なぜコロナ感染の女性社長はホテル隔離生活をすべて公表したのか

新型コロナウイルスが猛威をふるい、市中感染も広がっています。いつ、誰が感染してもおかしくない状況です。東京都内のPR会社「サニーサイドアップ」社長、次原悦子さんは、今年初めに感染が分かり、感染後の生活の状況をツイッターで発信しました。「かかるまでは人ごとでした。家族らと事前に話し合い、準備をしておくべきだったと後悔しています」と次原さん。感染予防を徹底したとしても、いざというときのために、わたしたちは何を備えておくべきなのでしょうか。次原さんに隔離されたホテルでの様子や家庭での暮らしなどを振り返ってもらいました。

「同じ境遇の人の不安、和らげられたら」

「まさか自分が」というのが、感染が分かったときの正直な気持ちだった。定期的にコロナウイルスの抗原検査も受け、日頃から、万全の対策を心がけていた。会社を経営する立場であると同時に、80歳の義母と2人の子供と同居している。「まさか」の次に襲ってきたのは、「自分がもし誰かにうつしてしまっていたら」という不安と恐怖だった。

自身の体験をツイッターで発信し、公にすることを決めた。感染が分かった際、なかなか陽性となった当事者からのリアルな情報が見つからず、PRなど「人に情報を伝えること」を仕事にしている身として、発信し体験を共有することで、誰かの役に立ち、同じ境遇の方の不安や恐怖を少しでも和らげることもできるのではとの思いがあったからだ。

「カラシ食べても味しない」

異変を感じたのは12月30日。おでんに添えたカラシだけを食べてみたが、味がせず、においもわからなくなった。

1月2日、最も早く予約が取れた民間のクリニックでPCR検査を受けると、即日、陽性と判明。医師からは、発症前の14日間に何らかの形で感染し、人に感染させてしまった可能性があるのは症状が出た日の2日前(12月28日)以降と説明された。すぐに仕事の関係者らに連絡した。年末だったため、濃厚接触者は家族以外ほぼいなかったが、不安は消えず、ツイッターで呼びかけた。

次原さんのツイッターより

消毒スプレー手にトイレへ

保健所からの連絡では、軽症の私は、本来、発症から10日間のホテル隔離の対象とのこと。ただ、都内のホテルに空きがないため、自宅隔離となった。

自宅での療養では、基礎疾患がある80代の義母など家族への感染が最も心配で、家中を消毒し、自分の部屋から極力出ないようにした。家族との会話はLINEや電話でし、トイレに行く際は、除菌タオルと消毒スプレーを手に、通った道を消毒しながら使った。風呂は最後に入り、消毒、換気、タオルは古いものを使って、使用のたびに処分した。毎日着替える服は、ウイルスの付着が心配だったため、完治してからまとめて洗うことにした。

食事は高校生の長女が用意してくれ、毎食、使い捨ての紙皿で運んでくれた。味はしないけれど、愛情たっぷりで、涙がでた。

【家庭内感染防止に役立ったグッズ】マスク、除菌タオル、ビニール手袋、消毒スプレー、紙皿

次原さんのツイッターより

急きょホテル隔離に

自宅隔離5日目の1月6日。保健所から「ホテルが空いたので1時間半後に車で迎えに行く」との連絡が入った。「軽症なので大丈夫」と断ったが、50代以上で症状が急変する可能性があることや、基礎疾患のある義母と同居していることなどから、ホテル隔離となった。

【ホテル隔離に便利だったもの、あったらよいと思ったもの】
炭酸水、レトルトのスープやおかず、栄養のある飲みもの、ふりかけ、果物や野菜、ゼリー、パン、チョコレートなどの菓子、加湿器、滞在日数分の下着、タオル

妹が、ホテル隔離で必要になりそうなものを急いで買ってきてくれた。東京都が手配した6人乗りの白いバンで、都内のホテルへ移動した。入り口はチェックインを待つバン9台が列をなし、1人ずつ時間差で車を降ろされた。受け付けで渡された封筒には、ルームキーとパルスオキシメーター(血中酸素測定器)、小池都知事からの手紙など資料一式が入っていた。荷物を引きずって部屋に移動した。

滞在者は、スマートフォンで健康アプリに登録する。体温、パルスオキシメーターで測定した血中の酸素飽和度、脈拍数などのデータが1日3回、医療スタッフに送信される仕組みで、顔は合わせないが、ホテル内のどこかにいる看護師さんが見てくれている。安心だが、どこか不思議な世界だった。

急な高熱で感じたコロナの怖さ

1月7日、発症9日目。当初は、味覚、嗅覚の異常だけで完治すると思っていたのに、突然、発熱し、のどもちぎれるほどに、痛くなった。ホテルのバスタブに熱い湯を張り、換気扇を切って、風呂の扉を開けて過ごすと少し楽になった。症状は人によって違う。コロナを侮らないことが大切と実感した。

ホテルでの食事は、時間になると放送が流れて、決められたフロアに弁当をとりに行き、レンジで各自温めて部屋に持ち帰る。ロビーですれ違う人は、皆マスクをして下を向いていて、すでに互いに感染するリスクはないのに、目を合わさず、話もしない。人型ロボット「ペッパー」くんの「腹が減っては戦はできぬ。たくさん食べて新型コロナウイルスとの闘いに勝ってくださーい」という甲高い声だけが響き渡る不思議な世界だった。

