モーリー・ロバートソン 飼うのはいや…のはずが

僕とパートナーのゆっこちゃん(女優の池田有希子さん)で飼っている猫ちゃんを紹介します。いずれも雑種の「にゃむ」(オス、11歳)と「いね」(メス、10歳)です。

パートナーの池田さんと。「にゃむ(右)といね、性格が違うので、観察するのは面白いです」(東京都内で)※田中秀敏撮影

にゃむの本名は、「にゃむねんこ将軍」。旧ソ連の共産党のパロディーみたいなもので、書記長を務めたチェルネンコとか、いましたよね。

2010年10月、生後3か月ぐらいのにゃむを空き地の植え込みで見つけました。猫風邪かなにかにかかり、目は炎症を起こして痛々しい姿でした。獣医師に「助かるか分からない」と診断されたほどでしたが、投薬など看病のかいあって、徐々に元気になりました。

そして、都内で中華料理店を営む家族に飼われていたのが、いねです。その一家が中国・上海に帰国することになり、猫のもらい手を探していると人づてに知りました。娘さんが「日本の中学校で学んでいるから離日したくない」と騒いで大変そうで、猫どころではない様子でした。

12年3月に引き取った時、いねは生後10か月ほど。表情やしぐさは初々しさを残しつつ、体格はほぼ成猫でした。中華料理店の店名に「稲」という漢字が使われていたので、既にいねと呼ばれていました。

僕は動物は嫌いではないけど、自ら積極的にペットを飼うことはありませんでした。思い返せば、小学生の時に野良猫に魚をあげようとして引っかかれ、中学生の時は友人宅にいた小型犬にかみつかれ……。なので、ちょっと恐怖心があったのかもしれません。

でも、ゆっこちゃんと暮らし始めた時、彼女はいずれも10歳前後のメス犬2匹を飼っていました。チワワの「むぎ」と雑種の「ゆきち」です。

むぎは、ペットショップで売れ残っていたそうです。ゆきちは、1995年の阪神大震災後に兵庫県宝塚市で保護された犬。飼い主とはぐれたなどの事情を抱えた犬たちを保護団体が東京につれてきて、そのうちの1匹でした。ゆっこちゃんが、寄付を兼ねて保護団体に“福沢諭吉1枚(=1万円)”を渡したことから、この名前になりました。

この2匹の晩年期ににゃむをレスキューし、相次いで犬たちが死んでしまって、いねを迎えて……。あれ、僕、飼う(?)ならマリモぐらいだと思っていて、自分のプロフィルに「ペットはいや。死ぬのがかわいそうだから」と冗談半分で書いたことがあるんだけどなあ。人生、何が起きるか分からないものです。

命の恩人の地位急落

我が家の愛猫、まず家族になったのがにゃむです。

にゃむは、子猫の時に瀕死ひんしの状態だったところを僕が保護しました。猫風邪かなにかにかかって助かるか分からない状態が数日続きましたが、ごはんを食べるようになって寝起きを繰り返すと、徐々に体調が回復。炎症を起こしていた目を手術し、虫下しを飲ませるなどしたら、全快しました。

僕が助けたのに、今ではすっかりゆっこちゃんの猫。僕には気まぐれで寄ってくることはあるけど、基本的には“モーリー=怖い人”と認識しているようです。

にゃむを抱く池田さん。「にゃむはゆっこちゃんにしか懐いていません」(東京都内で)※田中秀敏撮影

いねが避妊手術を受けて帰ってきた時、首にエリザベスカラー(ラッパ状の保護具)をつけていました。その姿が怖かったのか、にゃむが荒々しくアタック。それを僕が厳しく叱って以来、心を閉ざしてしまい……。僕は命の恩人からただの同居人、いや、もしかしたらそれ以下の存在になってしまいました。

一方、ゆっこちゃんにはベタベタです。弱ったにゃむが我が家に来たばかりの頃、ビクビクして洗面台の下に隠れてしまいました。おそるおそるゆっこちゃんが抱き上げると、ゴロゴロゴロ――、すごい勢いで喉を鳴らし、そのかわいさにゆっこちゃんはノックアウトされたのでした。

今も、僕といねが寝た後や僕が出張でいない時は、明らかに態度が違うにゃむ。「2人きりだよ!」と言わんばかりの目でゆっこちゃんを見つめ、甘えの自己主張が始まります。「息子をダメにする母親の気持ちがわかる(笑)」。彼女は、よくそう言ってます。

にゃむは、ブラッシングが大好き。ブラッシングをしてもらうと、「みんなが自分の言うことをきいた、社会的に上位に立った」と思って万能になった気がするのか、人格(猫格?)が変わったように自分からいねに攻撃します。でも、“魔法”はすぐにとけて逆襲され、普段のビビリなにゃむに元通り。短期政権です。

