若者の半数以上が親と同居、アメリカの今

世界で家族の姿が多様化している。各国や地域の固有の事情のほか、不況や高齢化、新型コロナウイルス禍など共通の課題も影響している。読売新聞の特派員がアメリカの家族の今を追った。(フォスターシティ 渡辺晋、ブリュースター 寺口亮一)

経済的メリットを選択、母親と同居

朝夕に母と交わす何げない会話が心地よい。「今週は何か予定ある?」「きょうは忙しかった?」。週の半分は母と夕食を共にし、週に1度は食後に一緒にテレビを見て過ごす。

カリフォルニア州のサンフランシスコ湾に面するフォスターシティ。ゲーム開発会社に勤めるクレメント・セロさん(26)は、「ベイエリア」と呼ばれる高級住宅地の実家で母アントワネットさん(63)と2人で暮らしている。

自宅のソファでくつろぐクレメントさんと母親のアントワネットさん
自宅のソファでくつろぐクレメントさんと母親のアントワネットさん(2021年12月13日、フォスターシティで)=渡辺晋撮影

パイロットの兄(30)は高校卒業後、18歳で家を出たが、自身は親元を離れたことがない。新型コロナウイルスの感染拡大で一昨年から在宅勤務となった。オフィス代わりの自室で、1日の大半をパソコンに向かって過ごす。

実家暮らしは経済的メリットが大きい。年収は8万ドル(約920万円)以上。十分な収入のように見えるが、ベイエリアは家賃や物価の高騰が著しい。「1ベッドルーム」(日本の1LDK)の平均は、サンフランシスコで月3330ドル(約38万円)。フォスターシティでも月3075ドルに達する。

「親と同居していると『ママっ子』と思われ、ネガティブな見方をされることは確かだ」。そう自覚しつつ、「母がそばにいるのはありがたい。食事の心配もなく、自分のことに集中できる。将来に向けた節約にもなる」と話す。

同僚からは「君はラッキーだ」とうらやまれ、アントワネットさんも「今の状態にとても満足している」と顔をほころばせる。

フォスターシティの位置を示した地図

親と同居する若者半数に

高校を卒業したら子供は家を出て、親はその喪失感と向き合う――。個人主義が根付く米国で、そんな伝統が変わりつつある。

米民間調査機関ピュー・リサーチ・センター(PRC)によると、米国で親と同居する18~29歳の若者の割合は、2020年7月に52%と過去最高に達した。

背景には、物価が上昇する一方で中間層の所得が伸び悩むなど、若者を取り巻く経済状況の厳しさがある。これまでの最高値は、世界大恐慌の末期に当たる1940年の48%だった。

図=米国の18~29歳の若者が親と同居する割合
図=米国の18~29歳の若者が親と同居する割合

米国では、「アメリカン・ドリーム」という言葉に「親世代よりも豊かな生活を送る」という意味も込められている。だが、多くの若者にとって夢の実現は困難になった。

ニューヨーク大のマイケル・ハウト教授が2019年に発表した研究では、1980年代後半に生まれた若者のうち、30歳時点で、自分の親が同じ年齢層だった頃の社会・経済的地位を上回った人は44%にとどまった。1930年前後に生まれた男性の場合は62%で、その差は大きい。

若者の生活態様に詳しい米クラーク大のジェフリー・アーネット教授は「『実家に居続けるのは怠け者』という考えは、特に白人の間で根強かったが、今の時代は若者が人生の方向性を見つけるまでに時間がかかる。実家暮らしの若者が緩やかに増える中、否定的な見方は薄れている」と指摘する。

コロナ禍はそうした傾向に拍車をかけた。PRCによると、2020年2~7月、親と同居する18~29歳の若者が急増し、この年代の若者を世帯主とする世帯は1580万軒から1390万軒に減った。転居の理由の多くが、大学のキャンパス閉鎖や失業だった。

ファッション誌編集長を辞め、「母との時間」を選択

コロナ禍で同居を選択する年齢層は広がりを見せる。

ニューヨーク市中心部から北東へ約90キロ。元ファッション誌編集長のサミタ・ムコパダイさん(43)は昨春、母ソバナさん(70)と同居するため、美しい湖と森が広がるニューヨーク州ブリュースターに引っ越した。

「新型コロナが長引かなければ、母との生活もなかったかもしれない」と穏やかな表情で語るサミタさん(左)と母のソバナさん(2021年12月7日、ブリュースターで)
「新型コロナが長引かなければ、母との生活もなかったかもしれない」と穏やかな表情で語るサミタさん(左)と母のソバナさん(2021年12月7日、ブリュースターで)=寺口亮一撮影

州内の大学を卒業後、カリフォルニアに移住。約10年後にニューヨークに戻り、2018年に若者向けファッション誌「ティーン・ヴォーグ」編集長に抜てきされた。「四六時中、仕事に追われ、親と一緒に住むなんて考えたこともなかった」

19年6月に父が他界し、同年秋には母に乳がんが判明した。市内の自宅と母親宅を行き来する「二重生活」を送る中、コロナ禍が直撃した。母の体調を気遣い、20年4月に母の自宅で在宅勤務を始めた。「1か月ほどのつもりだった」が、コロナ禍は長引き、21年3月に編集長を自ら退いた。

ブリュースターの位置をしめした地図

その後、執筆活動で生計を立てるため、地下室を仕事場に改装した。時代の最先端を追いかけていた生活が懐かしくなることもあるが、今はかつてとは異なる価値観を持つ。「『成功とは何か』と考えた時、母とゆっくりと話ができ、自分と向き合う時間が持てることも、今は成功だと思える」

<読売新聞1月3日付朝刊掲載>

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