新型コロナウイルスの感染が広がる中、初めて迎える新年。神社やお寺では、混雑を回避するため、正月三が日を避ける「分散参拝」を呼びかけています。「三が日じゃなくても御利益はあるのか」「毎年参拝しているのをやめたら罰が当たりそう」といった不安を口にする人もいます。『祈り方が9割 願いが叶う神社参り入門』(コボル)の著者・北川達也さんに、コロナ禍の祈り方を聞きました。
――新年を迎えると、神社などへ初詣に行く慣習があるのはなぜですか?
初詣の由来は、「年籠り」にあると言われています。年籠りとは、家長が大みそかの夕方から神社にこもったり、神社の前で夜を明かしたりして、年を送り迎えすることを言います。
神社では、元日に「歳旦祭」という祀りが行われ、「皇室が栄えること」「五穀が豊かに実ること」「国民が穏やかで安定していること」などを祈ります。このような習俗から、正月に参拝する「初詣」という慣習ができたと考えられます。
明治の頃から、元日に神社などへお参りする「初詣」が一般的に広がりました。初詣の時期については、狭義では元日にお参りすることとされていますが、広義では元日に限らずに、新年を迎えて初めてお参りすることを言います。
祈りは鳥居をくぐる瞬間から
――神社などにお参りに行くと、参拝の方法が分からず戸惑ってしまいます。マナーや作法を教えてください。
鳥居をくぐる瞬間から、神なるものとの対話が始まります。鳥居では、「ただいまから神様のいらっしゃる境内に足を踏み入れます」という気持ちで会釈をします。会釈とは、角度が15度(頭一つ分が目安)のお辞儀です。会釈は神様に対する敬意を、自然な形で表す姿とされています。また、「神社参りは会釈に始まり、会釈に終わる」と言われています。鳥居での会釈は、それほど大切なことなのです。
◇鳥居をくぐるときの手順
〈1〉鳥居の手前で、いったん立ち止まって直立します
〈2〉上体を15度前方に倒します
〈3〉上体を倒したときに、1秒間、頭を止めます
〈4〉上体を起こし、直立の姿勢に戻ります
〈5〉再び、歩きはじめます
お参りが済んで帰るときにも、鳥居を出てすぐに、神社のほうへ向き直って、同じ要領で会釈をしてください。

次に、手水で手などを清め、参道を歩き、本殿(拝殿)の手前にある賽銭箱の前に向かいます。手水は、私たちが「清浄」に近づくためにあるものです。新型コロナの影響で手水舎の利用を中止する神社が多くあります。手水を利用できないことは、大変残念なことです。
「賽銭箱の前」でのお参りの作法は、基本的に、賽銭箱に賽銭を入れてから「二拝二拍手一拝(二礼二拍手一礼ともいう)」です。「二拝二拍手一拝」とは、最初に「拝を二回行う」、次に「拍手を二回打つ」、最後に「拝を一回行う」という一連の作法を言います。「拝」とは、上体を90度、前方に倒すお辞儀です。上体を倒したときに、3秒間、頭を止めます。「拝」は、お辞儀の中でも神様を最高に敬う心の表現とされています。
そして、願いを叶えるために、私は「手を合わせて祈る」ことがとても大切と考えています。手を合わせるタイミングと手の位置は、拍手を二回打った後に、胸で両手をきちんと合わせて祈るとされています。
御神徳はいつ行っても変わらない
――新型コロナの影響で、正月三が日の参拝を避ける人が増えそうです。三が日にこだわらなくても、御利益はあるのでしょうか。
「御利益」という言い方ですが、「もうけ」というニュアンスが含まれる言葉です。神道では、「御利益」とはあまり言いません。「御神徳」という言い方が一般的です。御神徳とは、私たちに対する神様からの恵みのことを言います。御神徳は、元日のお参りでも、三が日のお参りでも、1か月後のお参りでも、いつ行っても変わるものではないと考えられています。
御神徳を多く授かる秘訣は、「世のため、人のために奉仕する」ことにあります。「奉仕」と言っても特殊なことではありません。奉仕とは、「私一人の幸せだけでなく、私以外の人々の幸せのために尽くすこと」を言います。
奉仕には、「みんなの喜びを、自分の喜びとする精神」があります。そして、奉仕の具体的な方法論としては、「はじめに身近な人に喜びを与えて、その喜びを組織、地域、国、世界へと広げていくこと」です。御神徳とは、そのようなことを実践する人に与えられるものです。
コロナ禍ですから、日時などにこだわるよりも、日常生活の中で奉仕の精神を大切にしてください。その上で、適切な時期に神社にお参りをしてください。すると、いつも以上に、神様からの御神徳を授かることができると思います。
「あの人と恋仲になれますように」では叶わない

――受験を控えて「合格祈願」をする学生、病を抱えて「健康長寿」を願う高齢者、意中の人と結ばれたいと「恋愛成就」を祈る女性。さらに、「子宝に恵まれたい」「お金持ちになりたい」「きれいになりたい」と、人には様々な願い事があります。
神道では、「世のため人のために奉仕すること」を重視しています。このような、自分のためだけの願いは、神道の考え方からすると真逆のように思われます。祈りの神髄は、「私の願いを叶えたいときは、私のことを祈らずに、みんなのことを祈る」です。祈り方の具体例を紹介します。
・合格祈願…「大学に合格して、お父さん、お母さんが喜びますように」
・健康長寿…「健康でいられて、家族全員が喜びますように」
・恋愛成就…「恋人ができて、お父さん、お母さんが喜びますように」
・子宝祈願…「子宝に恵まれて、夫(妻)が喜びますように」
このように、「自分のため」を「みんなのため」に変換して祈ることです。
神社のパワーは全身で受け取って余りあるほど
――初詣でパワースポットとされる大木の前で写真を撮影したり、御朱印をもらったりするのを楽しみにしている人もいます。
初詣を「イベント感覚で行きたい」という人もいるかもしれませんが、新型コロナの状況を考えますと、今回は中止をしたほうが無難でしょう。
神社の境内にある巨木や岩などが、生命力を取り入れられるパワースポットとされることがありますが、本来は神社とその周辺の自然そのものがパワースポットと呼べる場所です。
木などに手で触ったり、抱きついたりする人もいますが、こうした行為は望ましくありません。神社にみなぎるパワーは手先で受け取れるような小さなものではなく、全身で受け取っても余りあるほど大きなものだと思います。

――新型コロナで困難な時代にこそ、多くの神社へ行って、たくさんの神様に祈り、いくつもお守りを集めたいという人もいます。
様々な神社にお参りすることで、神様同士がけんかをするのではないかと心配する人もいますが、神様はけんかをしません。
神道では、この世とは「永遠に未完成」という世界観を持っています。だから、「世のため人のために奉仕する」のです。この言葉は、「古事記」の中で、最初に出てくる神様からのお言葉である「修理固成の神勅」を人の実際の活動面に移した言葉です。
つまり、神様も人も未完成なのだから、みんなで一致団結して、「より良く、この世をつくり固めていこう」ということです。ぜひ、このようなことを念頭において、お参りをしてください。
(聞き手・メディア局編集部 鈴木幸大)