3食の弁当は、体調がよければおいしいと思う。ただ発熱時はつらく、パンや、果物のゼリー、スープなどのどごしの良いものがあればと感じた。事前準備の大切さを痛感した。

次原さんのツイッターより

滞在したホテルでは、決められた日に、家族から差し入れしてもらうことができたが、イチゴなど常温で保管できないものや、お気に入りのベーカリーのパンなど、消費期限が明記されていないものは、食中毒や感染の予防のため、受け入れてもらえなかった。

退院前夜の「最後の晩餐ばんさん」は、弁当のご飯に持参したレトルトのカレーをかけて、おかずを入れて食べた。においはまったくしないが、カレーの味がして、おいしく食べた。

次原さんのツイッターより

SNSで患者同士交流 心の支えに

ホテル隔離中は、リモート会議に参加する日もあった。ロビーでは髪をきちんとセットして、シャツを着て、上半身だけビジネス仕様の人を見た。部屋はWi-Fi完備で、終日リモートワークできるのだ。

ツイッターで発信したことで、不快に思う人から批判もされたが、同じ陽性者や元陽性者からメッセージが次々と届いた。「私も陽性で、10日間高熱が続いている」「ホテル隔離中だが誰にも言っていない」「家族に感染させてしまって重篤化し、自責の念に駆られている」など。滞在ホテルを明らかにしたことから、無症状だが隔離中の男子高校生、発熱で寝込んでいる女子大生、入所時に同乗した女性、知り合いの社長、昔のママ友など、同じホテルにいる20人以上から連絡があった。

同じ不安を持った人がいて、一人じゃないと思ったらほっとした。同時に、周囲に公表していない人が多いことを実感し、私が感じたような不安や恐怖を、想像以上の人が抱えていると感じた。

発症から10日間経過し、症状がよくなって72時間が経過したとして1月11日、ホテルを出て、自宅に戻った。

不備を指摘されているコロナの接触確認アプリ「COCOA(ココア)」は、同居する家族も、最後まで濃厚接触者の通知はされなかった。

「元陽性者への社会の理解」必要

毎日感染者がこれだけ増えているということは、元陽性者も日々増えているということだ。元陽性者に対する差別や偏見も伝えられるが、元陽性者=安全な存在であることを社会全体で理解することが大切だと思う。

自宅に戻ってからは、自費でPCR検査を受けて陰性証明をとり、1月18日から仕事に復帰した。一方、自宅やホテルでの療養終了後に同検査を受けることは義務化されておらず、完治を証明する療養証明書が届いたのは、ホテル隔離終了から2週間たった1月25日のことだった。療養後のPCR検査は状況によっては保険がきかないため、高額になる場合もある。療養終了の証明書や、陰性証明書がないと出社できない人もいる。元陽性者がスムーズに社会復帰できる体制を整える必要を感じている。

誰もが明日は我が身

もし味覚、嗅覚異常がなかったら、年明けには出社し、多くの人を濃厚接触者にしてしまったはずだ。考えるだけでも恐ろしい。

私の知る限りでは、滞在していた都内のホテルだけで180人の陽性患者がいて、40人以上の職員と20人以上の医療従事者が不眠不休で働いていた。感謝の気持ちでいっぱいだ。同時に、保健所にはもっと人とお金が必要と感じた。

家族に陽性者が出たとき、誰が世話をするのかなどを話し合い、自宅隔離に備えて、常備食やグッズなど必要なものを備えておくべきだった。高校生の娘は陰性で健康だったものの、私の世話をしたため濃厚接触者とされ、3週間自宅隔離にさせてしまったのも、申し訳なかった。「明日は我が身」という心を常に持ち、対策しておくことが必要だ。

◇ ◇ ◇

【取材後記】次原さんに取材して、食料や日用品の用意、いざというときのための家族や自分の行動計画など、コロナ感染への備えは災害への備えと同じだと感じた。感染を公表し、隔離中のホテルから詳細な発信をした次原さんには、それを良しとしない声も多く寄せられたという。それでも発信を続けたのは、「誰が感染してもおかしくない状況で、私のように行き当たりばったりで行動して、後悔する人や、大切な人に感染させて悔やむ人を増やしたくない」との思いからだ。

2月には、元感染者の血液中の抗体を利用した治療法の研究のために、血液も提供したという。療養経験者の体験から学んで、一人一人が自分のこととして備えるとともに、正確な情報を得て、誤解や偏見を解消していくことも必要だと感じた。(読売新聞メディア局編集部 谷本陽子)

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次原 悦子(つぎはら・えつこ)
PR会社社長

17歳でPR会社「サニーサイドアップ」を創業。以来、“たのしいさわぎをおこしたい”をスローガンに、PR事業を軸として、中田英寿さんらトップアスリートのマネジメントを手掛け、大規模なイベントのプロモーションを行ってきた。2018年に東証一部に上場し、20年にホールディングス経営体制に移行。

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