それは私が30代になったばかりの、とある夏。京都での用事が断続的に続き、ふと「いちいち東京と行き来するのだったら、いっそずっと京都にいればいいのでは?」と思ったことがありました。
用事の日程を全てつなげると、計20泊ほどになります。京都に20連泊とは、心が躍る。ではどこに滞在しようか。……と、春に京都に行った時に、色々なホテルを見て回りました。
当時はまだ、インバウンドが増加する前。また猛暑の京都において夏はシーズンオフとなるため、安めのホテルであれば20泊できるだろう、と思ったのです。
とはいえ20連泊するのだから、部屋はきれいなところがいい。ホテルでは、お願いすると空いている部屋を見せてもらえることが多いので、目星をつけたホテルの部屋を見学してから、滞在するホテルを決定しました。
そしていよいよ、夏がやってきました。事前に見学したホテルに仕事の道具も持ち込んで、いざ憧れの京都長期滞在がスタートします。
その滞在において楽しかったのは、何と言っても食事でした。1泊か2泊の京都旅行では、たいていの場合は和食を食べることになりましょう。懐石料理やカウンター割烹など、京都には美味しい和食のお店が山のようにあるのですから。
しかし20泊となると、毎日懐石料理を食べるわけにもいきません。大衆食堂、イタリアン、洋食にお好み焼き、はたまた比叡山のホテルでバーベキュー……と、日々色々なものを食べることとなりました。
黄金色に透きとおる酢豚、食べてびっくり
中でも私が驚いたのは、中華料理です。京都の友人が、
「たまには中華でも行こか」
と連れていってくれたのは、祇園の「T」という中華料理店。やはり祇園、中華のお店も和風の作りなのね。……等と思いつつウキウキとお店に入れば、店内にも小上がりなどがあって、中華感は薄い。
友人は、春巻きや酢豚など、定番の料理を頼んでくれました。すると運ばれてきた料理がそこはかとなく、自分の知っている姿とは違うのです。春巻きは、巻いているものがいわゆる春巻きの皮ではなく、薄焼き卵のようなもの。そして酢豚は、何だかやけに美しく輝いている。何が美しいのか、しばし理解ができなかったのだけれど、次の瞬間にわかりました。酢豚のとろりとしたあんかけの部分が、普通であればダークな茶色であるのに対して、黄金色に透きとおっているではありませんか。
食べてみてもまたびっくり。それぞれの料理の味わいがあっさりとしていて、絶対に胃にもたれない感じなのです。祇園生まれの友人によれば、
「京都の中華て、皆こんなやで。芸妓さんやら舞妓さんやらが食べはるから、匂いがついたらかなわんやろ。だから、にんにくとか香辛料は、つこぉてへんねん」
とのこと。
「そうなんだ……、美味しい! そして美しい!」
と、透きとおる酢豚に感動していると、
「へぇ、東京の人はこんなん珍しいんや。じゃ今度、『H』も行こか」
ということで、次の週に連れていってくれたのは、北区の紫明通沿いにある中華料理店「H」でした。
こちらは、タイル張りの床に、戦前の中国を思わせるようなクラシックな内装の建物の前には和風庭園が広がるという、和中折衷的なお店。高い天井もあいまって、どこか別の地に来たような気持ちにさせられます。
料理はやはり、全体的に低刺激のはんなり風味。酢豚は、透き通っています。聞けば、このお店を始めた中国の人の元で修業をした料理人たちが、はんなり風味の中華を京都に広めたのだそう。その後、「H」は惜しまれつつ閉店してしまいましたが、弟子筋の料理人たちが開いた店の料理は、今も「H系」と言われているのだそう。
京都には、京都風味の中華料理があるのか……! ということを知ったことは、私の京都20泊体験における最大の発見であり、カルチャーショックでした。京都は薄味で東京は濃い味、といった違いは和食の上では知っていたけれど、それが中華料理においても踏襲されていたとは、と。
ラーメンはこってり濃厚 振り幅の大きさは1000年の奥深さ?
しかし京都では、すべてのものが薄味なわけではありません。たとえば京都名物の一つにはラーメンがありますが、京都で人気のラーメン店といえば、こってり濃厚系が多い。中には、ポタージュスープのようにスープが濃厚で、「箸が立つ」と言われる店もあるのです。
この事実は、いにしえより京都には様々な人が住んでいたという事実を示すのでしょう。天皇や貴族といった上つ方が住み、また仏教が栄えた地ということもあって、上品であっさりとした味が好まれたことは、事実。一方で、都市機能を支えるためには多くの庶民の労働力も必要だったわけで、肉体労働をする庶民たちは、こってり濃厚な味を好んだに違いない。
京都20連泊も終わりが近づいてきたある日、私は例の「箸が立つ」というラーメン屋さんに、一人で入ってみました。スープは、もはや液体と言うよりは固形物のようで、透きとおる酢豚とは対照的に、どこまでも濁っている。こってりを通りこしてぼってりとしたスープが、ゆっくりと胃の空隙に流れ込むと、体温が少し上がったかのような感覚に‥‥。
1000年の間、様々な立場を受け入れ続けてきた都であるからこそ、京都の中華はこれほどの幅を持つのだろう、と実感した私。スープを飲み干すには至りませんでしたが、中華料理という窓を通して、京都の奥深さを体感したのでした。
ちなみに京都の中華料理については、『京都の中華』(姜尚美著、京阪神エルマガジン社出版)に詳しく記されています。京都好き、中華好きには必読の書。