清らかな教会と青く輝く海に迎えられる離島、長崎・上五島へ

リフレッシュ! 極上旅

本土と橋でつながらず、飛行機も就航していない離島への旅。そう聞くと、「行くのは大変」というイメージを抱くことでしょう。確かに、飛行機や新幹線で行きやすい場所に比べれば、移動は決して容易ではありません。でも、だからこそ残されている風景や文化も数多くあります。訪ねたのは、長崎県の五島列島にある新上五島町。島では、青く輝く海と、点在する美しい教会に迎えられました。

29の教会が立つ、十字架の形をした島

長崎港の約100キロ西に、大小140ほどの島々が点在する五島列島。列島は大きく二つのエリアに分けられます。北部の中通島(なかどおりじま)、若松島、それより北の島々からなる「上五島」(新上五島町)と、南部の福江島、久賀島(ひさかじま)、奈留島(なるしま)などで構成される「下五島」(五島市)です。

私が上五島を目指した理由は、五島列島にある51堂の教会のうち29堂があることと、本土から船しか交通手段がない島には、より昔ながらの風景が残されていると思ったからでした(一番大きな島である福江島は、長崎や福岡から飛行機の定期便があります)。

旅のプランは、上五島を2泊3日で訪ねるコース。羽田空港から長崎空港まで飛行機、長崎空港から長崎港までバス、長崎港から船に乗り、半日ほどで中通島に到着しました。

長崎港から船で上五島へ。長崎港からは、奈良尾港、有川港、鯛(たい)ノ浦港の三つの港に高速船やフェリーが運航している

上五島の中通島と若松島、頭ヶ島(かしらがしま)など有人7島は橋でつながっていて、一つの大きな島のような感覚。地図を広げると、中通島は不思議なことに十字架のような形をしていて、至るところに教会が建っているのが分かります。そのどれもが山あいの小さな集落のなかにありますが、これこそ、島の人々が信仰とともに生きてきた証しです。

中通島と頭ヶ島を結ぶのは、赤いアーチ橋

五島列島にキリスト教が伝わったのは1566年のこと。最盛期には2000人以上の信徒がいたものの、江戸幕府が発令したキリスト教禁止令により、キリシタンが国外に追放されて以降は、信徒への弾圧が強まり、五島のキリシタンは消滅したと言われていました。

ところが、江戸後期の18世紀末、農民不足を補うため、人口が増加していた大村藩から多くの人が五島列島に移り住んだことで、再び島のキリスト教史が始まります。総勢3000人にも及ぶ移住者の多くは、潜伏キリシタン(禁教令下もひそかに信仰を守った信徒)だったのです。彼らは、急な山肌、不便な入り江という、農業にも漁業にも適さない過酷な環境を切り開きながら、信仰を守り続けていました。

周辺の集落を見守るようにして立つ青砂ヶ浦(あおさがうら)天主堂。信徒たちがレンガをひとつひとつ積み上げ、3年の歳月をかけ、1910(明治43)年に完成した

明治維新後の1873(明治6)年に禁教令が解かれると、多くの人がカトリックに復帰。信仰の自由を得た証しとして、自分たちが暮らす集落に教会を建てていきました。これが五島列島に教会が多い理由です。

青い海と緑の山に溶け込むように立つのは、白浜集落の「頭ヶ島天主堂」。迫害が終わり、島へ戻った人たちが自らの手で築いた、石造りの天主堂です。工事期間は実に10年。信徒たちは生活費の中から建設費を捻出し、砂岩を一つ一つ海から運び、積み上げていったのだといいます。

頭ヶ島天主堂を含む「頭ヶ島の集落」は、世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つ
頭ヶ島天主堂の前には遠浅の浜辺が広がる。海の透明度と砂浜の白さにうっとり

現在は、集落に暮らす信徒たちが、先人が建てた天主堂を守っています。天主堂は集落もあわせて世界遺産となっていますが、観光客でいっぱい……ということはありません。集落の静かな環境を守り、訪れる人が安全に見学できるよう、車両の乗り入れが制限されているからです。天主堂へは、上五島空港(定期便は運航していません)から発着する無料シャトルバスで行くことができます。

車窓の美しい風景を眺めながら、シャトルバスで頭ヶ島天主堂が立つ白浜地区へ

バスは曲がりくねった道を行くのですが、ここから眺める景色の素晴らしいこと! 運転手さんが眺めのいい場所でしばらく停車してくれたおかげで、その絶景を目に焼き付けることができました。

