中島ナオさん 31歳で乳がんに…「自分の未来 決めつけない」

30代の挑戦

吉川綾美撮影

ステージ4の乳がんと闘う中島ナオさん(38)は、抗がん剤治療による脱毛に悩んだ経験から、自身のブランドを設立、華やかなヘッドウェアを作り続けている。失ったものにとらわれず、挑戦と工夫で30代を切り開いてきた。

31歳で乳がん

教育系NPOで働いていた31歳の時、ステージ3の乳がんとわかりました。結婚、出産など、いつか訪れると考えていた未来は、描きにくくなりました。治療のため仕事は休職。社会から取り残されたようで、すごく不安でした。

それでも生計を立てなければなりません。従来の働き方が難しいなら時給を上げようと考え、大学講師を目指すことに。抗がん剤治療を始めて約3か月後に大学院受験を決めました。先が見えない未来を変えるための挑戦でした。

一方、抗がん剤の影響による全身脱毛と向き合うには時間がかかりました。久々におしゃれをして友人と会っても、無理に付けたつけまつげが浮いてきてしまって落ち込みました。髪の薄毛も大問題で、大学院にはニット帽をかぶって通学しました。帽子に合わせてジーンズが増え、もうスカートをはくことはないのかなってつらかった。でも、いつかは元の髪に、という淡い期待がありました。

経験を商品に

34歳の時、再発転移がわかり、その期待は持てなくなりました。治療でまた髪が抜ける、しかもそれがずっと続く。つらかったけれど、髪がないことを前提に考えるしかなくなりました。

「どんなものがあったらいいか」。自分がほしいヘッドウェアのデザイン画を描き、ファッション関係の展示会で一緒に形にしてくれる人を探し始めました。でも、見つからない。ある人に「自分でやるしかないよ」と言われ、気づきました。ステージ4で治療中の自分にはできない、と無意識に思い込んでいたんだと。毛糸を編み、買ってきた素材を安全ピンで留め、サンプルを作り始めました。

その後、勤務先の大学の縁で帽子職人から量産の協力を得て、2018年にブランドを設立。私のヘッドウェアも髪のあるなしにかかわらず、メガネのような感覚で多くの人に楽しんでほしい。装う楽しみは生きる力になります。

がんで失ったものをどう補うかではなく、どう前へ上へ進むかを考えています。そして「自分は不幸」とも、「絶対に大丈夫」とも決めつけない。未来のことは誰にも分からないですから。

「がんを治せる病気にしたい」という思いで、がん治療研究費を寄付してもらう仕組みを19年に作りました。協力企業はサントリーなど60社にまで増えました。

がんのイメージを「あかるく、かるく、やわらかく」変えていく。私の挑戦です。

◇ ◇ ◇

【取材後記】 会った瞬間、その場がぱっと華やぐのを感じた。はじける笑顔を見ていると、がん闘病中であることをつい忘れてしまいそうになる。投薬期間を終えてすぐの取材。霧雨が降る中の撮影は体調に影響しないか心配だったが、「私、普段からあんまり傘を差さないから平気ですよ」と、意に介さない様子で明るく笑う。
 ヘッドウェアを実際に見せてもらった。シルクの西陣織で作った柔らかなものや、丸みのあるリバーシブルタイプなど、色も素材も様々。デザインに偏りがないのも中島さんらしい。
 芯は強いけれど、しなやかで柔軟。そんな印象を本人に話すと、「順調に行かないことばかりだったから、柔軟にならざるを得なかったのかも」。苦悩を抱えながらがんと向き合うことを経て、今の中島さんがあるのだと気付かされた。でも続く言葉は、「だけど、自分を鍛えることにつながったと思うと、無駄なことはないのかな」。どこまでも前向きで、強い女性だった。 (読売新聞社生活部 福元理央)

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中島 ナオ(なかじま・なお)

1982年、神奈川県生まれ。ヘッドウェアを製作・販売する「ナオカケル」代表。がん治療研究への支援プロジェクト「deleteC」なども行う。