棚橋弘至選手「すべての女性の悩みを受け止める」

インタビュー

 4月から大手小町の「お悩み相談」のアドバイザーに加わるプロレスラー・棚橋弘至選手。近年のプロレスブーム再燃の立役者として知られる一方、映画やテレビのバラエティー番組などにも数多く出演し、ベストファーザー賞を受賞するなど、リングを超えて活躍しています。棚橋選手に、アドバイザーとしての意気込み、大手小町読者へのエールを聞きました。

お悩みには正面からぶち当たる

――大手小町のお悩み相談では初めての男性アドバイザーです。

 理想的な解決方法は、おそらく相談者自身が一番わかっているはず。そこを理解した上で、皆さんの質問に対して受け身を取って、ダメージ具合を味わうことで、皆さんが思い描いている方法とは違うアプローチをしたいですね。技をよけたり、問題を回避したりするのではなく、正面からぶち当たるのがプロレスラーっぽいのではないかと思っています。

――プロレス界では「100年に一人の逸材」と呼ばれています。プロレスラーを志したきっかけは何だったのでしょうか。

 最初はプロレスファンでした。プロ野球選手をめざしていたのですが、それがかなわず、伝える側になろうと、スポーツ紙の記者を志しました。ところが、大学でレスリングを始めたら筋肉が付いて、65キロの体重が90キロに。それで新日本プロレスの入門テストを受けたんです。2回落ちて、3回目に合格しました。

強い人間になりたかった

――大学に入ってプロレスラーを目指したのはなぜですか?

 プロレスラーって、年間に何試合もするし、ダメージを受けても次の日には、ケロッとしている。心も体も強くないとできないんです。当時、僕はあまり自分に自信がなかった。プロレスラーになったら自分に自信が持てるようになるんじゃないかと。強い人間になりたい、それがプロレスラーだったんです。大学では法学部だったので、周囲は弁護士や行政書士を目指したり、一般企業に就職したりしていました。大学1年の時、クラスの自己紹介で「プロレスラーになりたい」と言ったら、「なんだこいつ」という目で見られて、最初は誰も話しかけてくれませんでした(笑)。

――棚橋選手と言えば、人気が低迷していたプロレス業界を再び盛り上げた立役者とも言われています。新日本プロレスに入門して、1999年にデビュー、2006年にはIWGPヘビー級王座決定戦で優勝しました。当時のプロレス業界はどんな状況でしたか?

 自分がチャンピオンになった時は、ビジネス的にはどん底でしたね。プロレスファンの人って、見たいカードがあって、盛り上がって、楽しんで帰りたい。なのに、不透明な勝敗決着や、乱入、対戦カードの変更、出場キャンセル……、そんなことがあって、みんながプロレスを楽しめない。エンターテインメントのライブをやる側としては、欲しい味が出せない状況でした。入門した頃は人気があったプロレスも、だんだん観客動員が減り、スター選手もいなくなっていきました。

俺がなんとかするしかない

――せっかく優勝したのに、プロレス界がそんな状況で、どんな思いだったのでしょうか。

 「俺がなんとかするしかない」と思っていました。新日本プロレスに入ったばかりの頃は、キャリアを積めば自動的にスターになれると思っていた。受け身だったんです。スター選手が出るには、プロレスが、満員の観客が詰めかけて熱を帯びたジャンルになる、というシチュエーションが大切なんです。でも、そうじゃなかった。だからまず、僕がしないといけないのは、スターが生まれる環境をつくることでした。

地道な活動から始める

――具体的にどんなことに取り組んだのでしょうか?

 むちゃくちゃ地道な活動から始めました。最初に始めたのはプロモーションです。プロレスは日本全国を回ります。ある時、北海道の旭川で、試合前にいろんな人に会って話したら、試合の応援に来てくれたんです。その時、会ったことがある人は応援しやすいってことに気づきました。自分もプロレスファンだったので、「握手してくれた」「気さくに写真を撮ってくれた」「サインを書いてくれた」といったような、ファンがレスラーにしてもらってうれしいことを始めました。

――それまで、そうしたプロモーションをする人はいなかったのでしょうか?

