「news zero」出演で注目のターニャさん 日テレ社員・谷生俊美さんとは?

お悩み相談アドバイザー谷生俊美

“カミングアウト”までの葛藤や、お悩みアドバイザーへの抱負

 ターニャ=谷生俊美(たにおとしみ)さん(45)は、男性として日本テレビに入社。報道記者として活躍した後、「金曜ロードSHOW!」のプロデューサーを担当していた2018年10月、トランスジェンダー女性であることを明かし、「news zero(月~木、午後11時~、金 午後11時30分~)」にゲストコメンテーターとして出演、話題になりました。その後も不定期の木曜日に出演中で、上品でりんとした立ち居振る舞いや、記者経験を生かした的確かつユニークなコメントが評判です。

 そのターニャさんが1月から大手小町「お悩み相談」のアドバイザーとしてユーザーのお悩みに答えてくれます。LGBT(L:レズビアン、G:ゲイ、B:バイセクシャル、T:トランスジェンダーの頭文字をとり、性的少数者の一部を指した総称)の当事者を公表した上で番組に出演するターニャさんの知られざる横顔と、会社に“カミングアウト”するまでの葛藤や、お悩みアドバイザーへの抱負を聞きました。

報道記者から夢だった映画製作の道へ

――ターニャさんの略歴を教えてください。

 2000年4月、日本テレビに入社し、研修後報道局に配属となり、外報部記者を経て、02年からは社会部で警視庁を担当しました。その後、05年から5年間、カイロ支局長を務め、中東各地や北アフリカなどを何度も訪れて取材をしました。帰国後も外報部(現国際部)の記者として、11年の「アラブの春」を現地で取材。同年3月に発生した東日本大震災では、東京電力などの取材に携わり、12年6月に報道局から編成局編成部に異動して映画担当になり、「金曜ロードSHOW!」のプロデューサーになりました。6年半務めた後、昨年12月1日付で映画事業部に異動し、プロデューサーに就きました。

――どんなお仕事ですか?

 今までは、「金曜ロードSHOW!」という映画番組で放送する映画を選んだり、番組のPRを考えたりしていました。映画事業部では、日本テレビが出資するアニメーションから実写まで、映画そのものの製作に携わります。報道記者、映画編成、映画製作と、入社19年目で大きく分けると三つ目の業務になります。気がつけば報道局には12年もいましたが、元々映画製作の仕事に携わりたくて、日本テレビに入社したので、「金曜ロードSHOW!」を経てやっと夢がかないました。

「news zero」は“特殊ミッション”?

――そんな中、「news zero」にコメンテーターとして出演することになったのはなぜですか?

 それは、自分の意思ではありませんでした。元NHKアナウンサーの有働由美子さんが、新キャスターとして加わり、番組が一新されるタイミングで、報道局から出演依頼がありました。所属長や現場の人間とも話し合いを重ね、新しいニュース番組を作る上で、私が必要だと言われたので、お受けしました。それは、私がトランスジェンダーだからというだけではなく、12年間の報道局での記者経験と、6年半のエンターテインメント業界での経験をトータルで評価されて、キャスティングされたのだと思ったからです。あくまで本業外だけど、社命というか“特殊ミッション”的な感じですかね(笑)。番組には報道記者時代の仲間もいますし、ニュースの現場に戻れたようなうれしさはあります。

――出演後の反響は?

 結構大きかったですね。普段も現在のような姿で生活しているんですが、親戚の人がびっくりしたみたいです。親戚には、もう少し“マイルド”にした姿で会っていたので。でも、もうこれで「強制的公式カミングアウト」みたいな感じになってしまいました。

 その結果、親戚の間で「俊ちゃんが出てるよ!」と騒ぎになりました。でも、自分の選んだ道ですし、前向きに捉えています。親戚も「有働さんの隣に座るなんて中々できないこと」と、喜んでくれているようです。

仕事に忙殺され「めっちゃ男」に

――いつごろから自身のセクシャリティーに気づきましたが?

