「前よりよくしよう」にこだわりすぎない

大学を出たばかりのころに働いていた会社で、一度だけ上司に不満を伝えたことがある。今振り返ると不満というほど大げさな話ではない気もするけど、当時は仕事のことが右も左もわからず、先輩社員たちのすることはできるだけ真似まねをしようと躍起になっていた時期だった。だから、上司という絶対的な存在に対してほんの少し意見をするだけでも、すごく緊張した記憶がある。

たしか社内の定例面談のときだった。「会社の中で気になっていることはないか」と聞かれ、「本当に細かいことなんですけど」とか、「出来たらで大丈夫なんですけど」とぐだぐだと前置きをした上で、「オフィスの中を移動するとき、小走りにならないでほしいってNさんに言ってもらえたらうれしいです……」と言った。

面談を担当した上司は、ぽかんとしていた。社内のことなので少しぼかして書くのだけれど、その「Nさん」はすごく上の立場の人で、何事も効率化したほうがよい、という考えの持ち主だった。デスクに向かう時間に限らず、例えばコピーを取る時間であるとかランチの時間であるとか、数分、数十分で済む行為の中でも、いつも最短をめざしていた。私は、そんなNさんがオフィスの狭いワンフロアを移動するとき、常に小走りでシュタタタッ、と音を立てるのが本当にいやだったのだ。

上司にそれを伝えながら、あまりに一方的な要望という気がしてきて、自分でもちょっと笑ってしまった。Nさんの性格や考え方を否定するつもりはもちろんない。けれど、静かなオフィスの中で上の立場の人が常に急いでいるのを見せられていると、部下としては声もかけづらいし、つられてパニックになってしまう。そんな思いをうまく説明できたか、振り返ってみるとあまり自信がない。ただ、上司は真面目でやさしい人だったから、「そうかあ、小走りかぁ……」と首を若干ひねりながらも、否定しないで聞いてくれた。

画像はイメージ

「私の体調でPDCAを回そうとしないでほしい」

仕事をこなす上で、効率はとても大事だと思う。「PDCA(計画・実行・検証・改善)を回す」という表現もビジネスではしばしば使われるけれど、限られた時間のなかで高いパフォーマンスを出していくには、たしかに「前より少しでもよくしよう」という姿勢は欠かせないはずだ。

けれど、同じ考え方の公式を業務以外のシーンにまるまる当てはめることは、危うさもはらんでいるんじゃないか、と思う(Nさんの話の場合、そもそも会社にいる時間は全て業務時間だ、という考え方もあるとは思うので私も極端なのですが……)。

例えば、毎月生理がくるたびに、パートナーが体調の記録をつけてくれるという知人がいる。ひどい腹痛が続くときや生理の前に不調になるPMS(月経前症候群)でいら立ってしまうときなどは、年間単位での自分の体調が参照できて、とてもありがたいという。

けれど、その気遣いは非常にうれしい反面、「今回はこうだったから、次はこうしてみようよ」という提案がパートナーの口から立て続いて出るとき、微妙な違和感も覚えるという。毎月どれだけ工夫しようと、産婦人科を受診しようと、痛いものは痛いし、苛立つものは苛立つ。「私の体調でPDCAを回そうとしないでほしい」と知人は表現していたのだけど、たしかに、どうすればよくなるか、ましになるかという発想よりも、同じタイミングでただ一緒にオロオロしたり、痛さの度合いを尋ねたりしてくれることのほうがありがたい、という気持ちは個人的にはよくわかる。

2人の小さなお子さんを持つある男性は、育児のほとんどはルーティーンでできている、と言う。競争社会の中に身を置いていると、仕事に限らず生活のなかでも、できるだけ無駄を省いて生産性を上げていきたいと考えがちだ。それは限られた時間の中での生活を余儀なくされている私たちにとって、とても正しいことなのだけれど、一方で「育児において“できるだけ無駄を省く”なんてことはほぼ不可能」だとその人は言う。

「毎回同じようなことで悩んで、これ、昨日も壊されたな、とか、やっぱりこれ、食べてくれなかったな、とか思いながらやってくしかないんですよ。成長みたいなものはいずれどこかで急に訪れるものであって、こちらがそのタイミングを決定することはできない。それまでは『このルーティーンになんの意味があるんだろう……』とか落ち込みながら、育児の効率化の出来なさに翻弄ほんろうされるしかないんだと思います」。そんな彼の言葉が忘れられない。

「効率化」は生活を静かに侵襲する

繰り返すけれど、効率化できることは効率化する、という姿勢は正しいと思う。すべてをいわゆる「ていねいな暮らし」にしたほうがいいとか、一つひとつの行動の隅々にまで思いをせたほうがいい、という境地には、私はまったく至ってない。

ただ、目の前にある家事や仕事のすべてをできるだけ効率化したい、と感じはじめたら、その背景になにか置き去りにしているものがないかを考えてみたほうがいいんじゃないか、とは思う。

人とのコミュニケーションとこなすべきタスクはまったく別問題だと思う人もいるかもしれない。けれど、「効率化」が生活、そして日常的な思想の領域にまで侵襲してくるスピードは、たぶん思っているよりずっと速いはずだ。

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      生湯葉シホ
      生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
      ライター/エッセイスト

       1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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