野獣・松本薫 異例の転身への思い「試行錯誤だって楽しい」

30代の挑戦

(写真・米山要)

鋭い目つきで相手に挑む姿が「野獣」にたとえられた2012年ロンドン五輪柔道女子57キロ級金メダルの松本薫さん(33)。19年に現役を引退し、所属先と関係のあるアイスクリーム店で働き始めた。異例の転身の裏に、新たな世界で学び直したいという思いがあった。

野獣スイッチ

横井美帆撮影

銅メダルを取ったリオデジャネイロ五輪の時は28歳で、引退してもよかった。大会後に結婚し、「子供ができたら競技を続けよう」と思いました。多くの選手が出産を前に引退してしまう理由を知りたかった。17年に出産し、1か月後にトレーニングを再開しました。

「野獣」スタイルは、何を考えているかわからない、不気味な雰囲気を出すことで、相手が実力を出せなくするよう編み出しました。試合の1か月前に野獣スイッチを入れて、野性的なしぐさを心がけ、メイクもしない。女スイッチが入ってしまうので、彼氏にも「近づくな」と言いました。

でも、自分の子に言えない。保育園からの呼び出しが多くて納得いく練習もできず、野獣になりたくてもなれない。子供が最優先になり、引退を決めました。

ゼロから出発

柔道は五輪出場という目標達成のために続けたもので、新たな場所でゼロから学び直したいと思ったのです。所属先と関係のある会社の事業に昔から好きだったアイスクリームがあり、「これがやりたい」と言いました。

今は2人目の子供の育休中ですが、当初は製造から接客まで全てに携わりました。選手時代、「減量中もおいしく食べられるアイスがあればいいのに」と思った経験が「罪悪感なく食べられる」という店のテーマにつながっています。

材料には、ココナツミルクやてんさい糖を使います。牛乳などのアレルギーがある方から「おいしいアイスを初めて食べた」と感想をもらった時は本当にうれしかった。柔道は、応援してもらっていることはわかっていても、己との戦い。アイスで目の前の人を笑顔にできるのが楽しい。

思考も体格も似た人ばかりの柔道界とは、ギャップを感じることもありました。ある時、店のカウンターに手を置いているスタッフがいたんです。威圧感があると思い、手を下ろした姿勢でいるように言いました。1対1の競技では、相手にどう見られるかを常に意識します。理解してもらうのは難しかったですが。

私は臆病で、いつも「これでいいのかな」「やっぱりダメか」を繰り返しています。五輪などの大舞台は別にして、自信は過信。普段は謙虚でいたい。アイスも同じで、お客さんにおいしいと言われても「もっとおいしくできるはず」と試行錯誤を続けています。でも、それが楽しい。目標は、国際的な食品品評会「モンドセレクション」の金賞を取ること。この世界でも「金」を目指します!

◇ ◇ ◇

【取材後記】8月に放送された24時間テレビの企画で、レスリングの吉田沙保里さんと走る姿を見た視聴者が「『野獣』と『霊長類最強女子』。戦ったらどっちが強いのか」とネットでつぶやいていた。松本さんにぶつけてみると「どんなルールなんだろう」と真剣に考えてから「生と死をかけた戦いなら絶対勝つよ! 沙保里さんは優しいから」と答えてくれた。

勝負事となれば野獣に戻るのかもしれないが、撮影中の雑談で「胃カメラが怖い」とおびえる素顔の松本さんに近寄りがたいオーラはない。記者に夫の育児参加のコツを親身に教えてくれるところは頼れる先輩ママといった感じだ。

趣味のランニングについて聞いた時には、色々なマラソン選手のフォームをまるで陸上解説者のように語ってくれた。まねして走るため、風呂でユーチューブを見て研究しているのだという。優れた観察眼と飽くなき探究心が、野獣スタイル、そしておいしいアイスクリームを作り上げたのだと納得した。(読売新聞運動部 横井美帆)

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松本 薫(まつもと・かおり)

1987年、金沢市生まれ。化粧品・食品販売会社「ベネシード」社員。東京都新宿区のアイスクリーム店「ダシーズ」(新型コロナウイルスの影響で現在は通販のみ)の運営に携わる。