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多情多恨の世の中を反映した物語性を蓄えて、幾世紀を経た今もなお、もののあわれと美意識を絡み合わせ、永々と継承されてきた日本の古典芸能歌舞伎は、その豊かさと歴史の深さからして世界に誇れる文化財といえる。
昨秋から、松本幸四郎改め二代目松本白鸚、市川染五郎改め十代目松本幸四郎、松本金太郎改め八代目市川染五郎たちによる、高麗屋三代同時襲名の話題でもちきりの歌舞伎界だったが、今年初めに無事その襲名披露の舞台も終えて、父の名だった市川染五郎を名乗るようになった高麗屋の秘蔵っ子と会うことになる。場所は大手町のマリ・クレール スタイル編集部の一室だった。
3月27日に13歳になったばかりだという染五郎の傍らには、穏やかな笑みをたたえた母、藤間園子さんが付き添っておられた。
「襲名おめでとうございます」の後、今回の浅草に始まった「お練り」から、歌舞伎座の舞台での襲名披露まで、何が一番大変だったのかをきいてみた。
意志の強そうなきりりとした眉の下で、澄みきった瞳がこちらをみつめている。
「そうですね。『勧進帳』の義経という大役を12歳の自分が演じさせていただくことになったので、大きなプレッシャーを感じて、とても緊張しました」
―――1か月もあったから、少しずつ慣れてきたのでは?
「舞台での緊張に慣れることはありません」
きっぱりとしたその口調に、こちらはいささかたじたじとなる。役者は慣れてしまったらおしまいだ、ということをすでに13歳にして身につけてしまっているのだ。
2歳で初お目見得、4歳の時に初舞台を踏んだという染五郎は、「その時のことは、何も覚えていませんが、みんながぼくの方を見ていることが怖かったことだけは残っています」という。

何かで「犬丸座新聞」を出していると聞いたので、そのことも聞いてみた。
「小さい頃に、祖母からもらった犬のぬいぐるみを役者に見立ててお芝居をつくり、それを写真に撮って載せています」という。
「だけど今は『スター・ウォーズ』が好きになり、色々集めています」と小声で補足して笑っている。
小さい時から父や祖父の姿をみて、自分が歌舞伎役者になること以外は考えられなかったという染五郎。今年は11月の柿葺落となる京都南座での1か月の公演を控えている。
その小さな肩に、歌舞伎界の未来という重責を背負いながらも、時折うかがわせる美少年の素顔は、なかなか爽やかだった。