「東京・銀座の中央区立泰明小学校がアルマーニの8万円の標準服(制服)に切り替える」というニュースを聞いて、椅子から転げ落ちそうになりました。
「アルマーニ」「8万円」というのも衝撃でしたが、この小学校の校長の説明の中に「国際的視野に立つ人材を育てたい」とあり、あたかもアルマーニの制服はいわば子どもたちの国際感覚を養うためであるかのような説明があったことに、ドイツにルーツのある私は違和感をおぼえました。
優先ポイントが間違っているのでは……
気になって、いろいろとニュースをチェックしてみると、銀座という数多くの外国人観光客が訪れる国際色豊かなエリアに立つ小学校だということで、エルメスやシャネルといった他のブランドにもデザインの相談をしたとのこと。「外国人が見ても恥ずかしくないように、子どもには外国ブランドの制服を着せる」という風にも聞こえます。つまりは「子どもたちにとって制服が機能的であるかどうか」そして「各家庭にかかる経済的な負担はどうなのか」といったことよりも、「我が校の子どもたちが外国人からどのように見られるのか」ということを優先的に考えているように、私には思えました。はっきり言って、謎です。
そもそもアルマーニの制服を着た小学生を見て、外国人は「日本の小学生は国際的だなあ」なんて思うのでしょうか。子どもやその家族のことを中心と考えるのではなく、あくまでも「(外国人に)見られて恥ずかしくない格好を」という思考なのだとしたら、ある種の不健全さを私は感じるのでした。外国人に「どう見られているか」って、果たしてそんなに大事なことなのでしょうか。
ドイツにおける制服事情
さて、実際に海外の制服事情はどうなのかというと、私の知るドイツを含むヨーロッパの国々では、イギリスやブルガリアなど一部の国をのぞいて、公立校に制服があることはまれです。ドイツに関しては一部の学校で試験的に制服が導入されてはいますが、ここでいう制服とは「生徒や親、先生がみんなで事前に話し合って選んだデザイン」のものであり、「なるべく機能的であること」「値段が安く、家庭に負担がかからないこと」が前提となっています。デザインに関しては、「制服」といっても、同じ色のトレーナーを皆で着る、というスタイルのものも多く、必ずしもカチッとしておらず、ラフな感じです。
日本でもそうですが、制服には「各家庭の経済的な格差を目立たなくする」役割もあると思うのです。私服の良さもありますが、子ども同士でブランドを競い合ったり、どんどん派手になるのを避けるための「制服」。それが今回は制服がブランドだとは……。
アルマーニの制服に賛成する意見もありますが、子どもの貧困や格差社会が問題となっている今、公立の小学校で8万円の制服を導入することによって、学校に通いづらくなる子どもがいるかもしれないことに想像が及ばなかったのでしょうか。そして、もしも、この小学校に外国人の子どもが入学してきたとして、その子の親は果たしてこのアルマーニの制服を「国際的」だと思うのかどうか。はなはだ疑問なのであります。
個人的なことですが、私はドイツで過ごした学校生活の中で、制服を着たことがありません。そのせいか、10代のころは、日本の学校の「セーラー服」に憧れていた時期がありました。なので、「同級生のみんなと一緒にかわいいデザインの制服を着たい」という気持ちはちょっぴりわかるつもりです。でも、もし自分に子どもがいて「制服代は8万円です」と言われたら、やっぱり困惑すると思います。だって、日々育つ子どもの服にかけるお金としては高額ですし、私自身、大人ですけれど、8万円の服、持っていませんので……。
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