間が空いても言葉の“淀み”をこわがらない

仕事で人にインタビューをしていて、「あんまりうまくいかなかったな」と落ち込む日がある。事前に調べられたはずのことを把握していなかったとか、自分の準備しだいで防ぐことができたミスをしてしまったときはひたすら反省するのだけれど、そうではなく、一見問題のない取材だったように思えても、粉薬の後味のようなぼんやりとした気持ち悪さが残る日。そういうときはたいてい、あとからインタビューの音源を聞きなおすと、会話にがなかったな、と思う。

テンポのよさはときおり、思考の余白をかき消す

間がないというのはつまり、相手の方も私も、よどみなくしゃべっているということだ。淀みなくしゃべることのなにが悪い、と思われるかもしれないけれど、よっぽど話すことにけた人でない限り、誰かにはじめてしゃべることを水の流れのようにさらさらと言葉にするのは難しい。だから会話があまりにもスムーズに進みすぎているときは、相手の方が、これまでに何度もほかのインタビューや資料のなかでしゃべったことのある話を繰り返していたり、事前に用意していた受け答えをなぞっていたりする可能性が高い。

もちろん、それに耳を傾けて正確に文章にすることも、ひとつの取材の意義ではある。けれど、相手のなかですでに言葉としてまとまっている考えを伝えてもらうだけなら、書面で送った質問に文章のかたちで返答をいただくメールインタビューのほうがずっと精度が高い。同じ場に居合わせているなら、その場の言葉のやりとりによってなにか新しいものが生まれたほうが、相手の方にとってもインタビュー記事の読者にとっても、きっとおもしろいはずだと思う。間のない、テンポのいい会話はときおり、「あ、いま話してて思ったんですけど……」という思考の余白のようなものをかき消してしまう。

会話する女性
画像はメージ

ただ、インタビューのような仕事に限らず、話の聞き手をしたことがある人は誰しも感じたことがあると思うのだけれど、会話で“間が空く”ことはとてもこわい。テンポよく、論理立てて話ができることはどうしても大人として大切なスキルのひとつのように思われがちで、対話のなかで沈黙が何秒もつづくと、それをリカバリーしなきゃいけないような空気がなんとなく醸成されてしまう。

そういうとき、「つまりこういうことですかね」と言葉をかぶせたくなる気持ちはすごくよくわかる。けれど個人的なスタンスとしては、できるだけ待つと決めている(もちろん、話を聞ける時間がとても短いとか、事実確認をしなきゃいけないときのような例外もあるのだけど)。その結果、なにも出てこなかったり話が横にそれたりすることもあるけれど、不自然な間をつくっちゃった、とはなるべく思わないようにしている。なにかを人に伝えようとするとき、話が前後したり、言いたかったことを忘れてしまったり、うまく言葉にできずに言い淀むことのほうが、ずっと自然だと思うから。

「うまいこと」を言う人は人気がある、けれど

映画『英国王のスピーチ』(2011年公開)に、主人公のイギリス国王が、自身の戴冠(たいかん)式の記録映像を家族とともに見るシーンがある。国王は吃音きつおん症に長年悩まされていて、大勢の人の前でスムーズに話をすることができない。時代は、第2次世界大戦の足音が迫るころだ。なんとか滞りなく終えられた戴冠式の映像のあと、国王一家はつづけて流れてきたドイツのニュース映像を偶然にも目にする。

怒鳴どなるように声を振り絞りながら、身ぶり手ぶりとともに明快な演説をするヒトラーを見た国王の小さな娘は、「なんて言ってるの?」とたずねる。国王はそれに「わからないが演説がうまいな」と返すのだけれど、冷酷な戦争の気配を子どもに悟られまいとするやさしさとユーモア、そしてちょっとした皮肉が感じられて、いいせりふだなと思う。

この映画のことを不意に思い出す日があった。選挙期間中、有名な政治家が街頭演説をしていたときのことだ。平日の夕方だというのに駅前には人だかりができていた。用事があってどうしてもタクシーをつかまえたかったのだけれど、駅のタクシー乗り場は演説を聞こうと集まった人でいっぱいだったから、しかたなく駅の周りをうろうろと探し回る。人の波を縫うようにしてようやく1台のタクシーに乗ると、外から「次世代の子どもが背負うべきものは借金じゃなくランドセルです」という演説の大声が聞こえた。運転手は乗りづらくてすみませんねえと謝ったあと、選挙カーを一瞥いちべつして、「うまいことを言う人というのは、思ってるよりずっと人気があるんですね」と言った。

私は「フフ」とか「ねえ」とか曖昧な言葉を返したような気がするのだけれど、その言葉のやわらかいとげに内心どきっとしていた。なんとなく、きょうのことはしばらく忘れないだろうと思いながら、後部座席で次に向かう取材のための準備をしていた。

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      生湯葉シホ
      生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
      ライター・エッセイスト

      1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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