 積極的にやる選手はいませんでしたね。昔はやらなくてもお客さんが入っていたんです。

――棚橋選手と言えば、イケメンでおしゃれでプロレスラーっぽくないスタイルが特徴的です。プロモーションしている時、何か工夫はしましたか?

 最大の敵はイメージでした。プロレスって、「血が出る」「痛そう」「男が見るもの」って思われていました。幸いにも、僕はプロレスラーっぽくない見た目なので、(笑)、イベントなどで呼ばれても、「プロレスの試合があるから見に来てください」とは一言も言いませんでした。まずは自分を売り込んで、僕に興味を持ってもらう。そして、「棚橋がやっているプロレスってなんだろう」っていうふうに持っていく。「棚橋さんが出るなら行ってみよう」って思ってもらう。そうやって少しずつプロレスのイメージを変えていって、見に行ったらみんなで楽しめるという信頼を勝ち得てきました。

――棚橋選手の地道な取り組みが実を結び、現在、プロレス界は、新日本プロレスを中心に「プ女子」と呼ばれる女性や家族連れが見に来るなど盛り上がっています。でも、結果が見えなかった当時、周囲から反発はありませんでしたか。

 もちろん、たくさんありました。並のメンタルだったらつぶれていましたね。僕はメンタル強いんですよ。

絶対自分が正しいという信念を持つ

――不安に感じたことはありませんでしたか?

 まず、絶対自分が正しいという強い信念を持つ。一つのやり方に対して賛否両論が巻き起こるのは、それが“本物”だから。応援する人も反対する人も巻き込んでいく。それが熱を呼ぶんです。あと、「サイレントマジョリティー」という言葉があります。何も言わないのは良いと思っている人。文句を言う人はマイノリティーなんです。

――棚橋選手のメンタルの強さはどこから来ているのでしょうか。

 僕のニックネームは「エース」。エースと呼ばれるには、揺るぎないものでないといけない。試合前にすごく緊張していても、後輩にはその姿を見せません。誰よりも練習して、プロモーションして、良い試合をする。それを超えるには、それ以上頑張らないと無理。後輩たちに「こんだけやってみろよ」と頼りがいを見せたかったんです。

――2016年にはベストファーザー賞を受賞しました。家庭ではどんなことに取り組んでいますか?

 いつも妻に「プロテインこぼすな」とか怒られていますね(笑)。妻は中学校の同級生です。洗濯物を干すのが僕の家事。この間もツイッターで思わずつぶやいてしまいましたが、袖はちゃんと表側にしてから洗濯機に入れてほしいですね。ぬれてクシャッとなっている袖に手を入れて表側を出すの、大変なんです。

夫は妻のフォローを

――円満な夫婦生活を送るにあたり、心がけていることはありますか?

 ママは家にいると子供を叱る場面が多い。子供がママに怒られた時は、お菓子で釣ってもいいから、子供に「なんで怒られたのか」を説明する。一番やっちゃいけないのが、子供と一緒に「ママこわいね」と言うこと。パパは「アメとムチ」のアメの役をしながら、ママのフォローをするのがいいと思います。

――最後に、プロレス界を立て直した棚橋選手が今後取り組みたいことを教えてください。

 ファンも増えたので、次は人の役に立ちたいと思っています。社会貢献として様々な施設を回ることを考えています。まだプロレスファンじゃない人にも応援してもらいたいですね。

――大手小町で「お悩み相談」の回答が始まります。

 プロレスラーの僕は、1回痛みを受け止めて、そこから立ち上がる回答ができる。痛みを知った人間は、次に痛みに耐えられるメンタルになります。プロレスラーらしいお悩み相談で力になりたいですね。世の中のすべての女性の悩みを受け止めます。

(取材/メディア局編集部山口千尋、写真/遠山留美)

棚橋 弘至(たなはし・ひろし)
プロレスラー

 1976年生まれ、岐阜県出身。立命館大学在学時代にレスリングを始め、新日本プロレスの入門テストに合格する。大学卒業後、新日本プロレスに入門。1999年に真壁伸也(現:刀義)戦でデビュー。2006年にIWGPヘビー級王座決定トーナメントで優勝。プロレスラーとして活躍する一方で、バラエティー番組などに多数出演。16年にベストファーザー賞を受賞、18年には映画『パパはわるものチャンピオン』で映画初主演など、プロレス界以外でも活躍している。