ポーラ美術館…日本とフランス、「美の往還」をたどる150年

美術展ナビ

黒田清輝、野辺

内面も磨きたいあなたへ、読売新聞の運営する美術展情報サイト「美術展ナビ」から、働く女性の感性を刺激するアートの展示会やイベントを紹介します。コロナ禍で旅行や外出が制限されていますが、このコラムでアートをめぐる旅の気分を味わっていただけたらと思います。

温泉や豊かな自然、東海道の歴史、駅伝など多彩な「売り」を誇る神奈川県箱根町は、アートの一大拠点でもあります。日本を代表する観光地には特色ある美術館や博物館が点在し、年間を通じて訪問客を集めて、収集や研究の面でも日本の文化を支えています。

箱根の数多い美術館の中でも、筆頭格の知名度を誇るポーラ美術館。豊かな収蔵品とともに、おしゃれな建築もその人気の秘密です。遊歩道も設置されており、箱根の自然を楽しめます。

ポーラ美術館。左・正面入り口、右・2階エントランス

「Connections―海を越える憧れ、日本とフランスの150年」展

19世紀後半のジャポニスム、また明治以降の近代化を通じて、互いに強い影響を与え合った日仏の文化交流。その「美の往還」を豊富なコレクションをもとにたどる意欲的な試みです。とりわけ力点が置かれている近代日本の洋画の変遷が、文化の受容をめぐるストーリーとして実に興味深いものです。

第1章 ジャポニスム―伝播する浮世絵イメージ

モネ、ゴッホ、広重、北斎……と、いきなり豪華な顔ぶれでワクワクする展示が始まります。モネやゴッホが浮世絵から大きな影響を受けたのは有名ですが、改めて並べてみると大胆な構図や鮮やかな色遣い、橋などの特徴的なモチーフと、その関連性は一目瞭然。彼ら巨匠が日本についてどんな理想郷としてのイメージを持っていたのか、と想像するのは楽しくもあり、ちょっと怖くもあります。

左・フィンセント・ファン・ゴッホ《ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋》1888年 ポーラ美術館。右・歌川広重《冨士三十六景 武蔵越かや在》1858年(安政5) ポーラ美術館
左・クロード・モネ《バラ色のボート》1890年 ポーラ美術館。右・二代歌川広重《東都三十六景 両ごく橋》1861―62年(文久元―2)頃 ポーラ美術館

第2章 1900年パリ万博―日本のヌード、その誕生と展開

第2章は本展の最大の見どころといってよいコーナーでしょう。西洋絵画の影響をうけて、日本でも描かれるようになったヌード作品の移り変わりをみていきます。

19世紀末にフランスで学び、日本の洋画界を牽引けんいんする存在となった黒田清輝せいき。フランスで指導をうけたラファエル・コランの影響もあり、当時の西洋美術の主要モチーフのひとつだった裸婦像に取り組むようになりました。黒田の手掛けた重要な裸婦像である「野辺」は1900年のパリ万博会場で黒田が鑑賞したコランの「眠り」に触発され、制作されたとみられています。

左・ラファエル・コラン《眠り》1892年 芸術家財団、パリ (c)Fondation des Artistes / Raphaele Kriegel。右・黒田清輝《野辺》1907年(明治40) ポーラ美術館

日本美術史上、重要な意味を持つ作品だった「眠り」は長く行方が分からなかったのですが、近年、パリで保管されていたことが判明。本展を機に万博以来、120年ぶりに公開の場に展示され、ポーラ美術館所蔵の「野辺」と並べられました。洋画研究史上のエポックといえるでしょう。これまでも盛んに論じられていた2作の「近似」と「差異」もより明確になっています。

「野辺」に先立ち、黒田はいくつかのヌード作品を日本で発表し、裸体表現に対する感覚の違いから批判を受けたり、作品を布で覆う「腰巻事件」の騒動になったりするなど挫折を経験していました。「眠り」と「野辺」は構図や女性の柔らかな肌の質感、外光を受けた明るい色彩表現など基本的にはよく似ています。が、一方でコランの描く女性が眠っていてわきもあらわで無防備なのに対し、黒田の作品の女性は覚醒しており、わきを軽く閉じて手に持っている花を見つめています。またコラン作の女性が官能的なイメージのある毛皮を掛けられているのに対し、黒田作の女性は意識して布地を手にしているなど、細かくみていくと多くの違いに気づきます。

同展を担当した山塙やまばな菜未なみ学芸員は「裸婦像を日本で受け入れられるように苦闘したあとが見てとれる。この黒田の取り組みを土台にして、日本独自の裸婦像表現が発展していった」といいます。

黒田同様、フランスでコランに学んだ岡田三郎助も盛んに裸婦像をテーマにしました。先行した黒田から表現はより洗練され、日本の社会になじむヌードが創造されていく様相がみてとれます。

