『セサミ・ストリート』のカウント伯爵は、目の前に何か見つけると数えずにはいられない。芥子の種など細かなものを撒いておくと魔除けになる(吸血鬼がそれを数えているうちに朝になる)という伝承がベースになっていて、私は幼い頃、彼と一緒に数を数えるのが大好きだった。正月にもらったお年玉の総額をいつまでも数えていた。節分には、年の数だけ食べる豆をせっせと数えていた。クリスマスのアドベントカレンダーを一つずつ開けるのも待ち遠しかった。
数を数えるのが楽しいのは、数えるたびに増えていくからだ。1つが2つ、2つが3つ、と増加するのはよいことであり、計上によって何かがたっぷりあることを実感できるのは嬉しい。だから昔は、「誕生日を迎えるのが憂鬱だ」と言う大人たちの気持ちがまるで理解できなかった。
しかし子供時代を過ぎれば、世界の捉え方も変わってくる。たとえば、年齢は無限には増えない。同窓会ばかりが回数を重ねるなか、急病や事故で若くして死んだ幼馴染の年齢は享年より増えることはない。意思疎通の難しい重病患者を紹介するときも、実年齢より闘病年数、あるいは宣告された余命が先に来ることが少なくない。人の上を流れる時間は、1の次は2、2の次は3、と順調に進むばかりではない。
夢想を打ち砕いた友人の死
「40歳は、80歳まで生きると仮定したら、ちょうど折り返し地点になる」。そう書いた年上の友人が、2016年に40歳ちょうどで急逝した。お別れ会に参列できなかったので、私は今なお彼女が東京で当たり前に生きているような気がしてしまう。でも、この遺された文章は「生きていることは、当たり前じゃない」と続いて、私の夢想を打ち砕く。書いたのは雨宮まみという人だ。
当時36歳の私もまた、来るべき40歳を人生の大きな節目と捉えていた。だが訃報に接してしばらく呆然としてのち、私はこの「折り返し地点」という考え方を、やめた。我々は、人生の残り時間を正確に数えることなんて絶対にできない。80歳まで生きる保証なんかないし、今夜眠ったら明日そのまま目が覚めないかもしれない。それがどうしたと居直って、折り返しのない一本道をなるべく悔いなく突き進むしかない。それは自分自身とのささやかな戦いの積み重ねであり、人類全体で「平均」を取った寿命とは、じつは何の関係もないことなのだ。
同じ時期、トミヤマユキコさんが「40歳までにオシャレになりたい!」というコラムを書いていた。今まで手を出さずにいたようなファッションにも果敢に挑戦していく連載だ。企画趣旨が同じでも「35歳からはオシャレになりたい!」と銘打つと、以降は絶対にコケられない、という強迫観念に襲われてしまう。「40歳まで」なら追い立てられる感じがしないし、36歳も39歳もふんわり包まれて、「しばらく悪あがきしてよし、多少の失敗も、アリ」というポジティブなニュアンスが含まれる。
自分と同世代のお二人の背中を眺めながら、私はつまり「40歳までには、いちいち年齢を数えて気に病むことのない、そんな大人になりたい」のだと知った。肩の力を抜いて「気がついたら40歳になっていた」と笑うのが理想の姿。でもそのためには、日々ささやかな戦いを勝ち進み、加齢に伴う不安を積極的に断ち切っていく必要もある。年齢を数えるのをやめる、といっても、その存在を無視したり、永遠に逃げ回ったりするわけにはいかないのだ。
すべては未来の自分のため
東洋人の私は、老け顔の西洋人たちに囲まれると、酒を買うのに身分証を提示しなければならないほど若く見える。一方で、結婚5年目、社会人経験はそろそろ15年近くになる。失礼を承知で年齢確認したくなるのだろう、「How old are you?」としょっちゅう訊かれるので、「I’m over 30.」とだけ答える。嘘はついていない。隠すつもりもない。ガキだと思ってナメてかかる相手には十分な驚きを与えられ、逆に、経験の浅い仕事相手には過剰な威圧感を示さずに済む。最近は「Almost 40.」と言うようにもなった。
まずは一年刻みの年齢申告をやめる。年上と年下の境界線をぼかしていく。早生まれとか遅生まれとかにこだわるのもやめる。「40歳になったらあれをしてみよう」と先延ばしでスケジュールを設定するのもやめた。今やろう、全部。40歳になるまでに。
「やめる」と「やる」とは表裏一体、すべては未来の自分のため、遠く霞んで見えるその目標を、ぐっと手元に引き寄せるためである。39歳から40歳になったとき、私は多分、大きなショックを受けないだろう。きっと30歳の誕生日以上に、淡々と過ごせるに違いない。
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