ワンちゃんさま?「ただならない言葉」の裏側に

犬が「ワンちゃんさま」と呼ばれるのを見たことがある。

数年前、友人の実家に泊まらせてもらったときのこと。朝、友人の飼い犬の散歩についていくと、道の途中に真新しいカフェがあり、入ってみようという話になった。ガラス越しに見える店内はかなり混み合っている様子。入り口付近では大学生くらいの店員さんが席の案内係をしていたのだけれど、まだ接客に慣れていないのか、忙しさでパニックになりかけているのがこちらまで伝わってきた。

「犬いるんですけど、テラス席のほうがいいですか」。友人がその店員に声をかけると、彼は困ったように何秒か視線を泳がせた。どうやら友人の飼い犬に対する適切な呼びかたが思いつかないようで、「いぬ、おいぬ」と小声で何度か言いかけている。やがて意を決したように彼が発したのが、「ワンちゃんさま」だった。「ワンちゃんさまも店内ご利用いただけますが、テラスとどちらにされますか?」

「数かぞえるやつのことなんて言うんだっけ」

画像はイメージです

友人はその後、「ワンちゃんさま」を気に入って犬の二人称としてしばらく使っていたが、そこにあの店員さんを笑ったり馬鹿ばかにしたりするニュアンスはなく、むしろ「ほんとに焦ったんだろうねえ」と同情していた。たしかに、自分が彼の立場だったら焦ったろうなあと思う。次から次へとやってくる人間の対応だけで精いっぱいなのに、そこにいっさい想定していなかったミニチュアダックスフンドが突如現れたら、私ならもっとあからさまに慌てて、失礼なことを口走ってしまうような気がする。けれど、そういうある種の極限状態というか、ただならないシチュエーションのときにだけ、人の口をついて出る言葉のことが私はけっこう好きだ。

これはナレーター業をしている知人から聞いた話なのだけれど、以前、芸能関係者のパーティーの司会の仕事をしたとき、彼女が10年以上にわたって応援している“推し”が客席にいたことがあったのだそうだ。推しに気づいた瞬間、頭が真っ白になり、いつもなら進行表を見なくてもすらすらと出てくるはずの言葉がまったく出てこなくなった。次のコーナーに行く前には客席にカウントダウンを呼びかける必要があったのだけれど、「みなさん一緒に10からカウントダウンをお願いします」というフレーズを彼女はど忘れしてしまった。

「『カウントダウン』がどうしても出てこなくて、あの数かぞえるやつのことなんて言うんだっけってなっちゃって。私そのとき『10から順番におんカウントください』って言ったんだよね」

「御」? とすぐに自分の言葉に青ざめたものの、客席は意外にも彼女の言葉の意をくみとって、楽しそうにカウントダウンを始めてくれたそう。パーティーはなんとか無事に終わったが、その日は家に帰ってからもしばらく手足の震えが止まらなかったという。

言葉のモードが切り替わるとき

そういうただならない状況が引き金になって、私たちが普段なんの気なしに使っている定型表現が作動しなくなるとき、言葉は一瞬のうちに安全なルートを外れて“非常”モードに切り替わる。そのモードにおいて言葉はすべて手動だから、いつもならば自動化されたフレーズの裏に隠れて出てくる余地のないような表現が、不意に生まれることがある。

そんな言葉のモード切り替えについて考えるとき真っ先に思い出すのは、2011年の東日本大震災を経て変化した災害報道のことだ。私は当時のことを(NHKに好きなアナウンサーがいたので頻繁に定時ニュースやブログを見ていたという個人的な事情もあり)わりとよく覚えているのだけれど、3月の震災から約1年間、“災害報道における最適な言葉遣い”はアナウンサーたちのあいだで議論の対象になり続け、試行錯誤されていた。人命を最大限に守るための呼びかけのガイドラインが12年ごろにまとまるまでには、極力穏やかな口調で避難を促したほうがいいという意見もあれば、「いますぐ逃げなさい」というかなり過激な口調を用いたほうが効果的だという意見もあり、各メディアのなかで本当にさまざまなモードでの訓練が実施されたようだった。

普段は穏やかにニュースを読み上げているアナウンサーが、テレビの向こうで語気を強めて「逃げなさい」と言い出す。その口調のなじみのなさをきっかけに、多くの視聴者は“非常”のスイッチが入ったことに初めて気づくのだ。「~しなさい」という命令形の呼びかけは恐怖感をあおりすぎるからか、結局採用はされなかったけれど、現在の災害報道では「いますぐ逃げること!」という言い切りの呼びかけが実際に使われている。

そういった定型表現でない、いわばオーダーメイドの言葉には、人を思わずはっとさせ、注目を集めさせる力がある。逆に言えば、多くの人の目を引くほどに不自然な言葉や聞き慣れない言葉が出現したとき、そこにはその言葉が選ばれているだけのなんらかの理由や背景があるかもしれないということ。

インパクトの強い新しい言葉を前にしたとき、私たちは反射的にそれを笑ったり拒否したりしてしまいがちだ。けれど、盾になっている言葉の後ろにその言葉を発せざるをえなかった人の切実さがあるとしたら、できる限りそちらのほうにフォーカスをあてたいし、せめて言葉だけを切りとって非難することはせずにいたいと思う。それは、言葉を発した人の葛藤や苦しみを矮小わいしょう化することにほかならないから。……「ワンちゃんさま」の話からはちょっとさすがに、思ったより遠いところに着地してしまったけれど。

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      生湯葉シホ
      生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
      ライター/エッセイスト

       1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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