岡田三郎助《あやめの衣》1927年(昭和2) ポーラ美術館

このほかにも黒田らに先んじてヨーロッパ留学中に巧みな裸婦像を描いていた五姓田ごせだ義松や百武ひゃくたけ兼行、大正年間にセザンヌやゴーガンの影響を感じさせる裸婦像を創作した満谷みつたに国四郎など、興味深い作品が並んでいます。

第3章 正の輝き―ゴッホ、セザンヌ、ルノワールと日本の洋画家たち

こちらも知的興奮を感じる展示。「信仰」とさえ表現される日本におけるゴッホ人気をはじめ、セザンヌ、ルノワールらから日本の洋画家たちが受けた多大な影響と、そこから独自の表現を見出みいだしていった彼らの歩みをたどっています。

左・フィンセント・ファン・ゴッホ《草むら》1889年 ポーラ美術館。右・中村《平磯海岸》1919年(大正8) 今治市玉川近代美術館(徳生記念館)

その後の岸田劉生や村山槐多かいたの作品には、「ゴッホ風」をはじめとする西洋美術からの影響を吸収しつつ、独自の世界を切り開こうとする熱気と創意をひしひしと感じます。展示の流れで見るからこその妙味と言えるでしょう。

左・岸田劉生《自画像》1912年(明治45) 東京都現代美術館。右・村山槐多《湖水と女》1917年(大正6) ポーラ美術館

名高い森村泰昌の写真作品からは、日本に心酔したゴッホ、ゴッホを信仰した日本、そしていまやありふれたイメージとなったゴッホ、という歴史の積み重ねが透けて見えます。

森村泰昌《肖像(ゴッホ)》1985年(昭和60) 高松市美術館

現代でも毎年のように展覧会が開催され、多くのファンを集めるゴッホ。その往還はいまだリアルタイムで進行している、とも言えそうです。

第4章 「フォーヴ」と「シュール」

1920~30年代に入ると、ヨーロッパの前衛芸術の動向がほぼ同時に日本にも伝わるようになった。フォーヴィスムに傾倒した里見勝蔵や佐伯祐三、シュールレアリスムに強く影響を受けた古賀春江や三岸好太郎などの歩みをたどっていきます。

里見勝蔵《ポントワーズの雪景》1924年(大正13)頃 ポーラ美術館

フォーヴィスムやシュルレアリスムがもともと持っていた理念や思想と、日本のアーティストが受容した際の「ずれ」もはっきり見えます。

エピローグ フジタ―日本とフランスの往還の果てに

展覧会の終着点に置かれているのはレオナール・フジタ(藤田嗣治)。ポーラ美術館ならではのコレクションを存分に味わえます。

1920年代のパリで窮乏の時期を乗り越え、日本の伝統的な技法や表現、感性を生かして大きな成功をおさめたフジタ。日本人としてのアイデンティティーにもこだわった彼にとって戦後、「戦争協力者」のレッテルを貼られて日本を追われた衝撃は大きく、その後、祖国の土を踏むことはありませんでした。結局、日本国籍を抹消し、フランス人としてその生涯を終えました。日本とフランスの間で苦悩しつつ、新しい表現を生み出していったフジタは、日仏の「美の往還」の象徴としてふさわしいでしょう。

レオナール・フジタ(藤田嗣治)《ラ・フォンテーヌ頌》1949年 ポーラ美術館 (c)Fondation Foujita/ADAGP,Paris&JASPAR,Tokyo,2020,B0504

もともと、本展は東京五輪の開催に合わせて、海外から訪れる美術愛好者に欧州の名画や浮世絵などとともに、日本近代の作品も知ってもらいたい、という狙いがありました。山塙学芸員は「前提が変わってしまいましたが、コロナ禍で外国との往来が不自由になったことで、少ない情報の中で異国の文化に触発され、新しい芸術を生み出したゴッホや日本の洋画家たちの歩みを振り返ることにリアリティが生じたかもしれません」と言います。

2020年に開催された大規模展は五輪を意識したものが多く、時代状況にそぐわない内容になってしまったものも珍しくありませんが、本展はむしろ、だからこそ、という問題提起になったと思えます。自館の豊富なコレクションを生かした点も、結果的に時代の先取りだったといえるかもしれません。

「文化の伝播でんぱにはある種のずれ、ギャップ、誤解が必ず生じます。異国の作品世界に魅了され、まねをしてもまねをしきれない、もともと持っているアイデンティティーが出てくるところこそ興味深いものがあります。日本のアート界では最近、洋画の影が薄いのですが、そうした点に注目して改めてその良さを味わってほしいです」と山塙学芸員は話していました。

(読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)

Connections-海を越える憧れ、日本とフランスの150年

※1月8日(金)~2月7日(日)の緊急事態宣言発出期間中も、当館は通常通り開館。開館時間は午前9:00~午後5:00(最終入館16:30)です。
詳しくは同館ホームページへ。

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