窓をすこしだけ広くあけたら見えてきたもの

買い物から帰ってくると、部屋がすこんと広くなっていた。正面の窓から外の風が流れ込んできていま閉めたばかりのドアにぶつかり、ドアポストの隙間をとおって散り散りに出ていった。窓は、家を訪れていた恋人があけたようだった。網戸のむこうに背の低いビルの屋上が見える。青色のネットで覆われたそのなかは鉢やら盆栽やら木々やら植物が茂り、物置のようにぎっしりしていた。

驚いたのだ。住みはじめて半年以上つというのに、部屋の真んなかにあるその窓を、私はいちども全開にしたことがなかったから。家のまえは空き地で、目が合う高さには植物の茂るビル以外の建てものはなく、とくに防犯上の理由というわけでもなかった。ただ単に、その窓は半分くらいまでしかあかないもの、と、疑うこともなく思っていた。

海の生きもの、海に出る

すこし前、アーノルド・ローベルという絵本作家の展示に足を運んだ。「がまくん」と「かえるくん」、2匹のかえるの暮らしを描いた『ふたりはともだち』シリーズで有名な作家だ。そこで『ローベルおじさんのどうぶつものがたり』という彼の絵本を知った。

展示の図録によると、その絵本は、『ふたりはともだち』シリーズで絵本作家の地位を不動のものにしたローベルが、「イソップ寓話ぐうわに挿絵をつけてほしい」という出版社からの依頼を受けたことで生まれたらしい。はじめはその依頼を快諾したローベルだったけれど、あらためてイソップ寓話を読みかえし、その教訓性のつよさや残虐さへの違和感から目をそらせなくなってしまう。そこで思いきって依頼を断り、「自分なりの“寓話”であれば書けるかもしれないんですが……」と代わりに制作したのが『どうぶつものがたり』だった。

ひと言でいってなかなか異様な絵本なのだけれど、このなかに『エビとカニ』という寓話がある。ある嵐の日、海辺に、小舟で船出をする準備をしているエビがいる。そこを通りかかったカニが「海の上でスコールを浴びたい」というエビの主張を聞き、ひとりでそんな危ない目に遭わせるわけにはいかないから、とエビの船出にのこのこついていくという話。

2匹が海の真んなかへ出るとたちまち荒れ狂う波に飲まれ、心配性のカニはすっかり取り乱してしまう。ひっくりかえりそうになる船のうえで、「われわれが海の生きものだっていうことをわすれちゃいかんよ」とエビだけが悠然としているのだけれど、けっきょく船は沈んでしまう。2匹は気分を落ちつけるために海の底の散歩に出かけ、物語は、“いつもはもっとしずかにしているのがすきなカニでしたけれど、この日がなみはずれて楽しいものであったことを、みとめないわけにはいきませんでした”と終わる。

海の生きものが海に出てスリルをあじわうなんて、なんたる茶番……と思う一方で、ローベルらしいなあ、としみじみしてしまう。各話のおしまいには寓話らしく教訓のような言葉が付け足されているのだけれど、それがなんとも投げやりというか、走り書きしたサインのようで、「いちおうやっときましたよ」みたいな雰囲気なのもいい。『エビとカニ』のさいごにはこうある。“たとえちいさな冒険でも、人生に興奮をもたらしてくれることがあるものです。”

他人が知らない景色をつれてくる

私はそれから部屋の窓を広めにあけるようになって、仕事をしながら、あるいは本を読んだりラジオを聴きながら、ぼんやり外を見ている。このごろは春めいてきて、ドーナツの揚げ油のような甘いにおいがどこからかよくやってくる。隣の空き地を見下ろすと、ときどき小学生がなわとびの練習をしている。夜になるとうちのまわりは暗くなり、代わりに遠くの家の明かりがよく見えるから、半透明のガラスのむこうに並んだ洗濯物のタオルをながめたりしている。どこか近所に、お手本のような発音でワオンと鳴く犬を飼っている家があるのを知る。

窓から小さなはとが迷い込んできて、ベランダ側にあるもうひとつの窓まで一直線に飛び、さっそうと出ていったこともあった。ものすごい勢いで、鳩本人はそこが人間の部屋だなんてさらさら気づいていないような様子だった。通過の一部始終を見ていた私はあっけにとられ、しばらく笑いがとまらなくなった。

ものしずかだった恋人にさいきん別れを告げられた友だちは、夜に電話をかけてきて相手との思い出を濁流のように語り尽くしたあと、「付き合ってたときは忘れてたけど、私はけっこうしゃべるんだなあ」とぽつりと言った。そういえばそうだったよね、ね。と盛りあがる。部屋の模様替えばかりしているべつの友だちは、その理由を聞かれると、ときどきこうやってびっくりさせないと同居してる妹が油断するから、とわかるようなわからないようなことを言う。

だれかがやってきて、窓をすこしだけ広くあける。ほんとうにそれだけのことが、知っているようで知らなかった景色をつれてくることがある。ふしぎなことだけれど、そうやってつれられてきた景色はどれだけ手垢てあかのついたものに見えても、いつでもあたらしい季節になる。すくなくとも、窓をあけられたその部屋の住人にとっては。

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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