美人画の系譜に残したい女性画家…知る人ぞ知る柿内青葉の全体像

柿内青葉(かきうち・せいよう、1890~1982年)は東京に生まれ、大正から昭和にかけて活躍した日本画家。当時、まだ珍しかった女性の画家としては上村松園(1875~1949年)の少し下、池田蕉園(1886~1917年)や島成園(1892~1970年)らとほぼ同じ世代といえばイメージしやすいでしょうか。

青葉作として確認されている作品は極めて少なく、本展でも作品やスケッチなどの展示は20数点にとどまります。一方で、遺族らから寄贈を受けた書簡や画材など制作過程を知る上で貴重な未公開資料を一堂に展示。知る人ぞ知る存在であった青葉の全体像を初めて世に問う意欲的な内容です。

官吏の家に生まれた青葉は1905年(明治38年)、15歳で私立女子美術学校(現・女子美術大学)に入学。当時、女性が入学できなかった東京美術学校(現・東京藝術大学)に対して、1900年に発足した女子美術学校の創成期の学生で、高等教育を受けた女性画家のはしりということになります。

清方門下の優等生

5年間学んで日本画科本科普通科・高等科を卒業後、美人画の第一人者だった鏑木清方の門下に入り、入門から2年後には師匠に代わって若い女性の門弟の指導を託されました。

男性陣の教育を任されたのが伊東深水ということを考えても、清方からその技量や人柄が高く評価されていたことがうかがえます。1917年(大正6年)からは母校の女子美術学校でも教鞭を取りました。

1921年に帝展に初入選。4年後の帝展に入選した《十六の春》は、東京朝日新聞付録カレンダーの図版に選ばれ、広くその名が知られるようになりました。

女性日本画家、柿内青葉の代表作「十六の春」
《十六の春》1925年(大正14年) 女子美術大学美術館蔵

1926年(大正15年)の5月からは、朝日新聞に連載された田山花袋の小説「恋の殿堂」の挿絵を手掛けました。その作業と並行して制作された《月見草咲く庭》も帝展で入選。以後、第8回《春のをとめ》、第9回《嫁ぐ人》、第11回《十字街を行く》と意欲的に帝展に出品、入選も果たしました。

大作の《嫁ぐ人》は、嫁入りの決まった姉の髪を妹が結う仲睦まじい情景で、どことなく別れを間近にした寂しさもにじみます。青葉に姉妹はおらず、母を9歳で亡くし、芸術家志望の娘を応援した父も28歳の時に死去。その後、青葉は家族を持ちませんでした。同展を担当した藤田百合学芸員は「青葉自身の肉親の情への強い思いが投影されている」とみます。

画家とモデル、の深いつながり

本展では画家とモデルとの関係も注目です。《十六の春》など青葉の主要作のモデルを務めたのは、青葉の弟子だった下山花枝さん(1910~2013年)でした。

柿内青葉の作品《十六の春》のモデル、下山花枝さん(18歳頃)
《十六の春》のモデル、下山花枝さん(18歳頃)

美貌で名高く、《十六の春》が出品された帝展には、別の画家が花枝さんを描いた作品も並ぶほど。1929年(昭和4年)6月に、パリで開催された巴里日本美術展覧会に出品された《春の装ひ》もやはり花枝さんがモデルでした。前年の帝展を視察した駐仏大使が作家を選び、出品を依頼。花枝さんにモデルを依頼する手紙の中で、青葉は「折角外国へ出すのですから日本の美しいお嬢さん書いて出品できたらば」と熱意を露わにしていました。

青葉は《十六の春》を終生、手元に置いており、「二度と描けないのでとても大切にいたして居ります」と記すほど。花枝さんが《十六の春》で身に着けていたかんざしについても、ずっと大事に保管してほしいと手紙で花枝さんに懇願していました。

二人の手紙のやりとりは晩年まで続き、作品やその創作過程が互いにとってかけがえのない記憶になっていたことが分かります。藤田学芸員は「単なるモデルというレベルではなく、人物画の創作の上で『この人を描きたい』という熱意がいかに決定的なものなのか、ということを感じます」といいます。

青葉は1982年(昭和57年)に92歳で死去。外部に作品を発表する活動は1933年(昭和8年)以降見られず、作家としての活動は20年あまりと決して長いものではありませんでした。後半生の大部分は静岡県沼津市にひとりで暮らし、時に女子美術大学や清方一門の行事に出席するぐらいで、あまり丈夫ではない身体をいたわる生活が続きました。

女性画家の柿内青葉
柿内青葉 自作の《嫁ぐ人》の前にて

短いとはいえ一時期、美人画家として活躍した青葉が戦後、あまり顧みられなくなった背景について、藤田学芸員は「現存する青葉の作品点数が少ないことも関係しているのではないか」とみています。

一方で開学以来、芸術を通して女性の自立と社会的地位の向上を目指してきた「女子美」にとって、先駆者としての青葉の業績は大切なものです。本展では青葉の画業の理解を深める意味で、青葉と同門や、女子美術大学に縁の深い女性画家の作品を展示しています。

寺島紫明(1892~1975年)は1913年(大正2年)、鏑木清方に入門。北八代(1908~1996年)は、1929年(昭和4年)、女子美術専門学校日本画高等科卒業。《たちあおい》は近代の典型的な美人画。三谷十糸子(1904~1992年)は1925年(大正14年)、女子美術学校日本画科を首席で卒業。1971年から1975年に女子美術大学の学長を務めました。

同時期の美人画、あるいは後進と比べて、青葉の作品は正統的で、かつどこか憂いを帯びた表現が特徴的です。晩年まで青葉と手紙のやり取りを続けたモデルの下山花枝さんが、青葉を評して「孤独な人」と言っていたそうです。

それが生い立ちなどからくるものなのか、女性画家としての厳しい歩みからくるものなのかは分かりませんが、美人画の表現の歴史の上でも、ジェンダー的な意味においても、今後も研究の深化が待たれます。

作品として判明している点数が少なく、個人が所蔵しているものが少なくないと考えられており、本展のような取り組みをきっかけに、隠れていた作品が発掘されることにも期待されます。

(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)

女子美術大学美術館コレクション 柿内青葉展

会場 女子美アートミュージアム(相模原市南区麻溝台1900 女子美術大相模原キャンパス)
会期 5月19日(水)~6月26日(土)
開館時間 午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日 日曜
入館料 無料

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