カニを食べながら会話を続ける方法とは?

「春江水暖~しゅんこうすいだん」という映画を見てきました。若き中国人監督によるこの作品は、中国・杭州の富陽という街に生きる4兄弟とその家族の姿を映し出します。

上海の西南に位置する富陽には、富春江という河がゆったりと流れています。タイトルの「春江水暖」とは、蘇軾そしょくの詩のワンフレーズなのでした。

以前ご紹介しましたが、蘇軾とはまたの名を蘇東坡そとうば東坡肉トンポーローを考案した、あの人です。蘇軾は杭州にも赴任していたことがあり、春の河が描かれた画を見て、この詩を書いたのだそう。

映画においても、水墨画のような美しい風景が映し出されているのが印象的でした。しかし一方で進むのは、容赦のない近代化。画のような風景は、いつまで保たれることでしょうか。

七言絶句の蘇軾の詩は、

「春江水暖鴨先知」

と続きます。春の河の水が温んできたことをまず知るのは鴨。‥‥ということで、春の駘蕩たいとう感(平穏でのんびりした感じ)が漂うのです。

しかしこの詩は、ただ春のうららかさを表現するだけではありません。次に続くのは、

「蔞嵩満地蘆芽短」

ということで、「蔞嵩」はヨモギの一種。「蘆芽」は文字通り、あしの芽。春になって様々な植物が芽生えてくる様子が記されていますが、蔞嵩も蘆芽も、フグの毒を消すと言われる植物なのだそう。ということでその後に続くのは、

「正是河豚欲上時」

ということで、「まさに今、河豚ふぐが河を遡ってくる時だ」という意になるのです。

春は、淡水フグが河を遡上する季節なのだそう。河原には、フグの毒消しになると言われる草も生えてきた。‥‥となった時、蘇軾の脳裏にフグを「食べる」ということは思い浮かばなかったのか。

私の中には、フグというと和食、という頭があったのですが、中国でもフグは食べられてきたようです。蘇軾がフグを食べて「一死に値する」と言ったという話もあって、水ぬるむ春にフグの味を思い浮かべてうっとりする蘇軾、というのもあり得る話ではないかと思ったのでした。

カニがやけにおいしそうに見えるのはなぜ?

映画の中にフグを食べるシーンは出てきませんが、4兄弟の長男がレストラン経営者ということもあり、食べるシーンは何度か登場。中でも印象的だったのは、家族でカニを食べるシーンです。

中秋節の頃はカニのシーズンということで、上海蟹のような小ぶりのカニを皆で食べているのですが、そのカニがやけに美味しそうなのです。なぜこんなに美味しそうに見えるのか‥‥と考えてみたならば、中国の人々のカニの食べ方が、我々よりもかなり豪快だからなのではないか、という気がしてきました。

カニというのは、美味しいけれど食べにくいものです。複雑に折れ曲がる脚や爪。甲羅の中も、シックスパックっぽく分かれていて、きれいに食べるのは至難の業。特に上海蟹のような小ぶりのものを無駄なく食べるには、精神の統一を要します。

我々がカニを食べる時は、カニ用のはさみやらほじくり棒のような専用の道具を駆使して、歯科医になったかのように真剣に対峙たいじします。だからこそ、

「カニ食べてると、みんな無口になるよねー」

「あははー」

と、「カニあるある」フレーズが交わされることになる。

しかし映画において中国の人々がカニを食べる姿は、もっとカジュアルでした。手と歯を駆使してカニをしゃぶり、殻は「ペッ」とリリース。屋外で西瓜でもかじっているかのような食べ方です。

カニとの向き合い方は国民性も関係するかも

カニに限らず、中国の人々の食べ方を見ていると、我々よりもずっとカジュアルに見えるのでした。魚や肉の骨なども、テーブルの上に「ペッ」というケースも。マナーもあまり堅苦しくないようで、中華圏に旅行に行った時は、どんな高級レストランであっても、あまり肩が凝らないものです。

カニとの向き合い方については、国民性も関係するのかもしれません。我々は、よく言えば繊細な、悪く言えば重箱の隅をつつくのが好きなタイプ。上海蟹を食べる、といった細かい作業の前ではつい腕が鳴り、第1関節の細かな肉まできれいに殻から外す、といった超絶技巧を求めがちです。

私もそちらのタイプなので、上海蟹を食べている時は日常の雑事を忘れてカニに集中するのが気持ちよくもあるのだけれど、食べ終わると疲れ果ててもいるのでした。「多少高くてもいいから、誰かがむいてくれたものが食べたい」と思うのであり、だからこそ映画においてカニを食べる中国の人々を見たときに、

「気取ってなくて、美味しそう!」

と思ったのではないか。

映画の中の人々は、無口になることなどなく、普通に会話しながら、盛んにカニを食べていました。「これくらいの感じでいいのではないの?」と、思わされたのです。

上海蟹を食べることが日本で最初に流行したのは、思い返せばバブルの頃だったか。それが高級な食材であったせいもありますが、日本人は「蟹を無駄にしてはならじ」と、持ち前の生真面目さで上海蟹とがっぷり四つに組み、一筋の蟹肉も無駄にしなかったわけで、その精神は今も連綿と受け継がれているのでしょう。

しかし、いつか中国で「ペッ」と殻を吹き飛ばしつつカニを食べてみたいものだ、と夢想する私。寿司すしをナイフとフォークで食べたなら、あまり美味しく感じられないのと同様に、本場の食べ方を実践してこそ、さらなる妙味を感じることができるのではないか、と思うのでした。

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酒井順子
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
エッセイスト

高校在学中から雑誌にコラムを発表。大学卒業後、広告会社勤務を経て執筆専業となる。「負け犬の遠吠え」で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。11月に「ガラスの50代」(講談社)を出版。

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