電話が怖くてたまらない 言いたいことが言い出せない

電話が苦手だ。予期せぬタイミングでかかってきた電話に出ることはもちろん、自分から人にかけるのも憂鬱ゆううつで仕方ない。一時期利用していたジムが引っ越しを機に通えなくなったときも、解約のための電話をどうしてもすることができず、半年近くのあいだ月会費を払い続けていた。

その半年間、さすがに連絡しなければとは何度も思ったのだけれど、もし電話に高圧的な人が出たらどうしよう、解約を伝えて気まずい雰囲気になったらどうしよう……と考えれば考えるほど不安になってしまい、かけられずじまいだった。結局新しい家から往復3時間ほどをかけてそのジムの受付まで出向き、直接手続きしたのだけれど、いまふり返っても、なんでわざわざあんなことを、とは思わない。ただ、電話しなくて済んでほんとうによかった……と心からホッとする。

電話がそこまで苦手なのはたぶん、単に口下手というのに加え、他人の領域にとつぜん入っていくという行為にある種の暴力性を感じるからだ。おおげさな、と思われたかもしれないけれど、アポなしでかかってくる電話が苦手な人にはなんとなくわかってもらえるのではないか。

急にくる電話は、自分がそれまで続けていた作業や思考を否応いやおうなく断ち切ることを要求してくる。私は“人としゃべれるコンディションの自分”を立ち上げるまでのローディング時間がとても長く、アカウントを切り替えるみたいにぱっと人と話して自分の時間に戻る、ということができない。ほかでもない自分がそういうタイプだから、いまなにをしているかまったく予想のつかない人相手にとつぜん電話するのは申し訳ないなと思ってしまう(かけ終えたあと、正気に戻るまでに30分くらいかかってしまうし)。だから余談だけれど、育児をしている人はほんとうにすごいな……といつも思う。

ショウコさんでいた日のこと

その応用と言っていいのかわからないけれど、人に声をかけるとか、人のちょっとした間違いを訂正するようなこともすごく苦手だ。これは自分がされるのがいやというわけではまったくないのに、なぜか先回りして「いやな顔をする相手」をイメージしてしまい怖くなる。

日常的なシーンで言うと、飲食店の店員さんに注文をするときに「すいません」となかなか言い出せない。混んでいる店だと特に、(アッ店員さんいまあそこのテーブルの注文とってる)とか、(アッたくさん食器持ってるからいったん厨房ちゅうぼうに戻りたいだろうな……)とほんとうに余計な気の巡らしかたをしてしまい、いつまでっても声をかけられないでいる。フロアにいる店員さんを呼び止める勇気が出せず、自分からふらふらと厨房付近に近づいていって注文することも少なくないし、その気力さえないときは席でただぼんやりしてしまう。

いちど、赤羽の飲み屋でひとりで飲んでいたらフレンドリーなお客さんやバーテンダーに声をかけられ、そのまま彼らとともに飲み屋を数軒ハシゴしたことがある。いちばん最初の店でお客さんの女性に「名前なんて言うの?」と聞かれたとき、「シホです」と言ったつもりが声が小さいので「ショウコちゃんね」と勘違いされてしまい、そのまま訂正する機会を得られずに翌朝までショウコでいた。

写真はイメージ

みんなでデニーズの朝定食を食べているときに「ショウコちゃんも今年のフジロックいっしょに行こうよ!」と言われ、申し訳なさやら言い出せないもどかしさやら情けなさで泣きそうになってしまった。解散する直前、お客さんのひとりが改札前でチェキを撮ってくれたのだけれど、現像された写真にもサインペンでショウコと書かれていてもうだめだと思った。

ドッキリにかけられたらどうしよう

私はなんでこうなんだ、いつからこうなっちゃったんだ、と本気で悩んだこともある。現時点での答えは、「幼稚園の年中さんごろからずっとこう」だ。

というのも、実家に帰ったときに母親が見つけた幼稚園の連絡帳に、「シホちゃんはお箸のふたが自分で開けられないのですが、開けてと言い出せないのか先生のほうをじっと見てきます」「きょうはシホちゃんがお弁当の時間の終わりごろになって『すみません、開けてください』と言ってくれました。難しい言葉を知っていてえらいですね」という先生からのコメントが書かれていたのだ。

母親はそれを見てゲラゲラ笑っていたけれど、まさか娘がその日の昼、仕事をしていた喫茶店で「大きな音を立てていいタイミングがわからない」という理由でトーストについてきたゆで卵をずっと割ることができず、オロオロしていたことなんて知るよしもないだろう。なんなら幼稚園生のときのほうが積極的だったくらいなのだ。自分で言うのもなんだけれど、よくこの歳まで生きてこられたな、と思う。

ときどき考える。私がなにかの間違いでテレビ番組、もしくはYouTubeチャンネルの壮大なドッキリにかけられることがあったとして、それがあきらかに異様なシチュエーションだったとしても、愛想笑いでなんとなく乗り切ろうとしてしまうのではないか。

知らない街の喫茶店に入る。席に案内されて注文を決める。店員さんを探すけれど、忙しいのかなかなか見つからない。テーブルの上をよく見ると、「これでお呼びください」と木彫りの熊が置かれている。ベルとかボタンじゃないんだ、と思いつつ、たぶん私はその違和感を口に出せない。いったんベルのように振ってみようか迷うけれど、予想外に大きな音が出たら怖いのでできない。まわりのテーブルを見渡すと、こけしとかでんでん太鼓とか南京玉すだれとかがそれぞれに置かれていて参照できそうにない。結局、私は熊を鳴らないように持ち上げてそっと小脇に抱え、足音を消して厨房まで歩いていく。そんな場面を想像するだけで冷や汗が出てくる。社会が私のようなタイプの人間だらけだったらおしまいだった、と思う。「熊じゃねえかよ」とちゃんと言える人たちが社会にいてほんとうによかった。

最後に近況を書いておくと、定期配達コースで申し込んでしまった美容液の解約の電話がずっとできずに悩んでいる。本社が九州なので今回はさすがに出向けない。誰か代わりに解約してくれませんか?

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生湯葉シホ
生湯葉 シホ(なまゆば・しほ)
ライター/エッセイスト

 1992年生まれ、東京都在住。Webを中心に取材記事の執筆やエッセーの執筆をおこなう。ブログ:yubalog.hatenablog.com Twitter:@chiffon_06

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