窓口の小森さんに助けられたこと

この2年間ずっと、忘れられなかった人がいる。

2020年の春、最初の緊急事態宣言が出されたばかりのころ、私は無数の手続きのさなかにいた。その日は朝から区役所に行き、3時間近くかけてマイナンバーカードと健康保険証の再発行を済ませた直後だった。

本当なら今日じゅうに終わらせたい手続きがあと二つあるのに、と焦りながらATMの列に並ぶ。自分の番がきて、久しぶりに使うゆうちょ銀行のキャッシュカードを機械に差し込んだ瞬間、やばい、と思った。暗証番号がまったく思い出せない。普段よく使っているもの、別の銀行のもの、いちかばちかで自分の誕生日、を順番に入れると、エラーが出た。「窓口へお越しください」と音声に告げられ、うう、と暗い気持ちを抱えて郵便局に入る。

ATMの暗証番号が分からない
写真はイメージです

転入・転出のもっとも多い季節だから、どこに行っても混んでいるのは当然だった。郵便局の硬いソファの背にもたれ、受付番号の書かれた紙を握りしめながら、私はほとんど放心状態でいた。少し前に、年でもっとも憂鬱ゆううつな確定申告の作業を終わらせたばかりだと思っていたのに、それ以上にも感じられる量の事務手続きをもう何日も連続でしている。

引っ越し・離婚・コロナ禍・フリーランスという条件が重なれば当然なのかもしれないけれど、役所になにかを申請したり、書類に判を押したりすることがもともとすごく苦手な自分にとって、「またどこかでまちがえて提出し直しになるんだろうな」という予感をうっすらと抱えながら難しい手続きをいくつもこなさなくてはいけないことは、苦痛でしかたなかった。

3回まちがえるとロックがかかってしまう暗証番号のように、「ここ違いますね、書き直してください」という言葉をあと度でも聞いたら泣いてしまうような気がしていた。

窓口にいた、その人

呼び出しの画面はずっと、私のひとつ前の番号で止まっていた。窓口に目をやると、70代くらいに見える女性が、しきりに荷物の郵送方法を確認していた。いちばん早く、確実に届く方法が知りたいようだった。「このマスク手作りなの、孫に送るの」と何度も繰り返すその客に、窓口の女性が「うん、そうですよね、うん」と相づちを打ち続けている。胸元に名札が見えた。仮名で小森さん、とする。

小森さんは目尻にぎゅっとしわを寄せて、マスク越しでもわかるほど穏やかにほほえんでいた。それが決してわざとらしい笑いでなく、本当に「うん、そうですよね、うん」と思っている表情に見えたから、すごい人だな、と思った。

大学時代、インフォメーションセンターで働いていたことがある。人見知りを直したいと思って始めたアルバイトだったのに、施設とまったく関係のない観光情報を尋ねられることの多さや、突然怒り出す客の理不尽さ、正確な情報を短時間で伝えることの難しさがいやになり、年ほどで辞めてしまった。

接客業は、当たり前だけれど相手を選べない。自分が短期間でもそのおそろしさを体感したからこそ、ひるまずに接客をする人に対する尊敬の念は強かった。

ようやく自分の番がきた。私は窓口に立ち、「暗証番号にロックがかかってしまい、身分証はあるものの、引っ越しと離婚をした関係で、口座の名義とは住所と名前が違う」というようなことを身ぶり手ぶりを含めて説明した。言いながら、説明が支離滅裂だと自分でもわかった。ライターなんて仕事をしているくせに情けないけれど、私は口頭でなにかを説明することが本当に不得手だ。住所が、とか名前が、とか小声で言いながら焦りつづける私に、小森さんはただ「うん、だいじょうぶです、確認しますね」と言った。

しばらくして窓口に戻ってきた小森さんは、何枚かの書類を私に見せながら、てきぱきと必要なことを指示してくれた。私がペンを持つと、小森さんは私の書類の手元と目を交互に見ながら、「OK、あってます、あとちょっとです」と言った。それを聞きながら書類を埋めていたら、こらえていた何かが一気にあふれ出してくるような感覚がして、私はうう、と言いながら泣いた。「すみません、名前と住所ぜんぶ変わっちゃって、なにもわからなくなっちゃって」と言うと、小森さんは「わかんないですよね。名前とか」と目尻にしわを寄せた。

窓口で泣き出すなんてぜったいに迷惑だ、いい大人がなにをやってるんだ、と自分をたしなめながら思い出していたのは、働いていたインフォメーションセンターのことだった。いちど、私の窓口に、「けがをしてしまったので絆創膏ばんそうこうを巻いてもらえますか」と年配の女性がやってきたことがある。大変、だいじょうぶですか、と救急箱の入った引き出しから絆創膏を出すと、その人はふっくらとしたきれいな指を差し出して、「お願いします」と言った。

私の目には、どの指も特にけがをしているように見えなかった。え、と心臓がものすごく速く脈打ったのを覚えている。そのとき、私はその女性のことをどう思ったのか、こわい、と感じたのかは、よく思い出せなかった。

どう書いていいのかわからない、けれど

私は郵便局の窓口で、小森さんに助けられた、と思った。なにに「助けられた」のかはよくわからないし、ただでさえ忙しい窓口業務をしている人に、必要以上のケアを求めるような振る舞いをしてしまったことを強く恥じてもいた。ふだん私は、店員同士が常におしゃべりをしながら働いていたり、客に過剰なサービスをせず無愛想を貫き通したりしている店に行くとうれしくなって、「接客、このくらいの温度でいいんだよな、ありがとう」と思うほうだ。

そういう自分が、あきらかに“業務”の範ちゅうに含まれない気遣いに心を支えてもらったことを、どう捉えていいのかわからなかった。ただ、ありがたい思い出としてその日のことを日記につけていたから、小森さんのことはよく覚えていた。

数日前、ふたたび引っ越しにともなう手続きで区役所の“スタンプラリー”をこなし、そのすぐ隣にあった真新しい郵便局に入った。転送届の申し込みをしていると、窓口の女性が「以前のご名字で荷物が届く可能性はありますか?」と聞いてきた。名前が旧姓に戻ってもうわりとたっているからたぶんないだろう、と思いつつ、もしかしたら……と答えると、「念のため書いときます? 届かないよりいいし」と相手が言う。

区役所の窓口
写真はイメージです

私が名字を何度か書きまちがえていると、「名前わかんないですよね」と笑う声がした。そのかろやかな言い方に、もう顔をあげて名札を確認するまでもなく、小森さんだと思った。

帰り際、ぜったいに泣かないように細心の注意を払いながら、「2年前、ほかの局にいらっしゃいませんでした?」と聞いた。「えっ、いました」という返事を聞いて、「そのとき手続きの連続で心が折れかけてたんですけど、小森さんに書類の記入を教えてもらってすごくありがたかったんです」と手短に言った。またちょっと支離滅裂かもしれない、気持ち悪いかもしれない、と言ったことをすぐさま後悔しかけていると、「ええ~!」と小森さんは大笑いして、「うれしい、またお願いします!」と跳びはねるみたいな声で言った。

この2年間ずっと、小森さんのことをだれかに言いたかった。

けれど、こんなことを美談のようにエッセーに書いていいのかには迷いがあって、とにかくいつかまた会えたらお礼を伝えよう、と思っていた。だれかにまたあんな対応をしてほしいとはまったく思わない。けれど、あのときの小森さんとの数分間の会話には助けられた、ということを書き残しておきたくなった。生きているとときどき、そういう記憶が残ることがある。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター・エッセイスト

1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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