酔えば酔うほど、なぜか余計なものが欲しくなる

近所を散歩していたら、「ご自由にお持ちください」の貼り紙が目に入って足を止めた。どうやら、老舗の定食屋が改装のための長期休業に入るらしい。入り口ののれんの下にはおびただしい数の湯みが並んでいて、そのうちのひとつを手にとってみると「仁義」と筆文字で大きく書かれていた。ドキッとして、しばらくこの店の前は通らないようにしようとひそかに決意する。見えたのだ。飲み会からの帰り道、ぜったいに必要のないその湯呑みをいくつも持ち帰ってしまう未来の自分が。

すし柄のランチョンマット、スノードーム、イカの指人形

私は、お酒に酔うと余計なものをなんでもかんでも持って帰ってしまう悪癖がある、ということに最近気づいた。すこし前にも、「用途多様」という乱暴な言葉とともにたたき売られていたすし柄のランチョンマットやら、記念写真入りのスノードームやらイカの指人形やらを買ってしまったばかりだ。毎回、翌朝シラフになってから「なぜこれがうちに……?」と怖くなり、ほかでもない自分が持ち帰ったことを思い出しては愕然がくぜんとする、というのを繰り返している。

暴言を吐いたり人に絡んだりといったことはしないから、(自分で言うのも変だけれど)そこまで酒癖が悪いほうではない、と思う。よくお酒に付き合ってくれる友人たちは、「シホさんは飲んでもふだんとほとんど変わらないよね」と言ってくれるのだけれど、シラフとそう変わらなく見えるというのはむしろたちが悪い。

たとえば、仮に私が「仁義」の湯呑みを手にとって「じ、仁義だ~! いっちょ持って帰るか~!」と言いながらそれをかばんに入れようとしていたら、誰の目にもあきらかに酔っているのがわかるはずだ。けれど実際の私はたぶん、湯呑みをしげしげと見つめて、「あ、けっこういいなあこういうの……」と小声でつぶやき出す。「家にあんまない柄なんだよなあ……これ、4つ持って帰ってもいいと思う?」。まじめな顔でそう聞かれた友人は、私が本気でその湯呑みを欲しがっているとほぼまちがいなく思うだろう。というよりも、酔いの渦中にいるときはどうやら、“それら”を本気で欲しいと自分でも確信しているようなのだ。

この知らない蛙はいったい

我ながらいちばん驚いたのはウクレレだった。昨年末、旅行先のホテルで夜中に目を覚まし、部屋の電気をけたら足元に落ちていたのだ。はじめはギターかと思ったけれど、ボディーの小ささと蛍光色の色合いを見てウクレレだと気づいた。小さく開放弦を鳴らしてみると、聞き覚えのない音階ではあるものの、チューニングも完璧に合っている。

ウクレレを弾く女性
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同じ部屋で寝ていた恋人がその音で目を覚まし、困惑した顔で「ウクレレ……」と言った。「ウクレレずっと欲しかったんだよね?」「いや、一回も思ったことないけど」「あ……そうなんだ……」

うなだれた彼に話を聞けば、私は前日の夕食後、「なんか買おう」と意気揚々とプチプラ雑貨店の「フライングタイガー」に入っていき、おもちゃの楽器のコーナーでウクレレとアコーディオンを前にしてどちらを買うか延々悩んでいたらしい。「それはわざわざいま買うものなの? それ持って新幹線乗るんだよ?」ともっともすぎる指摘をしても「どっちも欲しかったんだよ」の一点張りで、持ち帰ることを前提にその場でチューニングまで始めたらしく、そこまで言うなら……と彼も口を出す気にならなかったという。

そんな話を近所の飲み屋でしていたら、「じゃあシホさんの今年の目標は『酔って余計なものを買わない』ですねえ」とマスターに笑いながら言われた。そうですねえ、でもつい欲しくなっちゃうんですよ、どうしたらいいですか。私たちが対策法について話していると、それを聞いていたほかの客が「ここの近くの〇〇神社、たしか散財防止のお守り売ってましたよ」と会話に入ってきた。「えっ欲しい! じゃあこのままみんなで初詣行きましょうよ!」。行こう行こうと話が盛り上がり、明け方、客数人とともに神社まで歩いたところまでは覚えている。

いま、家の棚に見覚えのないかえるの置きものがあるので、おそらくその日のできごととなんらかの関係があるのではないか、と私は推理している。余談だけれど、最近、ウクレレで桑田佳祐さんの『白い恋人達』が弾けるようになりました。

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      生湯葉シホ
      生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
      ライター/エッセイスト

       1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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