「裏表のない人がいいな、なんてことを人は言うけどさ……」
とかなんとか言いながら、鶏もも肉を取り出して、まな板の上に置く。
「そんな人、ホントに世の中にいるのかな?」
包丁を右手に構え、鶏肉を左手の指先でつまむ。

「ほら、この鶏肉だってね、こっちに身があって、ひっくり返すと皮がある。まるで顔つきが違うよね。どっちが表でどっちが裏なのかはわからないけれど」
皮面を下にして、身の表面に包丁で軽く切込みを入れる。それから包丁を振り上げて、軽く何度か上から叩く。
「ちょっと! 鶏もも肉と人間性を一緒に語らないでよね」
いきなり冷静な発言をされて、ハッと我に返る。そうだ、僕は人のあるべき姿を語ろうとしているわけではない。おいしい料理を作ろうとしているんだった。
「最近、ラクサにはまっているの」
彼女がそう言った。ラクサとはシンガポールで親しまれているカレーラーメンである。
「なんかのスパイスを使っているんだとは思うけれど、いったい何をどうすると、あの風味になるの?」

作り方はいろいろあるのだけれど、ラクサっぽい風味を生むエッセンスはある程度、限られている。ターメリックとコリアンダー、レッドチリ、エビ(またはその発酵調味料的なうま味)、そして、ココナツミルク。このあたりが集まればラクサ風の料理ができあがる。
麺を加えればラクサそのものだけれど、ハマってよく食べているなら別の料理に仕上げたい。そう考えて僕は鶏もも肉を買ってきたのだ。
「あのさ、裏と表にラクサのある人って、どお?」
「だからさー、料理と人間性は、別問題!」
「はい、すみません」
つまらないことを言ってないで、さっさと作れということなのだろう。僕は料理に専念することにした。
鶏もも肉のおいしさは、パリッとした皮とジューシーな身のコントラストだ。ところがオーブンで焼いたりしない限り、皮面をパリパリに仕上げるのは難しい。水分で煮たり、ふたをして蒸し焼きにしたりすれば、皮が水分を含んで、しんなりしてしまうからだ。
そこでパリッと焼いた皮を表に向けて、裏側の身の部分だけを煮て、中心まで火を通すことにした。
それだけではない。身の部分には、ラクサの風味に欠かせない要素を塗り込んでおく。そうすれば、皮面を焼いた後、ひっくり返すと皮から出た脂分がいい具合にラクサ風味を生み出す準備をしてくれる。フッ素樹脂加工されたフライパンで作れば、ノンオイルでこの料理は完成する。
ココナツミルクを注いだあとは、ふたを開けたまま弱火で煮る。ココナッツミルクが適度に煮詰まっていくと同時に、もも肉に火が入る。表を向いた皮面は、パリッとした状態を保つのだ。
この料理には意外な材料をひとつだけ忍ばせている。かつおの酒盗だ。これが海老だしに似た風味を加えてくれる。僕たちの好きな発酵調味料のうま味もありながら、どことなく東南アジアテイストも感じる仕上がりになる。冷蔵庫の奥に眠っているかつおの酒盗を復活させるチャンス。イカの塩辛だっていい。

器に盛ったら、ミントをどっさり散らし、ライムを絞ろう。計算通りに料理ができあがることの気持ちよさというのは何度やってもたまらない。スッキリしていながら適度にコクも感じ、香りのよさに酔いしれる。いやぁ、うまい。ご飯を添えればご飯が進むし、そうめんなんかを茹でて絡め合わせてもいい。そのまま食べれば酒が進むだろう。
「もしかしたらね、みんな裏表のない人がやっぱりいいんだろうけどさ……」
すっかり気分をよくした僕は食べながら話しかける。
「裏表のある人のほうが人間として正直な姿なのかもしれないよ。このチキンソテーを食べるとさ、そんなことを感じちゃうなぁ」
どうせ彼女は賛同してくれないんだろうな。でも、この料理のおいしさだけは実感してくれるに違いない。
◆チキンソテー・ラクサ風ソース
【材料・1~2人前】
鶏もも肉 1枚
パウダースパイス
・ターメリック 小さじ1/2
・コリアンダー 小さじ1
塩 小さじ1/2
にんにく(すりおろし) 1/2片
しょうが(すりおろし) 1/2片
かつおの酒盗 小さじ1
赤唐辛子 2本
パプリカ(みじん切り) 1/4個
ココナツミルク 1/2缶
スペアミント(ざく切り) 1パック
ライム 1/2個
【作り方】
鶏肉の皮とは反対の面にパウダースパイスと塩をまぶし、その上からにんにく、しょうが、酒盗をすり込んでおく。フライパンに鶏肉の皮面を下にして入れ、強めの中火でこんがりするまで焼いたら、裏返す。赤唐辛子とパプリカを加え、ココナツミルクを注いで弱火で10分ほど煮る。器に盛り、ミントを散らしてライムを絞る。