マジなの、ボケなの? 「なんでだよ」に込められた勇気と優しさ

大学時代、焼き肉屋で友だちを怒らせたことがある。

店員さんがテーブルまでやってきて肉を焼いてくれるタイプの店だった。私たちの席では若い店員が、サイコロステーキにものすごくきれいな焼き目をつけている。あんまりおいしそうに焼くものだから、思わず「焼くようになられてから長いんですか?」と尋ねてしまう。

その店員はちょっと考えたあとかすかにほほ笑んで、「20年ですかね」と言った。

「20……焼くのが難しい肉とかあるんですか?」
「いや、僕はサイコロステーキだけなんですよ」
「エッ、専門……?」
「サイコロ専門で20年やらせてもらってます」

なんてストイックなんだと思った矢先、私の隣に座る友だちが「いやお兄さん何歳から肉焼いてんですか」と口をはさむ。その言葉を聞いた店員さんは弾かれたように笑い出し、「バレました?」と言い残して厨房ちゅうぼうに戻っていった。あ、そういう冗談だったのかと気づくと同時に、友だちがこちらを凝視する。

「ボケを殺さないで」
「ご、ごめんなさい」
「だいたい『焼くようになられてから長いんですか?』も変だったよ」

言われてみるとたしかに、と思う。歳も私たちとさほど変わらなそうなあの店員さんがこの道20年の、しかもサイコロステーキの焼き目専門のプロであるはずなんて、ぜったいにない。彼からしたらツッコむなり笑うなりしてほしくてああ言ったのだ。友だちは手元に取り分けたステーキに薫製のにんにくチップをのせながら、「そういうところあるよ」と言った。私は申し訳なさとショックとで肉に手がつけづらくなり、わかめスープばかりやたらすすっていた。

ツッコミが暴力になる瞬間が怖い

ツッコミが下手だ。何年か前、別の友だちがふざけて、視力検査用のメガネをつけて待ち合わせに現れたことがある。「Zoff寄ってから行くね」という丁寧な前フリまであったのにもかかわらず、彼に会った私はあきらかに異様なそのメガネをスルーして、あろうことか全然関係ない話(「シン・ゴジラ見た?」)をはじめてしまった。「ちがうちがうちがう」と友だちに言われてはっとする。たしかに気になってはいた、いたけれどそういうファッションかと思ったから……と情けない言い訳を早口で述べる私に、友だちは力なく「メルカリで買った」とだけ言った。メルカリは本当になんでも売っていてすごい。

むかし、バラエティー番組で「電話中に物を渡されると人はなんでも受け取ってしまう」という仮説を実証する企画があったけれど、たしか大型犬がつながれたリードを電話中に渡されたガンバレルーヤのよしこさんが「アッお疲れさまです……」とお辞儀しながら犬をごく自然に引き受けてしまって、スタジオが爆笑に包まれていたのを思い出す。放送を見ながら私も泣くほど笑ったけれど、でも、わかる。わかるよ。仮に電話中じゃなくても、目の前に現れた仕事関係者がとつぜん犬を手渡してきたら、私はありがとうございます、と言ってたぶんふつうに抱きかかえる。なんでだよ、とかぜったいに言えないし、ハシビロコウくらいフェーズが進行するまでは「エッ?」とすら口に出せないかもしれない。

犬と遠くを見つめる女性の写真

怖いのだ、それがボケじゃなかったときが。言動を笑うことは、その対象を「笑っていいもの」とみなすということだ、当たり前だけど。ボケとツッコミがそれぞれの立ち位置を自覚している「お笑い」というフォーマットの上では両者は対等でいられる。けれど「無自覚なボケ」(のようにも受け取れるもの)が場に発生したとき、それを指摘して笑うことでツッコミには優位性が生まれる。いちばんわかりやすく最悪な例は、人の言い間違いを執拗しつように指摘して笑いに変えようとするような行為。そういうタイプのツッコミを自分が無自覚に人にしてしまう可能性をできるだけ排除したい、と思ってしまう。

同時に、ツッコミは、場に第三者がいた場合、そのネタに「笑える人」と「笑えない人」を明確にするガイドラインのような役割を負うことがある。たとえばAさんが何か差別的なことを言ったとして、私がそれに乗っかってツッコむ。Bさんは笑わずに黙っている。するとAさんはおそらく私のことを「ネタをネタとして理解して笑ってくれる人」と思うだろうし、Bさんは即興的に生まれたその場の空気から「排除されている人」になる。笑いが持ちうるそういう暴力性が私は怖いし、ムカつくから、それなら笑わない側(笑えない側でもべつにいい)でいたい。極端な話だと思われたかもしれないけれど、こういうことってものすごくよくある。

ただ、それが視力検査用のメガネをつけてきた友人をスルーすることに直結していいかと言われると、ぜったいちがうよなとも思う。私がしていることはあまりにも消極的な気遣いで、言ってしまえば対話の放棄なのだから。マジなのかボケなのかどっちだ?という瞬間に立ち会ったとき、反射的に「なんでだよ」と言えるのはある種の勇気だし、やさしさでもあると思う。それで万一相手を傷つけたり誤解が生じたりしたならば誠心誠意謝ればいい、という覚悟が私にはないのだ。

「急に切ったらびっくりします?」

ツッコめない自分のことをダサいなあと思う。なんであのときツッコめなかったんだ、と思う瞬間は振り返ればきりがない。

いちばん明瞭に覚えているのは、5年前、胸の腫瘍を取り除く手術を受けたとき。手術台に横たわる私に近づいてきた執刀医が、「じゃあこれから局所麻酔していきますので」と言った。

「痛いですか」
「刺す瞬間は痛いですね。でも効いてきたらもう、いくら切っても縫っても痛くないんで」
「……急に切ったりしないですよね?」

私が笑いながらそう尋ねると、執刀医は真顔で「急に切ったらびっくりします?」と言った。します。そりゃしますよ……と思った瞬間、左胸に激痛が走った。

「エッ?」と思わず口に出す。執刀医の顔はもう見えない。麻酔ですよね? 急に切ってないですよね? 複雑な顔をしている私をよそに、手術室のメンバーが笑っている気配がする。和やかな人たちだなあと思う反面、頭のなかは完全にパニックになっている。そんな。でもいまのボケ、めちゃくちゃおもしろいなあ。すぐになんか言うべきだったなあ。いつかエッセーに書いてやる。そう思いながら、私は半笑いを口元に浮かべ、全身から汗をだらだら流している。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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