古くからポルトガルとの貿易で栄えた港、城下町と穏やかな入り江の風景、キリシタンの歴史……。長崎県平戸市は、一言では言い表せない魅力を秘めています。初めて訪れる私を迎えてくれたのは、昔日の面影をしのばせる、穏やかで美しい風景でした。
町の歴史に触れ、甘いお菓子を食べて、江戸時代に思いをはせる
九州本土の西北端に位置する平戸市は、平戸島、生月島、度島、的山大島のほか、いくつもの小さな島で構成される、島と海の町。そのなかで一番大きな平戸島は、九州本土とは橋でつながっていてアクセスしやすく、東京から1泊2日の旅でも、比較的多くの場所を訪れることができます。
長崎空港から車で向かい、海峡にかかる赤い平戸大橋を渡れば、平戸島です。まずは、町のシンボルでもある「平戸城」へ。天守閣から外を眺めると、眼下に平戸港と海と山が織りなす美しい風景が広がっていました。
平戸港は1550年(天文19)に開かれた、日本で最初の海外貿易港。長崎港の出島にその役目を譲るまで、多くの外国船が往来していました。日本で最初にビールやパン、タバコが持ち込まれたのは、出島かと思いきや、この平戸港だったといいます。現在は優しい港町風情を漂わせていますが、4世紀以上も前はきっと、賑やかな国際都市だったのでしょう。

町を歩く前に少し歴史に触れてみたくなって、「松浦史料博物館」を訪ねてみました。ここには、平戸藩主・松浦家に伝わる資料や美術品が保存・公開されています。建物は、明治時代に建築の松浦家の旧邸宅を利用したもの。堂々としていて、なかなかの存在感です。

歴史の教科書で見たことがあるような貴重な古文書が展示されているなか、ひときわ目を引いたのが、お姫様がお輿入れの際に持参したきらびやかな婚礼調度品。さすが、歴代のお殿様に伝わる宝物です。江戸時代の禁教令下、「キリシタンを密告したものには懸賞金を与える」と示した高札なども展示されていました。

私がここにひかれたのは、もう一つ理由があります。それは、離れの茶室でいただける、江戸時代を思わせるユニークなお菓子。
お菓子は2種類から一つを選べます。一つ目は、10代目藩主の松浦熈(1791~1867年)が後世に伝えるために作ったお菓子図鑑「百菓之図元本」に記述されているお菓子を再現した「烏羽玉」。黒ごま入りのこし餡を求肥で包み、和三盆をまぶした小さなお菓子は、純和風の上品な甘さで、お抹茶によく合います。

もう一つは、かつて松浦藩主に献上していた菓子を現代版にアレンジした「カスドース」。卵黄にくぐらせたカステラを沸騰した糖蜜で揚げ、グラニュー糖をまぶして仕上げています。シャリシャリとした外側とふんわりとした中側、濃厚な黄身の風味は、ちょっとフレンチトーストにも似た食感。お殿様も忙しい執務の合間に、こんな甘いお菓子を食べては、海のはるか向こうにあるヨーロッパを思っていたのかもしれません。
美しい棚田のなかに息づく里
城下町として栄えた平戸には、もう一つの歴史が刻まれた場所があります。それは、1550年にフランシスコ・ザビエルにより布教されて以来、繁栄、禁教による弾圧、解禁、復帰という数奇な歴史をたどったキリシタンの軌跡です。
春日集落もその一つ。平戸港から車で30分ほど、まるで江戸時代から変わっていないのではないかと思うほど、牧歌的な棚田のなかにひっそりとあります。潜伏キリシタン(禁教時代にひそかに信仰を続けた人々)が多くいたこの集落では、もともとあった山岳信仰を続けながら、殉教の聖地とされた中江ノ島を拝み、信心具を祀るなどして、ひそかに信仰を続けていました。

春日集落は同時に、かくれキリシタン(禁教令が解かれた後もそれまでの信仰の仕方を続け、カトリックに復帰しなかった人々)の里でもあります。「かくれ」という名前こそついていますが、信仰の自由がある現在、隠れているわけではありません。今も潜伏時代の信仰を受け継ぐ人々のことを、便宜的にそう呼んでいるだけ。地元の人が「隠れじゃなくて古キリシタンだよ」というのもうなずけます。過疎化や後継者不足により、その独自の信仰も消えつつあるようですが、ここには、ご先祖様から伝わる教えを守る暮らしがあったのです。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一部となった春日集落には、旅行者も訪れています。旅人にとって頼りになるのが、昨年春にオープンした案内所の「かたりな」。
売店やかくれキリシタンの資料を展示するスペースがありますが、なんといっても人気を集めているのが、地元のおばあちゃんたちによる温かな「おもてなし」。お茶と、ときにはお手製の漬物をすすめてくれる元気なおばあちゃんたちの中には、90歳を超える方も。次に訪れるときは、集落の話をもっと聞いてみたいなと思っています。

おばあちゃんたちと別れ、平戸で最後に向かったのは、「田平天主堂」。長崎を中心に教会建築で活躍した鉄川与助が手がけた、レンガ造りの教会です。信徒たちがコツコツと造り上げ、1918年(大正7)に完成しました。

多彩なレンガ積み手法、すすを塗った黒レンガの装飾、八角形のドームを頂く鐘塔。その美しさにははっとさせられますが、鉄川与助は仏教徒で、一度もヨーロッパの教会を見たこともなかったといいます。彼はきっと、神父や信徒と心を通わせ、教会の建築に情熱を注いだのでしょう。この教会には、思いを寄せてきた人々の心が映し出されているのだと思いました。
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