SDGsで中国の「食べ残し文化」が終わる?面子より大切なもの

かつて仕事で中国に行った時、立派なレストランで地元の方と食事をする機会がありました。前菜、肉、魚、海老、野菜にスープ‥‥と、豪華なお料理がじゃんじゃん出てきます。

どれも美味しくて、最初のうちは夢中で食べていたのですが、あまりにも料理の量が多く、とても食べきることができません。それでも、ホストである中国の方は料理を追加しようとするので、

「十分にいただきましたので、もうこの辺で‥‥」

と、そっと通訳の方に伝えました。

すると通訳の方は、

「食べなくて大丈夫です。食べきれないほど頼むのが、中国の習慣なんですよ」

と教えてくれたのです。

えっ、そうなの? ‥‥と、私は驚愕きょうがくしました。日本人に基本的にたたき込まれているのは、「出されたものは残さずに食べましょう」という姿勢。全て食べることによって、食材生産者や料理を作ってくれた人へ感謝を示すことになるのだから、と。

会食の席では、他の理由もそこに重なります。全て平らげないと、「あまり美味しくありませんでした」ということになってしまいそう。特に、「この食事はもしかすると、先方がご馳走ちそうしてくださるのかもしれない」という予測が立つ席において我々は、普段以上に必死になって平らげようとするのです。

ですから中国での会食の席でも、私は最初のうち、「国際交流のために」くらいの気合をもって、血眼になって皿を空にしていました。が、中国においては大皿を空にすると、「食べ足りない。もっとよこせ」の意になるとのこと。皿に料理を残すことによって、「十分に食べています」ということになるというではありませんか。

その話を聞いて、ようやく箸を止めた私。「残しても、いいんだ‥‥。ていうか、残さなくてはいけなかったんだ!」と、衝撃を受けたのです。

中国流のおもてなしが抜けない

同じ箸の国だというのに随分感覚が違うものですが、とはいえ昨今の中国では、さすがに大量の食べ残しが問題となっている模様。「全て食べきりましょう」という動きが起こり、習近平シージンピン国家主席も、残さず食べることを推奨しています。

そんな中で最近、とある知人とランチを共にする機会がありました。会場は、すてきな和食のお店。既に先方がオーダーをしてくださっており、次から次へとご馳走が‥‥。

さほど大食ではない私は、その料理の量におじけづいてきました。そしてついに、

「あのぅ、こんなにいただけないかもしれませんので、本当にもうこの辺りで‥‥」

と懇願。

すると先方は、

「あ、すいません、つい向こうの習慣で頼みすぎてしまいました!」

と、おっしゃいます。

思い起こせばその方は、仕事で中国駐在が長かったのでした。

「残るくらい注文しなくては、という癖が抜けなくて‥‥」

ということではありませんか。場所が日本で料理は和食であっても、それは中国流のおもてなしだったのです。

日本の「面子」はヤワなもの

そこで中国の食事文化についての話となったのですが、中国では基本的にワリカンという行為も、あまり見られないのだそう。食事を共にするということは、どちらかが何らかの目的を持って相手を誘うわけで、誘った方が全て払わなければ、「面子めんつ」が立たない。またご馳走するのであれば、余るほどに頼まないとやはり「面子」が立たないのだ、とのこと。

そういえば中国の人々にとっては「面子」がとにかく大切だ、という話はよく耳にします。だから簡単には謝らないし、バカだと思われるので、簡単に笑うこともない。会食の席で料理を残すということは、相手の面子を大切にすることだったのか。‥‥と思うと、中国で必死に料理を平らげていたかつての自分を止めたくなってきます。

日本にも面子という言葉はあり、それが立つの立たないのといった話はあるものです。しかし我が国における面子など、中国のそれと比べるとヤワなものに思えてなりません。我々は、

「あっ、すいません」

と挨拶のようにすぐに謝るし、何らおかしくなくても、「笑顔が一番」と、すぐに笑うもの。言葉は同じ「面子」でありながらも、日本人の感覚とはかなり異なるのではないか。

SDGsが「面子」に勝利?

そんな中国で、食べ残しをやめるという運動が起きているのは、大きな変化と言っていいのでしょう。SDGs的な感覚が、面子に打ち勝った、ということなのか。

対して日本では、山のように料理が供され、食べきれないと、

「減ってないよ? 食べて食べて!」

とか、

「お口に合いませんでしたか?」

などと言われることがあるものです。私などはそれを言われるのがつらくて、今となっては定量を食べきらなくてはならないコース料理に恐怖すら感じます。

対して、好きな言葉は、

「食べきれなかったら持ち帰りもできるので、無理しないでくださいね」

というもの。人によって適量は様々であるわけで、「食べきらなくてはならない」という文化も少し変わってほしいものよ、と思います。

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酒井順子
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト

高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。11月に「ガラスの50代」(講談社)を出版。

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