「故郷としての東京」に思うこと

東京のことを語るとき、いつもうっすら無理している

出身地を聞かれて東京と答えるとき、いつもなんだかはずかしい。うそなんかついていないのに、うっすらと相手をだましているような気分にさえなる。

東京の最北部である板橋区の、橋をわたれば10分で埼玉県に着く街で育った。なにがあるところなの? と聞かれると心底こまってしまう。荒川とイオン、あと……と言いかけてもう言葉に詰まるくらい、これといった見どころのない街なのだ。

『アド街』でかつてわが地元の特集が組まれたとき、名所ランキングの2位が「公園がいっぱい」、1位が「団地」だったといえば、その見どころのなさをわかってもらえるのではないかと思う。映すものがなさすぎたのか、小学生たちが道端でケイドロをしているシーンが1分近く放送され、あの“街に詳しい山田五郎”でさえ「住みやすいと聞いています……」とコメントしたきり黙ってしまっていた。『アド街』で寡黙になる山田五郎、見たことないでしょう?

けれど、そんな地元のことを「東京」と呼ぶのがはずかしい、と言いたいわけではない。田舎だといったらさすがにうそになるし、都心の騒がしさや部屋の狭さが嫌な人にとってはたぶん、暮らすのにうってつけの街だ。ただ、「東京出身」という荷がどうにも自分には重すぎる、と感じることはある。厳密にいえば、東京の街自体に貼られた「東京」というラベルが強力すぎるのでは? と。

団地と公園の写真

君がいない、星の見えない、魔物が潜む街「東京」

すこし前にある雑誌の「東京」特集を読んでいたら、東京出身の俳優がインタビューに答えているページがあった。思い出深い場所は? とか、いま好きなお店は? といったごくふつうの質問がしばらくつづき、ほうほうと読んでいたら、最後にとつぜん「自分を見失わずに東京で生活するコツはありますか?」という問いがきて、エエッと思う。その俳優も困ったのか、「好きなところを見つけることですね」という、意味を極限まで希釈したような回答で記事が締めくくられていて愕然がくぜんとしてしまった。

もちろん、東京に“自分を見失ってしまう”ような側面があることは感覚としては理解できるし、人であふれた都心の交差点をわたっているときに、「すごい街にいるな」と感じることはたしかにある。けれど、どうして自分の生まれ育った場所のことを、無防備でいる限り自分を見失う街だと他人に勝手に定義されなきゃいけないんだ、と軽いいらだちは覚えずにはいられない。

冒頭に書いたとおり、私は出身地そのものにマイナスの気持ちはない。ただ、「出身どこ?」に「東京です」と応答した途端、「ああ、東京の人ね……」という微妙な空気になることが多すぎて、そう公言することがいつからかプレッシャーになってきてしまった。

自分には人並みの義理みたいなものもあれば薄情な部分もあると思っているのだけれど、私の欠点は勝手に「東京出身」だからという理由に回収されがちだ。嫌だなと感じる人と縁を切れば「東京の女は怖い」と言われ、虫を殺せないと言えば「これだから都会っ子は……」となる。

おそらく京都出身の人やB型の人なども、勝手に「陰湿」とか「自己中」とかいうイメージを植えつけられる理不尽さをしばしば感じているのではと思うのだけれど(しんどいですよねあれ)、私のアイデンティティー、そんなに東京由来のものだけですかね……? といつもむなしくなる。

さらに言うと、「東京」という言葉そのものに関してはもう、公然と悪者とみなしてOKという空気が浸透しすぎている。いちばん顕著なのは、J-Popのなかで東京が歌われるときの扱いだ。「東京の狭い夜空」あたりはまあ、実際狭いですもんね……と納得する。けれど「かりそめの夜」とか「灰色ランドスケープ」と言われると、ちょっと雲行きが怪しくなってくる。か、かりそめ? そして「損得勘定まみれ」「憎たらしいこの空」などになってくるともう、東京はわかりやすく悪役だ。ごめん、でも、そこまで言わなくても……という気持ちが湧いてくるのを隠せない。

東京の名前を冠したヒットソングの多くに共通しているのは、一見なんでもあるけれどじつは虚しい、君だけがいない街──というイメージだ。私は東京をこう歌われるたび、正直「大きなお世話だよ、自分から会いに行けばいいじゃんかよ」と口を出したくなってしまう。

高校生のときに読んだ浅野いにおの名作『ソラニン』のなかには、“東京には魔物が潜んでおります”という印象的なフレーズがあった。大好きな漫画なのだれど、生まれ育った街が魔界都市あつかいされていることに関しては、いまだに若干納得がいっていない。

「アカウントが1個しかない」心もとなさ

地下鉄に立つ女性の写真

地元がいわゆる「都会」的な東京のイメージからははるか遠い街であること、そして「東京出身」のイメージが冷たいとか薄情という言葉に結びつきすぎていることが、東京生まれだと口に出すことがはずかしい、とはじめに書いた大きな理由だ。けれどもうちょっと正直に言えば、ほんのすこしの後ろ暗さというか、東京以外の街を“故郷”と呼べる人に対して「いいなあ」という素朴なうらやましさを感じることはある。

私には生まれたときから板橋の実家以外の“故郷”がない。父方・母方のどちらの祖父・祖母も東京の下町生まれだったし、親戚に信州出身の人たちがいるにはいたらしいのだけれど、早くに他界してしまって会えずじまいだった。だからお盆や年末年始、友人たちがみな実家や田舎に帰省してしんとした東京の地下鉄に乗っていると、私も帰りたい……というなんとも言えない気分になることがある。

前に同じく東京以外に帰省先がない友人と話していて、この「帰りたさ」ってなんなんだろうね、となんの気なしに聞いてみたら、「なんか、周りはみんな東京に出てきて違うフェーズに入ってるのに、私たちずっと同じフェーズにいるっていうか、アカウント1個しかないみたいな心もとなさがあるよね……」と言われたことがある。

本当にそうだ、とそのとき思った。旅に出ても違う都市にしばらく住んでみても、結局戻ってくる場所が東京だと、素の自分に戻るとか落ち着く場所に帰ってくるという感覚が希薄で、彼女の言うとおり、1個しかないアカウントを無理やりずっと稼働させているような感じに近い。時折ログアウトして別アカに入れるものなら入りたい、と思う。

でもこれから先、東京から離れた知らない街で長いあいだ暮らして東京に帰ってくることがあったら「私の街」って急に思うかもしれないね、と彼女に言われて、そうか、私はまだ故郷以前の場所にいるのかもしれないなと思った。郷土愛とか地元愛みたいなものがあんまりわからないから、街のことを話してほしいと人に言われたとき、いつもうっすら無理している。

だからこのエッセイもどこか雲をつかむような手つきで書いている、というのが素直なところだ。いまは、いつかもっと胸を張って地元のことを語れるときがくるかもしれないからもうすこし待っててね、魔界都市って言わせてごめん、とさしあたり東京に伝えたい。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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