そういえば、にゃむに名前をつける時、「デュラン・デュラン・デュラン」が候補になりました。長くて呼びにくいので採用しませんでしたが、数年後、DJの選曲作業中に、同名の外国人アーティストを見つけました(英国の超有名バンドではない)。しかし、僕にとってその音楽はあまり好みではなかったのです。

「デュラン・デュラン・デュラン、おいで」「デュラン・デュラン・デュラン、いい子だね」。そう言うたびに、ちょっと残念な音楽が頭の中で流れ、こう思っていたかもしれません。「ああ、あの音楽ダメだな~!」って(笑)。

深夜に餌のおねだり

猫は病気でなくてもよく嘔吐おうとする動物のようですが、我が家の「いね」もそうです。ただ、僕の仕事道具のパソコンの至近距離に吐くなど、大事なものが被害を受けるのは困りもの。「コッ、コッ、コッ……」と予兆の音がするとほどなくして嘔吐し、「うわあああ! “いねゲロ”だ!」と大騒ぎです(汚くてすいません)。

吐いた後、本人(本猫?)はケロッとしていて、健康に問題があるわけではなさそうです。自分の体形に嫌悪感を抱いて痩せたいとか、TikTokで有名になりたいのにうまくいかなくてストレスを抱えているとか、そんな理由で頻繁に吐くのか? いやあ、ティーンエージャーの娘がいるような心境だなぁ。

「いねはこだわりが強く、好き嫌いがはっきりしている猫です」(東京都内で)※田中秀敏撮影

それは冗談として、もしかしたら、少し食べ過ぎなのかもしれません。食べても食べても食べたいと主張して、餌にありつくまで騒ぐのです。この騒ぎが、深夜2~3時に起きるのが少々悩ましい。いねは賢いので起こし方を心得ていて、キッチンの金属の扉を引っかきます。カシャ、カシャ、カシャ……、その音が寝室まで聞こえてきて、僕は起きざるを得なくなります。

餌をあげてちょっといねに構うと、寝られなくなってしまいます。勉強をしたり、ヨガをしたりして時間を潰し、また明け方に床につきます。睡眠が遮断され、多大な犠牲を払ってます。

一方、いねはというと、餌をもらって満足。「モーリー、チョロいじゃん」。そう学習してしまったのかもしれません。

これは、もしかしたら娯楽やパフォーマンスなのか?とさえ感じます。深夜に飼い主を起こして、食べて、構ってもらって面白いのでしょうか。それで、最後に吐いてフィナーレ……。いやいや、やり過ぎでしょう!

ゆっこちゃんは「小顔だから太って見える」と主張しますが、いねはちょっと太っています。今の時代「あなたはあなたのままで美しいのよ」としたいところです。かといって、好きなだけ食べろと開き直れないのも事実。僕はこれ以上太らせたくなくて、無意識のうちにごはんを少なくあげてしまうようです。だから深夜に餌をねだるのかもしれませんが、安眠のためにも自動給餌機の導入を検討したいです。

あと、いねは尻尾を人間の脚に当てるのが好きです。パターン、パターン、パターン、一定のリズムで尻尾を当てるさまはモールス信号のよう。これは何を訴えているのかと、ふと考えます。「A社が新型コロナの治療薬を開発したから、株価が上がりますよ」とか……。それでチェックしたら、A社の株価が妙に動いているとか……。そんな予知猫だったら大歓迎です。

トイレは自己主張の場

ある時から、「にゃむ」と「いね」には僕の書斎への立ち入りを禁じました。2匹が交互に入室し、DJの機材におしっこをしたからです。2万~3万円で米国から取り寄せたものでしたが、使えなくなり、予備を含め2台購入しました。

リビングのソファもそう。トイレを家中に設けているのに、にゃむがソファでおしっこをするようになってしまいました。一度徹底的にソファを掃除しましたが、全く効果なし。仕方なくトイレシートを敷き、ソファをトイレにしています。

しかも、すごく気持ちよさそうにおしっこをするにゃむ。「トイレシートの上にして偉いねえ」なんてゆっこちゃんにも褒められ、あれ……、なんかおかしいなあ。

すると、その様子をいねが観察しているのです。「私もあそこですればいいのかしら」と学習したのか、にゃむの直後に同様の場所でおしっこをします。

さらに、「今、無防備だ! チャンス!」と言わんばかりに、にゃむがおしっこしている最中に襲いかかるのも困りもの。だから、にゃむはいねがいない時にトイレをするなど、猫なりに対策を講じています。

