、支援を必要としている、悲劇から立ち直れない人たちだとわかりました」
欧州に流入しているシリアなどからの難民も、スマホを持っているそうです。スマホを買えない人からしたら、なぜスマホを持っている人たちが支援の対象なのか理解に苦しみます。しかしスマホは彼らの生命線でもあります。遠くにいる親族と連絡をとり、家族を守るためのツールなのです。
食うや食わず…そうじゃない「貧困」もある
そして「相対的貧困」の問題もあります。
厚生労働省の調査によると、「子どもの貧困率」(2012年)は過去最悪の16.3%。およそ6人に1人が貧困という結果になりました。詳しく言うと、これは全国民の所得を順に並べたとき、ちょうど真ん中に来る値の半分(貧困線)に満たない所得の世帯で暮らす18歳未満の子の割合です。12年は122万円未満が貧困かどうかのラインとなっています。
小町にこんなトピがありました。
「手取り―家賃が8万5000円未満は貧困」という定義を見かけたトピ主さん。ご自身の「家賃以外の生活費」は7万円とのこと(貯金をしているので定義にはあてはまらない)ですが、7万円でも「普通の生活」を送っているように感じるため、「この定義はどうなのか?」と尋ねています。
レスのひとつを紹介します。
「だって、貯金できず、生活費が本当に7万円しかなかったら、子供を大学に入れられませんよ。大きい病気をしたときに、貯金ができてなかったら、どうなるんです。(中略)結局は、貧困ってそういうことなんです。毎日の生活のレベルのことではないんです。パソコンを買い替えられるか、靴がボロくなったときに買い替えられるか、そういう話です」
日々の生活のレベルで食うや食わず……だけではないんですね。住むところ、食べるもの、基本的なことに事欠くのは「絶対的貧困」です。そういう方もいらっしゃる。そして、日々の生活は何とかなっても、それ以上の出費には事欠いてしまうのが「相対的貧困」。修学旅行とか、進学とか、制服を新しくするとか、そういったことができないわけです。これが今の「6人に1人」の子どもの状態なんですね。
親は自分の靴は買い替えずにボロのまま。でも、子どもは自分のバイト代で好きなライブのチケットを買う――こんなケースは、「困ってないんだから、我慢するべき」なのでしょうか?
貧困の“罪”はあきらめを招くこと
実は相対的貧困って、経済協力開発機構(OECD)が定めたものです。なぜ相対的貧困を世界が注目しているのか、それは湯浅誠さん(社会活動家・法政大学教授)がブログ(「NHK貧困報道“炎上” 改めて考える貧困と格差」)に書いています。
「『ある程度の許容範囲の格差』と『過度の格差』の境界を示すメルクマールが『相対的貧困』だ。
これを超える落ち込みを示す人たちが増えると、消費は停滞しますよ、活力はむしろそがれてしまいますよ、社会は不安定化しますよ、と」
格差がゼロの国はないんですね。でも「進学をあきらめる」「病気になったときにどうにもならない」……こんなあきらめを持った人が増えると、社会全体に元気がなくなる。特に若い人がこうなるとたいへんです。
そんな現状を伝えてくれた高校生へのバッシングは、当事者にとって大変つらいことだと心が痛みます。でも、少しでも日本の「貧困」について、知りたいと思う人が増えたらいいなと思っています。