自分が大事で、無条件に人を愛せない。一生独身かもと葛藤します

「私は一生、自分のことしか愛せないかもしれない」と題する女性からの投稿が、掲示板サイト「発言小町」に寄せられました。4年間交際した相手への気持ちが冷め、別れを考えている……というトピ主さん。以前に一度、「友達のような感情しかないのに打算で結婚した」経験もあるそうで、「結局、私は自分のことが大事なだけで、誰かを無条件に愛し続けることは出来ないのかも」と心境を吐露。「このまま一生、独りで生きていく運命なんでしょうか」と問いかけています。

長期のパートナーシップには、協調性や理性も必要

まず気になったのは、「誰かを“無条件に”愛し続けることは出来ないのかも」という言及です。「無条件に愛し続けること」ができないと、誰かと一緒に生きることは難しいのでしょうか。多くの既婚者に聞いても「そんなことはない」と答えると思います。

自分の命を犠牲にしてでも相手を助けるような深い愛情が世の中に存在しない、とは言いません。ただ実際には、さまざまなエゴも含みながら、誰かと一緒に生きている、という人は少なくないと思います。「無条件の愛情=見返りを求めない献身行動」と定義するならば、「本当の意味で“無条件”に愛せるのは子どもやペット」といった男女の本音も耳にしますし、親子間でも、利害得失を意識したり、見返りを期待する気持ちを持つ人はいます。

なかには、本人が愛ゆえの言動だと思っていても、相手を攻撃して傷つけている例も。子孫を残す本能を除けば、結局は生物として、他人よりも自分という個体を優先するのが自然なこと……といった極端な見方さえもできるでしょう。

そのような現実がある中で、世間体などの縛りも少なくなった現代の私たちが、誰かと長く一緒に生きるために「絶対に必要なもの」とは、なんなのだろう――。それを改めて考えてみたところ、他人と協調して歩んでいくための努力や配慮ができる“理性”ではないかと思うに至りました。

当方の見解ではありますが、もしかしたら“無条件に人を愛せる人間”になることよりも、誰かと互いに協調し合える関係を築くための“理性を発揮できる人間”になることが、独りではない人生を送る秘訣ひけつなのかもしれません。「私は自分の気持ちのままに生きる自由を謳歌おうかしたい」「他人に振り回される人生は嫌だ」ということならば、長期のパートナーシップにこだわらず、独りで自由に、あるいはその時々で感情や価値観が合う人と過ごすのも一つの選択かと思います。

独りのつらさを掘り下げ、“自分”を見つめてみよう

続いて、「独りで生きていくことのつらさや難しさ」についても、考えを巡らせてみました。身近に助け合える相手がいない不便さや、自分以外の人間に煩わされることが少ない分、その先で得られる喜びや感動も少なくなる……といったことは多くの人に共通する点でしょう。

また、「仮に自分の命が途絶えても誰も困らない」という感覚になりやすく、生きる活力や生への執着を持てなくなる瞬間がある、ということも挙げられるかもしれません。先日、内戦の危機にある国の方々が「家族のためなら頑張れる」「愛する人がいるから生き延びたい」等々と語る場面をドキュメンタリーで目にしたのですが、そのように自分よりも大事と思える存在や、生きる理由になる存在がいないことによる“心もとなさ”も、独りで生きるつらさや不安の一部と言えるかもしれません。

ただ、今回の投稿を見る限り、トピ主さんはそのような家族との強い絆を求めているわけではないような印象も受けました。「昔から家族に対する愛情も薄い」「干渉しない家族関係」「関心がないのかな」とありますし、離婚も今回の別れも自分から言い出した、とのこと。「どのような存在、どのような関係性を築ける相手となら、自分は“独り”だと思わずに生きていけるのか」という点について、一度熟考してみてはいかがでしょうか。もしかしたら、それは恋愛感情を持ち合える異性とは限らない可能性もあるでしょう。大切にできるペットや気楽な同性の友人であったり、あるいは打ち込める趣味や熱心なファンとなれる対象だったりするかもしれません。

“足りないもの”に囚われる人生にしないために

大手小町「恋活小町」コラムのイメージ画像

「自分はそれなりに恵まれている」と思って生きるのか、「あれやこれが足りない」と思って生きるのかで、人生の見え方は大きく変わってきます。お金や病気、介護に関する言及がないところを見ると、トピ主さんには安定した仕事、もしくは財産があり、現状、親も自分も健康で、気持ちのままに生きる自由があるのだろうと推測します。世界的に見ても安全な国に暮らしており、女性が自力で生きられる時代であることも“当たり前”ではありません。

そう考えれば、既にかなりの幸せの要素を手にしているために、トピ主さんの人生に足りないピースは、あとは愛し合えるパートナーや自分で築く家族のみで、それらがないことに“不足”を感じてしまうのかもしれません。愛を求める気持ちは自然なことですが、足りないものばかりを意識する癖が付いてしまうと、仮に良い状況になっても、幸福感は得にくいです。世の中にはあらゆるものを手にしていても、「自分にはまだ〇〇がない」「今度は〇〇が欲しい」「これもいいけど、あっちも欲しい」などと際限なく求め続ける人もいます。

足りないものに目を向けているとき、人は日々のポジティブな選択ができにくいです。そうならないためにも折に触れて、意識的に自分にあるものを慈しみ、「私の人生も、まあ悪くないよね」「自分にあるものを大事にしよう、感謝しよう」といった心の整頓をしてみるのはおすすめです。それは欲に振り回されず、心健やかに生きていくための、一つの賢明な方法だと思います。先々を悲観しすぎず、「今ある自分の人生を愛する心持ち」を磨いてみると、見える世界も違ってくるかもしれません。応援しています。

発言小町のトピはこちら⇒「私は一生、自分のことしか愛せないかもしれない」 

外山ゆひら(とやま・ゆひら)
フリーライター

哲学や心理学、芸術文化の分野に関心が高く、対人関係やコミュニケーション、生き方に関する記事を中心に寄稿。産業カウンセラー・心理相談員資格有。

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