 幼少期から「女の子になりたい」という気持ちはあったのですが、中学、高校に進み、将来どんな仕事に就きたいか迷っていました。自分の女性にトランスしたいという希望についても考えていましたが、その時代テレビなどでよく特集されていたトランスジェンダーといえば、いわゆる「ニューハーフ」の方々で、私はあこがれつつも、女性として生きるには「夜の接客業」をするのが一般的というイメージをもっていました。でも、私は好きな大学に行き、好きな仕事もしたかった。中学、高校卒業後、家を飛び出してニューハーフに……という当時よく耳にしたレールに乗るのは少し違うかなと思っていたんです。中には、自分の「セクシャリティー」を隠し、男性として生きていくのは耐えられないという人もいらっしゃいますが、私の場合は、ある意味で自分自身に折り合いをつけ、男性として生活し続ける道を選びました。同じトランスジェンダーでもセクシャリティーにはレイヤーがあるということかと思います。そして大学院修了後、26歳で日本テレビに入社しました。

 入社してからは、仕事の楽しさや、日々の忙しさもありトランスしたいという思いは少し薄れていき、社会部警視庁担当の頃には、ヒゲまで生やしていました。今より10キロ以上太っていたし、めっちゃ男でした(笑)。当時は、仕事で結果を出すことが自分の中で最優先事項でした。その時取材で関係があった警察官の方々は、「えっ! あの、谷生君が!?」って、今の私を見てびっくりしているでしょうね(笑)。

 学生のころには、ドラァグクイーン(女装パフォーマンス)をしたこともありましたが、しばらくして仕事にも余裕ができてくると、プライベートで、そういう気持ちを思い出したりはあったものの、それほど顕在化することなく、まあ毎日楽しく暮らしていました。31歳の時に、エジプト・カイロ支局への赴任を打診され、私の年次では異例だったこともあり、とても意気に感じて「これは行くしかない」と決心しました。

このまま「おっさん化」したくない

 カイロ支局には日本人は私一人でした。必然的にものすごく自分と向き合う時間が増えました。5年間、会社勤めをしていると、この先の会社員としての展望が見えてくる時期ですよね、私も将来を考えるようになりました。自分の中の「女性」の気持ちが大きくなって、「このまま“おっさん化“するのは耐えられない」と思いました。

 

 徐々にフェミニンになっていったのは05年の秋ぐらいからですかね。少しずつ女性っぽい服を着たり、ファンデーションをつけたり、脱毛を始めたり。髪も伸ばしていきました。ちょっと“ビジュアル系ロッカー”のようになっていき、本社から「谷生、どうしたんだ!?」って、言われたりしましたね……。本当は、中東では一般的に「トランスジェンダー」に対して厳しい社会環境なのですが、私は一人でしたし、割と自由でした。東京から離れていたこともあり、自分と向き合う時間がたくさんできたことで、気持ちが整理されて、そのころから本格的に「女性」へ見た目を変える準備をしていきました。

戦争の現場で気づいたこと

 カイロ駐在の5年間で、自分が「女性」であることを再認識したのです。振り返ると、カイロ時代、テロや紛争で人の死を目の当たりにし、「ああ、人の命って、あっという間に失われてしまうんだな」って強く感じたんですね。たった今、人が亡くなった現場で「はい、現場から中継してください」と指示され、戸惑ったこともありました。レバノンの南部で、イスラエル軍のミサイル攻撃で家族を殺害され、がれきの中から血に染まった家族の服を号泣しながら掘り返す15、6歳の少女の姿を見て、ああ、人間って簡単に死んじゃうんだな。人生って、あっという間に変わっちゃう、はかないものだと実感する取材も経験しました。自分の人生もいつ終わるか分からないし、だったら後悔のないように生きようという思いが強くなりました。中東のように情勢が不安定で、人の命がたやすく奪われる環境が日本よりは多い社会に身を置いたから、そのように感じたと思っていました。