おしっこは、おそらく自己主張の一つ。正体不明の芸術家バンクシーのように、ゲリラ的にやるのです。また、それを飼い主が片付けるのを見ているから、自分が状況を支配し、上に立ったような気持ちになるのでしょう。自分の行為で世間が大騒ぎし、達成感が得られるのだと思います。

ニュース番組で、大勢の記者が政治家を追いかけ周りを取り囲んで話を聞く場面がよく流れます。政治家にとって記者が自分に合わせてワーワー動くのは、実は気持ちいい。猫たちの行為はそれと似ているのではないかとさえ感じます。

このトイレ問題は、米国のトランプ前大統領が多用した「オルタナティブ・ファクト」(もう一つの事実)という手法を思い出させます。虚偽の情報を事実であるかのように強弁することを指します。我が家の場合、「猫はソファでおしっこがしたいんだ! 今日からここが猫のトイレです!」と主張され、「あ、そうですか……」みたいな(笑)。

このように、楽しくも猫に振り回されている我が家。犬は訓練できますが、猫はそれが難しい。文化が違うので、人間側も知恵を絞って共存するしかありません。

池田さんとにゃむ(手前)、テーブルの上にいるのがいね。「猫との生活は一筋縄ではいきません」(東京都内で)※田中秀敏撮影

猫と暮らしていると「コントロールできないものがある」と常に心に留め、謙虚な気持ちになり、人間のルールだけではこの世は回っていないのだと考えさせられます。「ここにおしっこしましたか。クリエイティブですねえ」ぐらいのおおらかさが肝心です。

保護猫だってクール

犬2匹を飼っていた時、2匹は仲が良く、あとから「にゃむ」が加わっても平和でした。だから、犬たちが相次いで死んでしまって「いね」を迎えた時、猫同士もいい関係性を築くかと思いきや……。正直、あまり仲は良くないです。

猫は犬とは性質が異なり、自分だけがドミナント(支配的、優位であること)。自分が制圧できる空間が欲しいようで、同じ屋根の下に暮らしていると争いが果てしなく続きます。猫同士で和平交渉はしているけど、難航している状況。ただ、不可侵条約は締結しているのか「これ以上近づかなければ平和」という一定の距離感は2匹の間で定まっているようです。

しかし、それが崩れた時など決まっていねから攻撃し、激しい追いかけっこが始まります。今年正月に争いが勃発した際はビビリなにゃむがパニックになったのか、就寝中のゆっこちゃんの顔に思いっきり爪を立てました。「もしかしてモーリーからDV受けたの? 相談してね」と友人から勘違いされるかと思うほど、傷を負ってしまいました。

右は池田さんとにゃむ。左はモーリーさんといね。「色々ありますが、猫は和みをもたらしてくれます」(東京都内で)※田中秀敏撮影

おっとりしたにゃむ、攻撃的ないね、人見知りするにゃむ、来客にも動じないいね……。正反対な2匹ですが、これも個性です。確かに血統書つきの猫はかわいいけど、もう少しそれぞれの猫の個性を重んじ、保護猫の認知が広まる社会になることを望みます。

純血種の猫をペットショップで買う消費行動が浸透する中、劣悪な環境で繁殖猫を飼育する悪徳ブリーダーが後を絶ちません。これが頭をよぎり、猫を飼い始めてからペットショップの前を通るのがつらくなりました。煌々こうこうと光るライトの下に子猫や子犬が並び、「新しい子、いるよ~。見て行く~?」と悪い顔の男が手招きしているよう……。

もし自分に絶大な影響力があるなら、猫のルッキズム(外見至上主義)を止めたい。ファッション誌「VOGUE JAPAN」と連携し、そんなキャンペーンができればいいなあ。または、ACジャパンのように情報番組で保護猫や保護活動を強く押し出すのもありでしょう。

一方、バラエティー番組などは数字が取れればいいので、「コンテストでこんな美しい猫が!」と特集します。それでタレントが指示どおり「かわいい、かわいい」と騒ぐから、それを見て美しい猫に憧れた人がペットショップに足を運んで……。麻薬のように、なかなかなくならないですね。

若者の高級ブランド離れが叫ばれて久しいです。「ありの~ままの~」と歌った曲が流行はやったことですし、猫の血統にとらわれず「保護猫=クール」という時代がくることを祈ります。(おわり)

(このコラムは、読売新聞で10月、11月に掲載されたものをまとめて再掲載しています。)

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モーリー・ロバートソン
国際ジャーナリスト、タレント、ミュージシャン

1963年、米ニューヨーク生まれ。父は米国人の医師、母は富山県出身のジャーナリスト。5歳の時に広島県に移住し、東大中退後、米ハーバード大を卒業。日本テレビ系「スッキリ」に木曜レギュラーとして出演。

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