キリシタンの祈りが響いた洞窟へクルーズ

上五島で守られた信仰の証しは、教会だけではありません。島の人たちに「キリシタン洞窟」と呼ばれているのが、キリシタン弾圧が厳しかった明治初期、迫害を逃れた4家族8人が暮らしていた場所。

といっても、家を建てたわけではなく、彼らは、陸地からは行くことができない険しい断崖に囲まれた洞窟の中に、ひっそりと身を隠していたのです。4か月にわたり潜んでいましたが、ある日、朝食を煮炊きしていた時のわずかな煙が漁師船に見つかり、捕らえられて、壮絶な拷問を受けたといいます。

中通島と若松島をつなぐ若松大橋の下を通って、キリシタン洞窟へ

ここは今でも、船でしか渡ることができません。クルーズツアーを利用するか、「せと志お」「祥福丸」などの釣り船をチャーターして向かいます。クルーズツアーなら上陸して他の観光スポットも効率よく回ることができ、小型船のチャーターなら旅程に合わせて好きな時間に利用することができます。

私が利用したのは、「せと志お」。旅館「前川荘」を営む船長が、高速漁船で案内してくれます。若松港を出発し、若松大橋の下を過ぎると、やがてエメラルドグリーンに光る海面が見えてきました。若松瀬戸と呼ばれる、中通島と若松島の間の入り組んだ地形にある狭い海峡です。波はなく、潮の流れが分かるほどに澄み切っていて、まるで鏡のよう。その風景は、現実のものとは思えないほど幻想的です。

「せと志お」の船長さん。見どころを熟知し、写真が撮りやすいようにうまく操縦してくださり感謝! 乗船は前日までに要電話予約(0959-46-2020)。貸し切り料金は、1人8000円、2人で9000円、4人で1万2000円

やがて、目的地の洞窟に到着しました。といっても、海岸からは入り口がどこにあるのかは分かりません。だからこそ、隠れるには最適の場所だったのでしょう。波が穏やかであれば、断崖に上陸することも可能です。といっても乗船場もなければ、道路が舗装されているわけでもありません。船から岩場に飛び移るしかないのですが、船長が波を読み、絶妙のタイミングで合図をしてくれたおかげで、安心して上陸することができました。

岬にある岩礁「ハリノメンド」。「ハリノメンド」とは、五島の方言で「針の穴」という意味。ぽっかりと空いた穴の形が、幼きイエス・キリストを抱く聖母マリアに見えるとも言われている

洞窟の入り口に立つのは、白亜のキリスト像。苦しみに耐え、信仰を守り抜いた先人たちをしのんで、1967(昭和42)年に建てられました。毎年秋には、地元の信徒たちがミサを行い、祈りをささげているのだそうです。

洞窟の入り口には、高さ4メートルの十字架と3.6メートルのキリスト像が立つ

洞窟の中に入ることも可能だったのですが、足場の悪さと、うっそうとした洞内の暗さに、私は断念してしまいました。こんな場所に、家族で4か月も暮らしていたなんて。目の前の穏やかな海とは相反するような壮絶な彼らの生きざまを思うと、やるせない気持ちになってしまいました。

江袋教会の鐘楼。1882(明治15)年に創建された木造の教会は2007(平成19)年に火事に遭い、その後に修復

船を下り、再び教会巡り。どの教会も華美でこそありませんが、周辺の暮らしにしっくりと溶け込み、集落の方々に掃除された建物はすがすがしさにあふれています。北部の江袋(えぶくろ)教会を訪れたのは、ちょうど夕暮れ時。夕日に染まる鐘楼を眺めながら、潜伏時代とほとんど変わらないであろう、のどかな集落に祈りの鐘が響く平和をかみしめずにはいられませんでした。

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芹澤和美
芹澤和美(せりざわ・かずみ)
旅行ライター

 編集職を経て、1996年、中国・上海へ短期留学。帰国後、フリーランスの旅行ライターとして活動。主なフィールドは、98年から通い続けているマカオや、中国語圏、アジア、中米、南アフリカ。主に、旅行雑誌やカード会員誌、機内誌、新聞などで国内外の旅行記事や紀行文を掲載。著書に『マカオノスタルジック紀行』(双葉社)。

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