わずか数年ですが、会社員生活をしたことがあります。大学を卒業して入社した会社のオフィスは当時、東京の丸の内と神田に分かれていましたが、8割がたが丸の内勤務だったので、自分も当然、丸の内オフィスに配属されると信じ込んでいた私。
しかし研修期間を終えて配属されたのは、まさかの神田でした。丸の内での新入社員生活という夢が打ち砕かれ、「えっ‥‥」と思ったものの、通ってみると神田は楽しい街でした。オフィスは神保町の隣町だったので本屋さんは行き放題だし、おいしい食べ物屋さんもあちこちに。
神田に配属されたのは5月のことでしたが、しばらくしてから先輩社員に連れていってもらったランチのことが、忘れられません。その日は初夏の陽気だったので、
「今年初の冷やし中華でも行くかな。冷やし中華発祥の店があるの、知ってる?」
と入ったのは、神保町のY菜館というお店でした。
作るのには手間がかかるが、あっという間に食べ終わる
このお店で供する“元祖冷やし中華”は、昭和8年に誕生したとのこと。富士山のようにそびえ立つ麺を、きゅうりや焼き豚といった具材が覆い、頂上部分には錦糸卵がのっているという美しいシェイプ。
冷やし中華は、熱々の麺ではない分、あっという間に食べ終わるものです。しかし、錦糸卵を焼いたり切ったり、他の具材も細く刻んだり、麺を茹でたり冷やしたりと、作るのには非常に手間がかかる。家庭において、
「冷やし中華でいいよ」
などと誰か(主に夫)が言おうものなら、
「冷やし中華『で』とは何なのよ。『で』がムカつく!」
と、作り手の逆鱗に触れがちなことでも知られる食べ物です。
新入社員時代の私はまだ実家住まいで、料理は親がかり。冷やし中華を作るのがいかに面倒かはよくわかっていませんでしたが、Y菜館の元祖冷やし中華(正式名称は「五色涼拌麺」)は、見るだけで「手間がかかっている!」と思わされる作りであり、一口食べると、町の中華屋さんの冷やし中華よりも、何やら洗練された味わい。お店自体は明治39年の創業という老舗なのだそうで、ますますありがたみが増してきます。
中国の新しい時代への鳴動が、東京を舞台に始まっていた
神保町の書店に行った後にはカレーとコーヒーをたしなむというのが本好きには定番コースなのだそうで、神保町は個性豊かなカレー屋さんがそこここにある、カレーの街でもあります。私も神田勤務になってから、色々なカレー屋さんに行ったのですが、ふと気がつけばY菜館のみならず、神保町には老舗の中華料理店が点在していました。
「カレー屋さんも多いけど、神保町ってけっこう、中華屋さんも多いですよね?」
と先輩に問うてみると、
「神保町って、昔は中華街だったからね」
とさらりと教えられ、私は思わず、冷やし中華の甘酸っぱいタレにむせるほどに驚いたのです。
中華街といえば、横浜や神戸や長崎といった港町が思い浮かぶのであり、神保町は本(とカレー)の街、としか思っていなかった当時の私。まさか東京にも中華街があったとは‥‥。
明治後半から大正前半にかけて、日本には多くの中国人留学生が訪れていたのだそう。その頃、中国大陸は清朝の末期という時代でした。孫文、周恩来、魯迅、蒋介石‥‥といった、そうそうたるメンバーが日本で学び、中国の新しい時代への鳴動が、東京を舞台に始まっていたのです。
神保町にあった東亜高等予備校に多くの中国人留学生が学んでいたこともあり、神保町には、留学生向けの料理を出す中華料理店ができるようになりました。かくして神保町は、チャイナタウンとしての顔を持つようになったのだそう。
横浜など、商売のために日本にやってきた華僑たちがひらいたチャイナタウンとは異なる成り立ちだった、神保町中華街。留学生の街であった神保町は、留学生が帰るとチャイナタウンとしての顔を失っていきますが、留学生たちの胃袋を満たした中華料理店の中には、その後も続いていく店も。新入社員だった私が元祖冷やし中華を食べたお店も、その一つだったのです。
消えぬ神保町への愛
神田の配属になったことに当初は落ち込んでいた私でしたが、神保町がかつては中華街だったことを知ると、
「この配属は、運命だったのかも!」
と、思うようになりました。神は中華好きの私であるからこそ、この地を与えたもうたのではないか、と。
神保町は大好きだったものの、あいにく会社員という職業に全く向いていなかった私は、3年で会社を去りました。しかし神保町への愛は、今でも消えていません。定期的に通って書店を眺め、会社員時代から行っていた紅茶屋さんに入って本を広げながら紅茶を飲む、というのが定番のコースですが、初夏になると食べたくなるのが、Y菜館の元祖冷やし中華なのでした。
元祖冷やし中華は、今も変わらず、富士山形です。孫文や魯迅がこの辺りをそぞろ歩いていた時代を思い返しつつすすっているといつも、
「神保町って、昔は中華街だったからね」
と教えられた日の驚きを思い出して、醤油色の甘酸っぱいタレに、軽くむせそうになるのでした。