「親ガチャ」について女性の視点で考えてみる

「親ガチャ」という言葉が話題になっています。語源は、硬貨を入れレバーを回すとオモチャが無作為に出てくる小型自動販売機の「ガチャガチャ」。ここでは偶然がモノをいい、事前に「どんなオモチャが出てくるのか」は分かりません。

人が生まれてくる際にも「自分がどんな親の元に生まれてくるか」を自分であらかじめ選ぶことはできません。愛情面や経済面など、どんな境遇で生まれるかは「運任せ」です。

そんな共通点から「親ガチャ」という言葉が登場したわけです。今回は海外とも比べながら、この「親ガチャ」問題について考えます。

「外れ」と考えるのは「本人のわがまま」なのか

冒頭のガチャガチャにちなんで「親のせいで自分の人生が希望通りにいかない」ことを「親ガチャに外れた」という言い方をします。このことについて、子供を持つ女友達に聞いてみたところ、「親ガチャという言葉もそうだけれど、考え方自体が親に対して失礼だと思う」とのことでした。「親ガチャ」という言葉に対して特に母親業を頑張っている女性は、複雑な感情を抱いている人が少なくありません。

子供に愛情をもって接している親がいる一方で、なかには、どこからどう見ても親としての務めを果たしていない親も存在します。子供に暴力をふるい虐待死させてしまうニュースも後を絶ちません。世間で「親=子供に愛情を持って接しているはず」という考えがデフォルトとなってしまっていることは問題です。

先日ひろゆきさんがツイッターに、「令和2年度は、児童相談所の児童虐待対応件数は20万5029件、過去最多。 子供は減ってるのに、児童虐待が増えてるわけです。 ひどい親がいる現実をほっといて『親ガチャ』という言葉を使うのは良くないとか言ってるのは、恵まれた環境で育った人のおごりだと思うおいらです」と書いたことが話題になりました。

親ガチャ

「親ガチャ」という言葉をもって、「明らかに外れ」の親の元に生まれた子供が自分の悩みや親の問題点について話せる側面もあるので、「親に失礼だから親ガチャという言葉を使わないようにしよう」という考えに、筆者はあまり賛成できません。

ドイツで語られ始めた親になることが絶対的に幸せとは限らない現実

筆者が出身のドイツでも昔は、親とは「絶対的な存在」であり、「どんな親であっても、子供が親のことを悪く言うことは許されない」という雰囲気がありました。しかし現在は、多くの問題がオープンに語られるようになりました。

たとえば、ドイツの世間では長らく「母親であることは絶対的に幸せ」だとされてきましたが、ここ数年は「そうは思わない」「母親になったことを後悔している」と考える女性たちが#regretting motherhoodのハッシュタグのもと自身の経験を発信するようになりました。残念ながら和訳はされていないものの、ドイツで有名なのは、Sarah Fischer氏の本「母親であることがハッピーだという嘘~母親になったことを後悔しています。私が(母親ではなく)父親になりたかった理由」や、Christina Mundlos氏の本「母親であることが幸せではない時。母親になったことを後悔する現象」です。

ドイツではここ数年、不動産価格の高騰が続いており、「自分で勉強や仕事を頑張ったのに、持ち家にたどりつけない人」がメディアで話題になっています。雑誌シュピーゲル誌には、市井の人々が顔と本名を出し「学歴にも仕事の経歴にも問題がなく、ずっと働いてきたのにマンションや家の購入が難しい」と語っています。近年家を購入した人のなかには「親からの贈呈や遺産」をもとに家を購入しているケースが目立ちます。そのため、同じ経歴の人でも親の援助のあるAさんは家を持つことができ、親の援助のないBさんにそれがままならないのは不公平ではないのか、という議論がされています。最近ドイツの多くのメディアが「国にできることはないのか」という点も含めてこのテーマを取り上げています。

「親ガチャ」に匹敵する言葉こそドイツにはないものの、親に財力がないため、自分が持ち家にたどりつけないことは、「公に言って良いこと」となったわけです。親や自分の状況を冷静に分析し、上記の持ち家の件のように「問題がある」ことを発信することについて、ドイツでは自分のみならず社会全体の問題であるというふうにとらえられているため、顔出しでこの問題について語った人が「親不幸」などとたたかれることはありません。

きれい事ではすまない背景

筆者自身「親ガチャ」は「当たりだったのか」それとも「外れだったのか」と聞かれると……「当たりではあるけれど、でも……」といったところです。基本的には「当たり」ですが「もっと違う部分があったらよかったな」と思ってしまうことも。愛情面では100点満点だったと思いますし、そこに疑いの余地はありません。ただ経済面や人脈などの面において、若い頃はよく友達や知人を「うらやましいな」と思ったものです。筆者は母親が日本人、父親がドイツ人のいわゆる「ハーフ」ですが、同じハーフ仲間の中には、「ドイツ人の父親が偉い人」であるなど恵まれた立場にいた人も多くいました。そういう人は親のコネクションで、とても良い条件のインターンや仕事に「自然な流れ」でたどりついたように見えました。

親によるコネクションがゼロだった筆者は、20代で日本に来たものの、仕事探しから住宅探しまで「ぜんぶ自力でガムシャラにやる」しかありませんでした。

こういうことを書くと「もっと大変な状況の人もいる」「ワガママ」なんて言われてしまいそうですが……「親による格差について触れることはそんなにいけないことなのか?」とも思うのです。

テレビを見ていると、キャスターやワイドショーのコメンテーターなどが「親ガチャ」という言葉に否定的なことがうかがえます。しかしそうした人たちの中には、親から当たり前のように大学の費用も含む教育費を出してもらい、少なくとも経済的には子供の頃から「恵まれた立場」にいた人が少なくありません。

お金が全てではありませんが、経済的に恵まれている人の言う「親ガチャという言葉は親に対して失礼」というのは、あまりにも単純な考え方だと思います。本人は純粋にそう思っているのだとしても、「世の中の親全員が、自分の親と似ているはず」という前提のもとに発言しているように感じられるからです。「そうではない親」つまりは虐待をする親や貧困に苦しんでいる親の元に生まれた子供からしてみたら、「親ガチャという言葉を使ってはいけない」というのはある意味残酷ですし、きれい事でしかありません。

母親の視点からしたら、親ガチャは時に「子供から否定されている」と感じる言葉です。けれど、親ガチャという言葉の背景にあるものに目を向け、耳を傾ければ、「社会全体の問題」も見えてきます。それらをどうしたら解決できるのかを考えることが、多くの人の「生きやすさ」につながるのではないでしょうか。

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サンドラ・ヘフェリン
サンドラ・ヘフェリン
コラムニスト

ドイツ・ミュンヘン出身。日本在住23年。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動中。ホームページ「ハーフを考えよう!」
。著書に「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ)、「体育会系 日本を蝕む病」(光文社新書)、「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」(中央公論新社)。


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