香港のとろりとした冬瓜のスープというノスタルジーに浸る

字を見るとてっきり冬のものかと思うけれど、実は夏の野菜である、冬瓜とうがん。熟した実は冬までもつというところから、この名がついたのだそうです。確かに胡瓜きゅうりやゴーヤー等、瓜科の植物は夏に盛んに実をつけるもので、冬瓜もその仲間なのでした。

冬瓜というと私が思い出すのは、私のお料理の先生と香港でご一緒する時、夏には必ず食べた、R茶室の冬瓜のスープなのでした。医食同源の、中華料理。瓜の仲間は身体から熱を出す働きをするということで、夏のスープといえば冬瓜なのだそう。

R茶室は、中環セントラルの一角にある、香港最古の飲茶店です。香港に行った時、R茶室で飲茶を食べたという方は、少なくないことでしょう。ターバンを巻いたシーク教徒の門番や、コロニアルスタイルの建物は、イギリス統治時代の面影を残しています。

飲茶というと、朝から昼に食すものなので、R茶室というと明るい時間の印象が強かった私。しかし夜は普通のレストランとして営業しているのであって、そこで夏、先生がいつも事前に注文してくださっているのが、冬瓜のスープだったのです。

手間がかかる高級料理

中華圏の人々は、家庭でも夏に冬瓜のスープを作るようです。が、レストランで食べる冬瓜スープの最大の特徴は、冬瓜をくりぬいてスープと具材を入れたなら、1個を丸ごと蒸す、というところ。

以前ご紹介した邱永漢氏の著書「食は広州にあり」にも、冬瓜のスープについての記述があります。暑気を払うとされる冬瓜のスープは、4〜5時間もじっくり蒸すのだ、と書いてありました。そうでないと、具材の味わいが、冬瓜の実に染み渡らないのだそう。

冬瓜自体はさほど高級な食材ではないけれど、そのような手間がかかるということで、冬瓜のスープは高級料理となっています。しかし中には、冬瓜だけを先に煮ておいて、後から具材を入れるというインチキスープも、あるとかないとか‥‥。

そんなわけで夏の冬瓜のスープは、その存在感からしても、お値段的にも、メインのような立場で登場します。我々はいつも大人数でしたから、出てくる冬瓜は巨大。

「おお!」

と、しばし記念撮影タイムが始まります。

巨大な実に暑苦しさを感じていた清少納言

大きな冬瓜を眺めつつ、私は枕草子の一節を思い出していました。「草の花は」として、好きな花を羅列する章段があるのですが、そこで清少納言は、

「夕顔は、朝顔に似てとてもすてきな花だけれど、実のあり様が残念。どうしてあんなに大きくなってしまうのかしら」

と書いているのでした。

夕顔の実といえば、紐状に切って乾燥させれば、ご存知かんぴょうとなります。そして夕顔の実は、大きいもので30〜40センチにもなるのですが、こちらもまた瓜科の仲間なのでした。西瓜すいかにしてもそうですが、瓜科の仲間たちは時に、人が持ち上げるのも一苦労なほどの大きな実を結ぶのです。

清少納言としては、どうもそれが気に食わなかった様子。朝顔に似た繊細な花を咲かせるというのにどうして実がドテッとしているの、とご立腹なのです。

しかし瓜科の実が大きいからこそ、我々は夏に西瓜割りをしたり、冬瓜のスープを楽しんだりすることができるわけです。平安時代、西瓜はまだ日本に入ってきていなかったようですし、もちろん清少納言さんは冬瓜のスープの味もご存じない。巨大な実に、暑苦しさを感じるのみだったのでしょう。

ものすごく高級なおでんの大根、といった味わい

そんなことを思いつつ、1000年後の我々は、お店の人が取り分けてくれた冬瓜のスープにありつきました。それは様々な肉類やハスの実等がいい味を出していて、すっきりしながらもこくがあります。何時間も丸ごと蒸しただけあって、冬瓜にはスープがしっかりと染み渡っていてトロリとし、ものすごく高級なおでんの大根、といった味わいです。

このスープを飲んだからといってすぐに体が冷えてくるわけではありませんが、中国の人々が昔から夏に食べていたものだと思えば、いかにも効きそう。家では決して作ることができないありがたいスープを、最後の一滴まで堪能したのでした。

時は、真夏。だというのにその後の香港滞在中、私はどことなく涼しく過ごすことができた気がするのは、どこもかしこも真冬のように冷房が利きすぎている香港流の「おもてなし」のせいだけではなく、冬瓜のスープ効果もあったのかもしれません。

ここしばらく、私は香港に行くことができていません。冬瓜のスープを含め、あの味この味を思い出して「行きたい」「食べたい」と思うものの、ウイルスの影響で我々はまだ海外に自由に行くことができませんし、また香港では民主化運動への取り締まりが強まり、情勢は不安定。

次に行った時は、もう昔のような香港ではなくなっているのかもしれません。かつてあったお店がなくなったり、かつての味が変わっていたりすることもあるだろうなぁ。‥‥と思うと、たまに冬瓜が4分の1くらいにカットされてスーパーに並んでいるのを見ると、「自分でスープを作ってみるか?」という思いが頭をよぎるのです。

しかしやはり、丸ごとの冬瓜スープをわいわいと食べる祝祭感が好きだった私としては、切り身の冬瓜が、どことなく寂しい。いつかまた、丸ごと蒸した冬瓜のスープに出会える日を夢見つつ、「とりあえずこれでもかじって、体を冷やそう」と、普通の胡瓜をカゴに入れるのでした。
 

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酒井順子
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト

高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。2021年に「処女の道程」(新潮社)、「鉄道無常」(KADOKAWA)を出版。

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