村雨辰剛〈後編〉 庭師と俳優を両立。猫派か犬派かと聞かれたら…

インタビュー前編では、スウェーデン生まれの村雨辰剛さんが日本の伝統的な職業に就くために日本に移住するまでのことを伺いました。

【村雨辰剛さんインタビュー前編:19歳で日本移住…朝ドラ出演は想像してなかった】はこちら

後編では、庭師を目指して奮闘した修行時代のこと、タレント活動やプライベートな時間の過ごし方にまで話が広がってーー。

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親方との運命的な出会い

日本の伝統的な職業として最初に興味を持ったのは宮大工でしたが、大工としての技術をベースに持っていないと、その先の専門的なことを学ぶことができないと知りました。まずは生活費を稼ぎながら考えようと、アルバイト雑誌を読んでいて目に入ったのが造園業の求人でした。「造園って何だろう?」と思って調べてみると、日本庭園を作ることだった。「探していたのはこれかもしれない」と問い合わせたら、幸運にも雇っていただけました。親方と兄弟子のお手伝いのような仕事でしたが、1年の間に「庭師になる」という気持ちはしっかりと固まりました。

アルバイト期間を終え、次は植木の産地で造園会社が多い愛知県西尾市に狙いを定めて本格的に庭師を目指せる就職先を探そうと、片っ端から電話をかけていったのですが、どこもダメで。またしても生活のためにハローワークへ足を運び、本当は庭師が希望だがとりあえず仕事を紹介してほしいと伝えました。すると1週間ほどで電話があり、「職員の知り合いが造園業を営んでいて紹介できる」と! そういうご縁で、加藤造園の親方・加藤剛さんに弟子入りすることになったんです。何かに熱くなっていると、その熱に引き込まれて応援してくれる人が現れる。これまでの人生を振り返ると、そんな不思議な現象が本当にあると感じます。

庭仕事に精を出す村雨辰剛さん
修業時代には、造園の技術だけでなく、日本庭園に欠かせない樹木の名前もたくさん覚えたという村雨さん(c)木村直軌/新潮社

親方の元での修業中、26歳の時に日本に帰化し、名前をビョーク・セバスチャンから村雨辰剛に改名しました。剛の字は親方からいただきました。約5年間の修業期間は僕にとって大切な時間でした。職人は先生ではありませんし、こちらも生徒ではない。こちらが積極的に親方の動きを見て、疑問があれば聞いて、自分の力で引き出さないと。どんな仕事にも言えることではないでしょうか。先日、大型二輪の免許を取得した時も、教官の動きを見て、どんどん質問して習得しようとしました。たとえお金を払う立場でも、すべてを教えてもらおうとは思いません。こういう姿勢は修業時代に育まれたと思います。

一緒に暮らしていてもドライ?

修業中、庭師の仕事に支障のない範囲で少しずつタレント活動も行うようになっていた僕は、新たな刺激を求めて関東へ拠点を移すことを決意しました。メディアを通じて発信する機会が増え、なかでも2018年に放送がスタートした「みんなで筋肉体操」への出演は、大きな転機となりましたね。

1年ほど前に開設したYouTubeチャンネルでは「村雨辰剛の和暮らし」と銘打ち、築60年以上の日本家屋での暮らしぶりを紹介しています。畳、床の間のある和室を掛け軸や生花で飾り、囲炉裏テーブルや和だんすを置いて、完全な和暮らしではないかもしれませんが自分なりのスタイルで四季を感じながら生活しています。古いものはインターネットやアプリのオークションですごく安く手に入るんですよ。大正から昭和初期頃までに作られたミルクガラスの電傘もお気に入りです。

庭師の村雨辰剛さん
和の美、和の心を愛する村雨さん。着物姿も様になっている。「この着物は親しくしている呉服屋さんが用意してくれました」(c)木村直軌/新潮社

一緒に暮らしているのは猫の芽吹。5年ほど前、母猫とはぐれて鳴いているのを近所の踏切で見つけ、連れて帰りました。めちゃんと呼んでいます。我が家は隙間が多くて虫がたくさん侵入してくるのですが、ストリート出身でワイルドなめちゃんの遊び相手にちょうどいいみたいです。性格はシャイで、僕以外の人には慣れるのに時間がかかります。自分のことを人間だと思っているのか、よその猫を見かけても「あれは何だ?」という顔をしています。僕が名前を呼ぶと犬みたいに寄ってきて、猫としては変わっていますね。めちゃんとは色んな意味で支え合っていると思います。ひとり暮らしの時、寂しいと思ったことはありませんでしたが、もし今、めちゃんがいなくなったらとても寂しい。

