母が作っていた中華料理といって思い出すのは、ひき肉のレタス包みです。サクっと白く揚げた春雨に炒めたひき肉を添え、ざっくり混ぜたものをレタスにのせて巻き、そのまま手づかみでパクリ。色々な食感と色々な温度が感じられるし、手巻き寿司のようでもあるのが楽しくて、子供にとっては食の進む料理でした。
偶然出会った懐かしい「母の味」
大人になってから、仕事で神戸に行く機会がありました。仕事が終わり、同行の人々と中華街のとあるお店に入ると、メニューにあったのは、ひき肉のレタス包み。「あっ」と懐かしく思って、もちろんオーダーします。
子供時代はよく食べていたけれど、大人になって以降、めっきり口にしなくなっていた、その料理。母はすでに他界していましたし、日本ではそれほどメジャーな料理ではないのか、中華料理店に行ってもメニューには載っていないことが多かったのです。
やがて運ばれてきた、ひき肉のレタス包み。
「懐かしい〜」
などとつぶやきつつ、一口食べたらハタと思い出しました。大昔に母がこの料理について、
「神戸の中華街のお店で食べた時においしかったから、真似して作ってみたのよね」
と言っていたことを。
その店の味は、母の味と似ていました。そして、かなりの老舗でもあるらしい。母が昔、ひき肉のレタス包みを食べたお店とは、ここではないのか……?
そう思ったら、その店でレタス包みをパクパク食べて、
「おいしい! 家でも作ってみようかしら」
と思っている若くて元気な母の姿が想像されて、鼻の奥がツンとしてきました。そして私は心の中で、
「もしかしてお母さんがひき肉のレタス包みを初めて食べたお店って、ここ……?」
と、問いかけたのです。
母と中華といってもう一つ思い出すのは、大きな中華鍋のことです。子供だったので巨大に見えていたのかもしれませんが、何でも炒められそうな鉄製の中華鍋は、油が染み込んで黒々と照り輝いていましたっけ。あの中華鍋で、炒めたり揚げたり、母は家族の料理を作ってくれていたのです。
ところが私は、中華好きを自称していながら、長らく中華鍋を持っていませんでした。家の台所の火力はIHなので、底の丸い中華鍋は使用できません。そして何より、2人住まいの我が家は、中華料理を作る時も、フライパンで十分に事足りるのです。子供の頃は5人家族でしたから、炒め物を作るのに大きな中華鍋は便利だったと思いますが、今の私が中華鍋を持っていても、かさばるばかり。
しかし私はこの度、中華鍋を購入する決意をしました。それというのも、とあるグルメ雑誌の企画で、本格的なレバニラ炒めの作り方を習ったから。格好良く中華鍋を振りながら作ってみたい! と思ったのです。
IHでも使用できる中華鍋も、色々と売られている昨今。検討の結果、鉄製の鍋に決定します。油で黒光りする、母の中華鍋のイメージが、脳裏にはありました。
テフロン加工の手軽さと比べると…
黒い鉄鍋は、やはり格好いい存在感です。しかし私は、今やすっかりテフロン加工のフライパンに慣れてしまい、鉄鍋の使い方を忘れていました。説明書きを読みつつ、「最初はクズ野菜を焼いて、油をなじませるわけね」と、クズ野菜を投入。さらに、「サビ、焦げつきを避けるため、洗剤は使用不可。ササラかタワシで汚れを落とす」ともあって、「そうだ鉄鍋って、お手入れが面倒臭いんだった……」と、やっと思い出しました。
当然、我が家にはササラ、つまり竹などを束ねた洗浄用具などありませんし、タワシもない。慌ててタワシを購入してから中華鍋を使用し、油をケチらずに作ったレバニラ炒めは、たいそう美味しかったのです。
しかし鉄鍋は、そこからがやっかいなのでした。洗い物担当の家人には、最初から「中華鍋は洗わなくていいから」と通達。鉄製の鍋類は女性のお肌と同様にお手入れが重要であり、洗剤で油をこそげ落としてしまったら、すぐにカサカサになってしまいます。常に油分を残しておくことによって、ツヤツヤの黒光り状態はキープされるのでした。
中華料理店の厨房を見ていると、一つの料理を作り終わったなら、ササラで汚れをちゃちゃっと落としてお湯を流すだけで、もう次の料理を作っています。洗剤でゴシゴシするよりも簡単に見えますが、それは業務として料理を作る方々だからこそ。我々は炒め物を連続して作るわけではない一般人にとっては、中華鍋を洗い終わって乾いたならまた薄く油をすり込んだりするのが面倒なのです。
気がつけば私は、中華の炒め物を作る時もつい、中華鍋ではなくテフロン加工のフライパンを手に取るようになっていたのでした。せっかく買ったのだから中華鍋を使おうと思いつつも、つい楽な方になびく自分が、そこにいた。
いつか私は、黒光りする中華鍋でひき肉を炒め、ひき肉のレタス包みを作ってみたいと思っています。しかしそこに立ちはだかるのは、「面倒臭い」という気持ち。結局、テフロンのフライパンで「母の味」を作ってしまいそうな気が、しないでもありません。