友達は、急に変なところから出てくる

予想もつかないような場所で友だちができることがある。
緊急事態宣言が発令されるすこし前、近所のバーで飲んでいたら、テーブル席のお客さんの注文をとっていたマスターが「ええっ」と大きな声をあげた。思わずそちらを見ると、「YouTubeで出会ったって言うから!」とマスター。テーブル席には双子みたいによく似た20歳くらいの女性がふたり、にこにこ笑いながら横並びで座っていた。

YouTubeで出会った、の意味がわからず「YouTuberの方ですか」と聞くと、「ぜんぜん一般人です」と右の女性が言い、「YouTubeのコメ欄です」と左の女性が言う。餅つきのつき手と合いの手くらい息が合っている。

YouTubeのコメント欄がつないだ友情

聞けばふたりはもともと、同じ動画配信者のファンだったという。ある日、アップされた動画のコメント欄に右の女性が「あした大学の試験だからこの動画のこと思い出してがんばります!」とメッセージを投稿したところ、その返信として「私も大学生です~! 緊張すると思うけどがんばってください!(お守りの絵文字)」とコメントがついた。

思わずうれしくなって、あとからTwitterで「〇〇さん(配信者)の動画のコメ欄でお守りくれためっちゃやさしい人いた……」とつぶやいたところ、その“〇〇さん”の名前で検索をかけていた左の女性が偶然そのツイートを見つけ、「そのコメントたぶん私です……!」とリプライしたのだそうだ。ふたりはすぐにお互いをフォローし合い、気づいたらいっしょに飲みにいくほどの仲になっていた、と話してくれた。

めちゃくちゃ現代的な出会い方じゃん、YouTube世代……! と、マスターとひとしきり盛り上がる。「僕なんか、おんなじラジオ番組によくはがき送ってた人と公開収録のときに初めて会ったりしたもんなあ。隔世の感がある……」とマスターが言うと、「でも、まああんま変わんなくないですか?」「うん」とふたりが笑った。たしかにあんま変わんないな、と私も思う。それからふと、数年前に聞いた「四谷大塚の林くん」の話を思い出した。

「よ、よ、四谷大塚の林くんや!」

福島くん、という知人がいる。私が彼と知り合ったのは大人になってからだったけれど、彼は子どものころ、ずば抜けて学校の勉強ができたそうだ。小学生向けの進学塾の全国模試ではいつも1位か2位に名前が入るほど優秀で、福島くんは自分でも、「なんかもしかしたら総理大臣とかになるのかなあ、俺」と思い、なるとしたら第105代くらいかな、と予想していたという。

が、福島くんはその後、14歳でとつぜん思いきりグレてしまい(エミネムにハマったと聞いた)、中高一貫の進学校を中退し、地元の中学に転入する。そこからまた二転三転あり、彼はけっきょく一浪して美大に進学するのだけれど、大学に通いはじめてから半年ほどがったころ、とつぜん、「福島くんっていますか」と知らない学生が彼のクラスを訪ねてきた。

訪ねてきた学生は1学年上の男の子だった。「福島××くんですか、僕、林××って言うんですけど」と言われた福島くんは、最初ぽかんとしていたという。けれど「林××って書くんです」と彼にフルネームの漢字を説明された途端、「うわあ!」と叫んだ。

「よ、よ、四谷大塚の林くんや! いつも模試で1番とってたよな!?」

そう言われた林くんは思わず福島くんに握手を求め、「2回だけ2番だった!」と叫んだ。その2回とは言わずもがな、福島くんが同じ模試で1位をとった2回だった。

その話を福島くんから聞いたとき、小学生のころの模試の順位表の名前をふたりとも覚えているなんて奇跡があるのか、と驚いた。けれど考えてみると、全国模試で1位、2位を争い続けた唯一のライバルの名前が忘れられないというのはうなずける。しかもあとから聞いてみれば、ふたりは名前しか知らないお互いのイメージをずっと胸に抱きながら「福島には負けないぞ」「林には負けないぞ」と当時の勉強のエネルギーにしていたのだという。

とはいえ、やっぱりいちばん驚いてしまうのは、そんな福島くんと林くんが同じ美大で出会った、ということだ。「ぜったい東大行くんだと思ってた!」と福島くんが言うと、「こっちの台詞せりふだよ、でもここでよかったよ」と林くんはしみじみ言ったそうだ。

その後のふたりのことはあまり知らない。けれど福島くんのFacebookを見る限り、彼はけっこう大学生活を楽しんでいるみたいだった。

机の上で出会ったヤマザキくん

ほんとうに、人と人は予想もつかないようなところで出会う。もちろん、と言っていいのかわからないけれど、私にも不思議な出会い方をした友だちが何人かいる。そのうちのひとりがヤマザキくんだ。彼と知り合ったきっかけは、机の上の落書きだった。

大学2年生のとき、英語の授業で週に1回決まって座る教室の机に、「好きだった雨、雨だったあのころの日々、あのころの日々だった君」という鉛筆の落書きを見つけた。枡野浩一という歌人の有名な短歌だ。なんの気なしに「遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった」という別の歌人の短歌を、その隣に書き添えた。

翌週、同じ席に座ってみると、私の文字の隣に、さらに新しい短歌が書かれていた。「行くたびに自己紹介をさせられるような気持ちで4年通った」。驚いて、Twitterで短歌のことをぽつりとつぶやくと、知らない人から「所沢の大学に通っていますか? だとしたら、それ僕かもしれません」とリプライがあった。まぎれもなく、それが落書きをした張本人だった。

それを機に彼と仲よくなり……というわけでは特になく、私たちはそれからも机の上での短歌のやりとりを粛々と続けた。あ、この短歌選ぶんだ、と思うときもあれば、全然知らない短歌が書かれていて新鮮に思うときもあった。

はじめて彼に会ったのは、学年が変わる直前のことだ。通っていた大学は3年生から校舎が変わるシステムだったから、もうあの教室に行くこともなくなるのか、と思い、私から彼のアカウントに「一度会ってしゃべりませんか」とメッセージを送った。最初にリプライをもらってから、たしか数か月が経っていた。彼がヤマザキくんという名前だと知ったのはそのときのことだ。

ヤマザキくんとは数時間、所沢校舎の図書館でおしゃべりをした。どんな文脈だったのかまったく思い出せないのだけれど、彼がすごく上手な手品を見せてくれて、おおおっと驚いた記憶がある。パンが好きだからパン屋さんでバイトしている、とヤマザキくんは言い、自分がつくっている短歌が載ったゼミ誌を私にくれた。

私はなにか返しただろうか、返せばよかった、といまになって思う。ヤマザキくんとは大学以来会えていないけれど、たしかにあのころ私たちのあいだには友情があった。へんな話、ヤマザキくんにもし対面で会えていなかったとしても、机の上でひっそりと鉛筆を動かし合っていたあのときにもう、私たちはすでに友だちだった。

マスターは私の話を聞き、大きく頷いたあとに、「なんか、友だちって急に変なところから出てくるよね」と言った。そんなくした靴下みたいな言い方、と笑ってしまう。双子みたいなお客さんたちは「うん」「そうですよ」と、やっぱりにこにこ笑っていた。

あわせて読みたい

生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

Keywords 関連キーワードから探す