 カイロ赴任前、04年暮れに発生したスマトラ沖大地震・インド洋津波により、多くの人命があっという間に奪われた現場にも行きました。こんな悲惨な自然災害の現場は一生の内、2度と見ることはないと思っていました。そうしたら、帰国後の11年に東日本大震災があり、日本でも同じようなことが起きてしまいました。「あ、日本でも同じなんだな」って。ますます、人間はいつ死ぬかわからないんだな、と。だったら後悔のないように、私は女性として生きようと思いました。とはいえ、会社員ですしね……。

 04年に、性同一性障害特例法が施行され、法的にも「ガイドライン」ができました。法が整備されたことで、企業も対応を求められるようになり、男性から女性になっても「ニューハーフ」じゃなくて、会社員として働くことが珍しいことではなくなりました。世田谷区議会議員の上川あやさんのように、社会の多様な職場で活躍される「トランスジェンダー」の方も増えてきました。

会社への「カミングアウト」は?

 私は、一応専門家の判断を仰ぐことには意味があるかなと思い、カイロから帰国後、メンタルクリニックに通い始めました。メンタルクリニックに行き、2人の医師から診断を受け、会社に「性同一性障害」であることを説明を出来る状況は整えました。結果として思うことは、専門家の「診断」が私の生き方を規定するものではなく、あくまでも参考として診断書を手にしただけだということです。とにかくその上で、報道局を出て「金曜ロードSHOW!」のプロデューサーになった、12年の秋ごろ、会社に「カミングアウト」しました。当時の女性上司が、私が入社時の人事担当で、すごく話しやすく理解のある方だったことが、「カミングアウト」を後押ししてくれた面も大きいと思います。それから「女性化」を一気に加速させて、女性ホルモン投与を受けたり、ファッションも、中性的なものから完全に女性的なファッションに変えていきました。

 そして、去年「news zero」に出演することになったんですよ。本当に私が一番びっくりしました。

――ネットでは好意的な意見が多いようです

 ありがとうございます。もちろん一部では厳しい声もありましたが、それは当たり前のことかなとも思います。一方で、割と前向きな声が多く、励まされますし、率直にうれしいです。私が「トランスジェンダー女性」ではなく、普通の女性として認識されればいいのですが、まだそのレベルには達していないんだなと思っています。いつか「谷生さん、きれいな女性ね」以上。となるのが目標です。もっとがんばらなきゃと思います。

――初めてテレビで拝見した時、とても上品ですてきな方だと思いました。

 本当ですか? うれしいです。

――ファッションへのこだわりは?

 清潔感は大事にしたいと思っています。私は基本的にポジティブな人間なので、ハッピーオーラが伝わればと思っているので、明るめの色が好きですね。だから目立つことが多いかもしれません。トランスジェンダー女性(男性)が自認する性別で認識されることを「パスする」というのですが、女性として見られたいなら控えめにしたほうが「パス度」は上がるのかもしれませんが、私はこれが好きなんですよね……。周りから「(派手になりすぎないよう)引き算も大事だよ」って指摘されて、最近ではすごく意識もしていますけど、根本的には変えたくない。放送の時の衣装はプロに用意してもらっていますが、メイクは基本的に自分でした上で、少し手直ししてもらっています。

人と違うことはおもしろい

――バラエティー番組では当たり前ですが、ニュース番組に社員であるトランスジェンダーの当事者が出演するというのは、時代が変わったなと思います。

 あの番組に、私のポジション、ゲストコメンテーターとして出演する意味の大きさは認識しています。今は好意的に受け取られているかもしれませんが、評価はすぐに変わるものです。それは怖いですよね。顔出しするからには、自覚と意識を高く持って発言し、行動していかなければならないと思っています。(外見が)人と違うので、外ではまあまあ目立ちますしね。

