ご祝儀を渡してばかりの人生でいいのか?と言われ、悩んでいます

「独身で祝い事なし。」と題する女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。これまで移動費や被服費込みで考えると、ご祝儀や出産祝いなどに200万円は使ってきた、という40歳代のトピ主さん。周囲から何度も「他人の祝い事に払いっぱなしだね。取り返さないの?」と言われてきたと言います。今後も結婚の予定や考えはないが、最近はこのような質問を聞き流せなくなってきており、なんと返せばいいのか……と問いかけています。

「ちょっと気まずい空気」を許可してみる

「ご祝儀を取り戻さないのか?」という発言は、結婚に対して、トピ主さんを発奮させるためだったケースが多かったそうですね。「そんなつもりでお祝いはしてないよ〜」と流しても会話は終わらず、“結婚に対する前向きな持論と説得”が続くのが恒例で、具体的なお見合いや紹介案件を提示されることもあったようです。

本文では、相手の期待に応えられない自分が少々申し訳なく感じている、とつづられていますが、一方で、その後の投稿には「田舎の地域性なのか、私に家庭内の働き手と稼ぎ手を求めるようなものばかり」「どれも本当に私のことを考えて(結婚を)すすめているのではない意図が見え隠れしていて、ウンザリします」とあり、本音では、こうした質問を不快だと感じていることが分かります。

「なんと答えればそこで会話を和やかに終了させられるか」とのことですが、和やかに収めようとするほど、相手の好奇心やおせっかいは増長することが少なくありません。親しい友人や大切な家族であれば、やさしい返し方を考えてみる価値はあるでしょうが、そうでない場合は使い分けを。相手によっては「体裁は保ちつつ、一瞬気まずい空気が流れること」を許容してみると、違った展開になりやすいでしょう。それで人間関係が完全に崩れてしまうようなことは、めったにないものです。

 「不快な質問」をうまくかわすには?

上記を前提とした上で、「相手が意図しない返し」をしてみるのは、会話の攻防において有効な方法です。相手はご祝儀うんぬんと遠回しに言いながら、真意ではプライベートな話に踏み込み、さりげなく「結婚しないのか」を聞き出そうとしているわけです。

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そんなとき、「それってもしかして、“私が結婚するべきだ”って話ですか?」と、先手でズバッと本題に踏み込んでみるのは一案です。驚いた顔をしてみたり、少しけげんな顔をしてみたり、あるいは淡々とクールにしてみたり、表情も調整しながら答えるといいでしょう。半数くらいの方は、おそらくこれで一瞬、躊躇ちゅうちょします。質問の無粋さを自覚させられたり、それ以上、切り込むのが気まずくなったりして、話題をやめてくれる可能性があります。

しかし中には、我が意を得たりとばかりに「そうそう! どうなの、結婚しないの?」などと乗っかってくる人もいるかもしれません。その場合はスッと引いて、「返答に窮してみる」のがおすすめです。おしゃべりな人の多くは、沈黙が苦手です。「うーん……」とつぶやいてから7秒ほども黙っていれば、「ごめんごめん、余計なお世話よね!」などと退散してくれることが期待できます。

人生を「実り」で評価するより「善い生き方」を誇っていこう

さて、今回のお悩みで最も気になったのは、トピ主さんの心境の変化です。「(昔は)純粋にお祝いの気持ちがあり」「その当時は聞き流すことができました」といった記述を見る限り、最近はこうした質問が引っかかるようになってきた、ということが読み取れます。

40歳代くらいは、ちょうど人生の折り返し地点。残りの人生も見えてきて、人生の実りの部分、具体的には「自分は何を築いてきたのか」「意義のある日々を過ごしてこられたか」を振り返り始める人が少なくありません。トピ主さんももしかしたら、自分の人生を“他人を祝ってばかりの人生”と捉えたことで、自分の人生の実りが少ないように感じたのではないか……と推測しました。

ご祝儀は、人付き合いを円滑にするために使われるお金です。トピ主さんはおそらく、とても人付き合いを大切にしてきた方なのではないでしょうか。多くの人の慶事を気持ちよく祝ってきたことは、一種の“善行”だと思います。

善行を積むことを「徳を積む」といいますが、実は「徳」には2種類あります。人に知られる、陽の目をあびるような善行は「陽徳」、人に知られないところで、ひそかに行われる善行は「陰徳」と呼ばれます。陽徳は表彰されたり、人に直接感謝されたりといった機会も多いので、“報われた実感”も得やすいです。一方、陰徳はそうした実感をすぐに得られるわけではありません。しかし、思いもかけないときに幸運やご褒美が返ってくることもあるのが、世の常です。

いままで不要なご祝儀まで払ってきたと思うならば、人付き合いの範囲を考え直すことを勧めます。しかし、そうではないけれど、少し報われない気持ちになっている……ということであれば、「私はそれなりに“陰徳”を積んできたと思うし、まあ、悪い死に方はしないでしょう!」などと、ぜひ自分で自分の“徳”を認めてみてあげてください。

目に見えて「実りの多い人生かどうか」という物差しではなく、「善い生き方をしていること」を誇りにしていくのも、ひとつの素晴らしい生き方だと思います。もし「他人に気を使ってばかり生きてきた」と感じているならば、今後は自分の好きなことやモノにも、もっと優先的に時間やお金を使ってみるといいかもしれませんね。応援しています。

発言小町のトピはこちら⇒「独身で祝い事なし。」 

外山ゆひら(とやま・ゆひら)
フリーライター

哲学や心理学、芸術文化の分野に関心が高く、対人関係やコミュニケーション、生き方に関する記事を中心に寄稿。産業カウンセラー・心理相談員資格有。

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