北斎ブーム到来! 今知っておきたい天才の生涯 

葛飾北斎 「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」すみだ北斎美術館蔵

 葛飾北斎がブームです。美術展「北斎とジャポニスム」(10月21日~、国立西洋美術館)やテレビ・雑誌の特集が続き、来年から発行される日本のパスポートにも代表作「冨嶽三十六景ふがくさんじゅうろっけい」の図柄が使われるそう。ロンドンの大英博物館でも北斎展が開かれるなど、まさに旬の人。そんな北斎って、どんな人なのか。働く女性が知っておきたい情報をまとめました。

北斎のキャリアの積み方を知る

 「北斎」と聞くと、「あの、波がザッバーンとしている後ろに富士山が見える絵を描いた人?」と思う人が多いかも。これは、「冨嶽三十六景」シリーズの「神奈川沖浪裏かながわおきなみうら」という作品です。この浪裏の絵が含まれる富士山シリーズを描いたとき、北斎は数え70歳を過ぎていました。

 北斎は90歳で亡くなるまで、生涯で93回引っ越しし、名前を30回以上変えています。「北斎」は、作品の中で一番多く出てくる名前で、後世の人が彼の作品をまとめてこう呼ぶようになったとか。

 北斎が人生のほとんどの時間を過ごしたと言われているのが、東京・墨田区です。昨年秋に同区に開館した「すみだ北斎美術館」では、彼の生涯をコンパクトにまとめて知ることができます。学芸グループリーダ-・主任学芸員の奥田敦子さんに、彼の生涯と作品の見どころを聞いてみました。

すみだ北斎美術館は、タッチパネルなどで貴重な絵巻物の作品などを全部閲覧することができます                            (C)Forward Stroke

 奥田さんオススメの作品は、「北斎のデビュー作の『四代目岩井半四郎 かしく』」。北斎は19歳で役者絵を得意とする勝川派に入門。35歳で江戸琳派りんぱに移り、いきなり頭領になります。奥田さんによると、「この時代、所属する派を変えることも、新しく入った江戸琳派でいきなり頭領になるということもイレギュラーでした。なぜこういうキャリアを歩んだかの理由は、わかっていません」。北斎はまだ謎が多いようです。

葛飾北斎 「四代目岩井半四郎 かしく」すみだ北斎美術館蔵

 今でいう出版社のようなものであった版元はんもとの注文で作品を描いていた勝川派の頃とは違い、江戸琳派での北斎は、富裕層などから直接、依頼を受けて絵を描くというビジネススタイルを取っていました。そのため、「この時代は特殊な画材を使ったり、エンボス加工をしたり、ぜいを尽くした技法を存分に駆使していました」と奥田さん。ここでの経験は、北斎がいろいろな経験を積み、作品に深みを増していくきっかけとなったのかもしれません。

 その後、45歳で独立。どの流派にも属さず、読本よみほんの挿絵を描きました。読本というのは、英雄や仙人を主人公にするなど、とてもスペクタルな物語の本のこと。そのため、挿絵で物語を理解する人が多かったようです。「モノクロの限られた色とスペースで、作者のつむぐストーリーを魅力的に伝える力が必要でした」。あらすじの説明にとどまらず、北斎は「人物を自由に配置したり、また背景を真っ黒にして絵が浮き上がってくるように見せたり、薄墨うすずみで空気感を出したり工夫しました。挿絵から北斎の『我』を感じることができますよ」

 挿絵の経験で北斎はさらに画力を上げ、人体や動物を表現豊かに描いた「北斎漫画」や、有名な「冨嶽三十六景」のような作品を発表して、亡くなる直前まで絵を描き続けました。

娘・お栄と暮らした部屋を再現

 そんな自由気ままの北斎を支えたのが、三女と伝えられている「おえい」です。彼女自身も、あだ名は「アゴ」であったりとか、絵に没頭して離婚したりと、気になるエピソードが多い存在。

 すみだ北斎美術館は、そんな北斎親子が住んだ部屋が再現されていて、普段なかなか見ることのできない絵をタッチパネルの端末でも見られます。ゲームやパズルなどもあって、浮世絵のイメージが変わるかも。北斎の多彩な魅力を美術館で体験してみてください。

美術館内に再現された部屋。人形も時々動きます。本物の人間のよう……。(C)Forward Stroke