 でも、将来、世の中が「人と違うことはいいことだ」という認識に変わればいいな、と思っています。日本は特に同質性圧力が強い社会ですし。私が表舞台に出るのは、「トランスジェンダー」や「LGBT」の当事者の権利向上を目指して「旗振り」をするのが目的ではありません。もちろん私も権利が向上すればいいと望んではいますし、多様性が評価される社会になればいいと思っています。ただ、 問題は、その人自身がどういう人で何をしたいか、何をするかがすべて、だと思うのです。「人と違うことはおもしろい」。私はそう思います。例えば、今は人と違うことでいじめがあったりしますが、私が「news zero」に出演して伝えていくことによって、気づきがあったり、LGBTを含めたあらゆるマイノリティーの方の励ましになったりしたら、すごくうれしいし、私が出演する意味だと思います。

人生を変えた1本の映画

――年間、200本近くの映画をご覧になるとのことですが、人生を変えた1本を選ぶとしたら?

 人生を変えた1本を2種類にジャンル分けしているんですが、「人生のベストワン」の1本は、学生時代に見た、「アンダーグラウンド」(1995)という作品です。カンヌ国際映画祭でパルムドール(同年)を受賞した、旧ユーゴスラビア出身のエミール・クストリッツァ監督が、ナチス占領時代から90年代のユーゴスラビア内戦までを描いた一大叙事詩です。一番衝撃を受けたし、一番大好きな映画です。人間の持つおかしさ、すばらしさ、おろかさ、いとおしさ、にくたらしさ、狡猾さ、汚さと、あらゆる人間存在に含まれる要素が、全部詰まっていて、愛情、裏切、家族愛、祖国愛、隣人愛、憎しみ、暴力とか……、すばらしすぎる音楽とともに圧倒的なパワーを持って迫ってくる映画です。見終わった瞬間「は~! なんだこれ!?」と、すぐには立ち上がれませんでした。ものすごいエネルギーを感じて……。若いときに見た作品には人生に大きな影響を受けましたね。

 エンターテインメント部門では「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズですね。冒険、恋愛、アクション……と、エンタメのあらゆる要素が入っています。いろいろな種族が出てきて、協調したり戦ったり、多様性のかたまりです。本当に大好きで、カイロにいたときには、みんなにいかに「ロード――」がすばらしいか、熱く語って「布教活動」していました(笑)。それくらい好きです。

――最近、日本で大ヒットした、クイーンの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」はご覧になりましたか?

 すばらしかったです。あの作品はペルシャ系インド人がルーツのフレディ・マーキュリーが持つアイデンティティーの模索、コンプレックスとの闘いであり、その上で自己肯定にたどりつくという内容が強く印象に残りました。それと同時に、セクシャリティーの模索。その二つが彼の音楽キャリア形成の物語にみごとに練りこまれていて、本当に感動的でした。彼の作った曲、歌詞には彼の人間性が表れていて、そのことに最後の20分間で気づかされました。自分のことを歌っていたんだって。「♪WE ARE THE CHAMPIONS, My Friend ”友よ” 」ですよ。それまでのストーリーが圧倒的な音楽にものの見事に昇華されていて、カタルシスの極みというか、もう、映画を見ながら作品の世界観にじゃぶじゃぶ浸っていました(笑)。

私なりのサジェスチョンを

――最後にお悩みアドバイザーとしての抱負を

 初めての経験ですし、大それた抱負は言えませんが、私は私なので、真摯しんしにいろいろな方のお悩みに向き合って、過去の経験や価値観から導き出した、私なりの問題解決法をサジェスチョンしていきたいです。

(聞き手:メディア局編集部・遠山留美)

谷生俊美
谷生俊美(たにお・としみ)
1973年9月26日生まれ。神戸市出身。東京外国語大学、同大学院博士前期課程(修士課程)修了後、2000年、日本テレビに入社。報道記者として社会部、外報部(現・国際部)カイロ支局長を歴任。12年、編成局に異動し、「金曜ロードSHOW!」プロデューサーとして勤務。トランスジェンダー女性であることを明かし18年10月から「news zero」のゲストコメンテーターに。12月、事業局映画事業部に異動し、映画製作に関わる。