私は幼い頃から、周囲の人たちに意欲的で行動力があると言われてきました。今もスポーツジムに通ったり、地域活動をしたりもしています。でも、実は心の中では「神様、もう終わりにしてください」とお願いしているのです。幼い頃から「私の人生なんて長い流れのなかのほんの一瞬の泡みたいもの」という思いが強くあり、子育てが一段落してからは、年々、生きているのが面倒になってきています。ここから抜け出すヒントはありますか。(ハンドルネーム:空っぽ)
A:いつか来るその時まで、流れに身をゆだねていいのでは
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に自殺願望を書き込んでいた若者たちが殺された事件がありました。あのニュースを見て思ったのは、私が若い頃、もしSNSがあったなら、間違いなく同じように「死にたい」と書き込んでいたであろうということです。
若い頃は嫌なことだらけで、未来なんて見えなくて、ずっとぼんやりと「死にたい」と思っていました。でも何となく死なずに年をとり、40代になって、昔よりも楽しく生きています。でも、いまだにふと「生きるのが面倒くさい」と思うことは、たまにあります。「死にたい」という積極的な意志ではないけれども、疲れたときや不安になったときに、そうなります。
あなたはお子さんを育て、今でもアクティブに活動され、他人から見ると充実した人生を送っておられます。そして、私もそうですが、おそらくあなたも年齢を重ねるにつれ、ゴールのみえない道を走り続けることに虚しさを感じてしまう。
何もかも放り投げたくなるときもあるけれど
あなたも私も、間違いなく、死にます。死だけは誰にでも公平に訪れます。それが突然なのか、病気を経るのか、いつ来るのかはわかりませんが、間違いなく死にます。
私も「生きるのが面倒」で、何もかも放り投げてしまいたくなるときはありますけど、それをしないのは、死ぬのが怖いのと、好きな人たちと離れたくないのと、家族を悲しませたくないのと、つまりは、結局、生きたい気持ちのほうが強いからです。 自分で死を選ぶ人はいます。だけどそういう人たちは、「生きるのが面倒」ではなく、「生きるという孤独に耐えられない」という限界まで追い詰められてしまったのだと思います。
前向きに生きずともいいのです
そこまで追い詰められておらず、面倒だけど死ねないのなら、生きるしかない。積極的に前向きに生きずともいいのです。平凡な日常を繰り返して時間がたち、年を取り、そのうちに必ず死ぬのだから、焦らずともいい。
私は若い頃、自分の未来が見えず嫌なことばかりで、生きるのがしんどかったから、前向きに目標や夢を持つ人が苦手で、そうやって積極的に生きられない、何もしない、できない自分に引け目を感じていました。でも、そんなふうにしなくても、ただ息をしてご飯を食べてというだけの生き方でも、人生に優劣なんかないと今は思います。
焦らずに残りをゆっくり生きましょう
残りの人生をゆっくり、休みをとりながら、ただ生きましょう。何もしなくてもいい。目標や夢も持つような積極的な生き方とは反対の、時間と日常に流され、死を待つだけの生き方でいい。新たに自分から積極的に行動を起こさずとも、時の流れに身を任せて、毎日、食事をして、掃除して、生きるために最低限の日常を過ごしていくしかない。
人は必ず死にます。間違いなく、そのときは訪れる。だからそのときまで、時間に身を委ねましょう。
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