三島(静岡県)を代表する名所といえば、古くから伊豆国一の宮として知られる「三嶋大社」。東海道屈指のパワースポットといわれ、写真を何枚も撮りたくなるような美しい場所でもあります。三嶋大社を参拝した後は、すぐ近くのユニークなミュージアムへ。歴史をしのばせるスポットに、たっぷりと知的好奇心が刺激されました。
頼朝があつく信仰した、美しきパワースポット
カフェやスイーツショップが並ぶ通りから歩いてすぐ。三嶋大社の鳥居をくぐり、境内に足を踏み入れたとたん、凛とした空気に包まれます。ここは古くから、富士火山帯の根元の神様として、また、伊豆国一の宮として栄えてきた神社。創建時期は不明ですが、平安時代の古書にも記録が残されるほどの歴史を誇ります。
御社殿を取り囲むように茂る大木の緑と鳥の鳴き声が響く環境は、まさに鎮守の森。参道を歩いていくと、鯉が優雅に泳ぐ「神池」や、赤い社が目をひく「厳島神社」、日本で最も古いとされる樹齢1200年超えの金木犀など、次々と美しい風景が目に飛び込んできます。

総欅素木造りの本殿で参拝した後、ふと頭上に目をやると、名工による美しい彫刻が施されていました。凛々しく威厳を漂わせるその佇まいに、ご利益も期待できそう!
はるか800年以上も前に三嶋大社に参拝し、大成功を収めていたビッグネームがいました。それは源頼朝。伊豆に流刑されていた頼朝は、源氏再興を誓って何度も参拝し、見事に鎌倉幕府を開くことができたのです。
その後も、頼朝は三嶋大社を崇敬していました。さらに、歴代の鎌倉将軍はもちろん、戦国時代や江戸時代の武士たちも、頼朝にあやかろうと、次々にこの地を訪れたといいます。時代を経た今は、転職や資格試験などを控えた人たちが祈願するパワースポットに。「仕事を成功させたい」「キャリアアップしたい」と願う気持ちは、昔の武士も現代のビジネスパーソンもみな同じです。
もちろん、三嶋大社を参拝するのは、勝負を控えた人ばかりではありません。山や森、農産の神様である、大山祇命(おおやまつみのみこと)」と、恵比寿様として有名な「積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)」という二柱の神様が祭られているこの場所は、厄除けや家内安全など、いろいろな願いごとをかなえてくれるご利益満載の神社なのです。何より、清々しい空気に触れると、「明日からまた頑張ろう!」という気持ちになれるから不思議です。
元祖ムーンカレンダーに昔の暮らしを思う、暦のミュージアム
三嶋大社を参拝するのなら、ぜひ立ち寄ってみたいと思っていたのが、すぐ近くの「三嶋暦師の館」。風情ある建物のなかに、「三嶋暦」という珍しい資料が保存・展示されています。

三嶋暦は、「太陰太陽暦」に基づいた暦(カレンダー)の一つです。現在、私たちが使っている「太陽暦」は太陽の動きを基準に一年の長さが決められています。これに対し、月の満ち欠けを基準にした暦が「太陰暦」。太陰太陽暦は太陰暦を基に、太陽の動きで1年を24に区切った「十四節気」を取り入れて季節のずれを調整した暦です。1872年(明治5)まで使われていた太陰太陽暦のことを「旧暦」、以降使われている太陽暦を「新暦」とも呼びます。
今でこそ、スマホにも手帳にもカレンダーが登載されていますが、かつて暦の発行は、幕府に許可された「暦師」しか行うことができませんでした。なぜなら、暦は大事な政治の道具だったからです。江戸時代中頃まで、庭の天文台で星や月を観察しながら、三島で暦を制作していたのが、暦師の河合家。代々作られるオリジナルの暦は、地名にちなんで「三嶋暦」と呼ばれていました。

暦は全国数か所で作られていましたが、仮名文字が用いられた三嶋暦は漢文より読みやすく、東日本の広範囲で使われていたといいます。木版刷りのクオリティーの高さや、細字の文字文様の美しさから、お歳暮やギフトとしても絶大な人気を集めていたのだとか。
河合家の旧家を利用した風情ある資料館の中に入ると、美しい三嶋暦が展示されていました。徳川家に献上されたスペシャルな「巻暦」や、冊子タイプの「綴り暦」、一枚刷りの「略暦」など、いくつかの種類があります。

美しいその文様を眺めながら思ったのは、この暦を利用していた当時の暮らし。月の満ち欠けは体にも影響があるともいわれています。昔の女性は、自分のバイオリズムを暮らしにうまく活用していたのかもしれません。私はお土産に、2019年の「現代版・三島暦」を購入。来たる年は、月も意識しながら過ごしてみようと思っています。
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