村雨辰剛さんの猫・芽吹
村雨さんのYouTubeチャンネルにもたびたび登場している「めちゃん」こと、三毛猫の芽吹(写真提供・村雨辰剛さん)

犬派か猫派かってよく言いますよね。僕はスウェーデンの牧場みたいなところで育ったので、動物がたくさんいることが当たり前でした。いろいろな動物と過ごしてきたため、特に何派ということはないんです。ペットとは親子のような絆で結ばれているという飼い主さんも多いですし、ペット関係の取材を受けると「デレデレなんでしょう?」なんて言われるけれど、僕は割とドライなんです(笑)。

リアリストでロマンチスト

日本で暮らしていくなかで、気づいたことがあります。スウェーデンで過ごした子ども時代、母はフルタイムで介護の仕事を続けながら、毎日家族のご飯を作り、日常的なことから気持ちの面まで僕を支えてくれていた。道を閉ざすことなく、遮ることもなく、「自分の行きたい場所へ、行ってみればいいじゃない」と背中を押してくれました。父も、軍人だけにしつけは厳しかったですが、若いうちから自分の将来を考えることが大切だと教えてくれました。両親が僕の自由を尊重してくれたことに、とても感謝しています。

現在は、個人事業主として庭師の仕事を行なっていますが、庭師を軸にしつつタレント活動も続けるのは、あらゆる経験が庭師の仕事に生かせるからです。数年前、淡路島でのトークショーに出演したことがきっかけとなり、淡路の庭づくりを任せていただくことになりました。コンセプトづくりには、その土地の伝承、地域性などヒントになるものがたくさんあります。淡路の歴史をひも解いていくと、日本最古の歴史書「古事記」と「日本書紀」にたどり着きました。淡路島は、イザナギノミコトとイザナミノミコトによる日本の国づくりが始まった地と書かれています。2人の神に見立てた双幹の黒松を植え、淡路瓦を使って瀬戸内海のうず潮を表現しました。 

家紋入りのはんてんを着た村雨辰剛さん
はんてんにあしらった家紋は村雨さん自らデザイン。山をかたどったスウェーデンの実家の紋章と、日本の伝統的な三ツ追松葉を合わせた(c)木村直軌/新潮社

壮大なテーマを掲げて、実現したい理想像がある一方で、時間や予算には制限があります。段取りや準備も大切です。現実とのバランスを取らなくてはならない場面も多いので、そこは折り合いをつけるようにしています。ただ、大人になるにつれ現実的になるのは仕方ないとはいえ、あまり現実的なことばかり考えていてもつまらないですよね。やっぱり原動力は、「こうなったらいいな」という自分の夢です。ファンタジーを思いっきり膨らませることで行動力も生まれます。

実は、庭師という肩書きにはあまりこだわっていなくて。ただ、初めて魅了された時からますます好きになっていく日本庭園には、ずっと関わっていたい。「日本庭園といつまでも」、それが僕の軸です。自分のロマンチストな部分を大切にして、日本で暮らす日本人としての夢を実現していきたいです。

(聞き手・読売新聞メディア局 深井恵)

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村雨辰剛 (むらさめ たつまさ)
庭師・俳優

1988年スウェーデン生まれ。日本の歴史や美意識に魅了され、独学で日本語を学び始める。学生時代に日本でのホームステイを経験後、19歳で来日し、語学講師として働く。23歳の時、日本の伝統文化と関わる仕事をするために造園業に飛び込み、修業期間を経て庭師となる。26歳の時に帰化し日本国籍を取得、村雨辰剛に改名した。タレント・モデル・俳優としても活躍しており、「みんなで筋肉体操」「カムカムエヴリバディ」などに出演。著書に「僕は庭師になった」「村雨辰剛と申します。」がある。

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