大都会ヨハネスブルグとジャカランダが咲き乱れるプレトリア

リフレッシュ! 極上旅

アフリカ大陸最大の都市であり、南アフリカの文化・経済の中心となっているのが、ヨハネスブルグ。十数年前までは「治安が悪い都市」というマイナスのイメージがありましたが、近年は治安がぐっと良くなり、新しいカルチャーを求めて、多くの旅行者が訪れるようになりました。そんなヨハネスブルグに隣接するプレトリアは、コロニアル様式の建物が美しい行政の首都。南アフリカの空の玄関口にある二つの都市は、知的好奇心を満たしてくれます。

ヨハネスブルグは住宅街の探検が面白い!

ヨハネスブルグを語る前に、この国で40年以上も続いていたアパルトヘイトについて少しお話しましょう。アパルトヘイトとは、白人を優遇し、黒人ら有色人種を制限する政策です。白人だけに参政権が与えられ、暮らすエリアや、利用できる公共施設、駅のホーム、乗るバスに至るまで、人種によって強制的に分けられていました。

高層ビルが建ち並ぶヨハネスブルグ。サントン地区にある超巨大ショッピングモール内にある「ネルソン・マンデラ・スクエア」は旅行者にも人気

1994年にアパルトヘイトが撤廃され、この国初の民主的な選挙で大統領に選ばれたのが、かの有名な故ネルソン・マンデラ氏です。自由を求めて闘っていた彼が国家反逆罪で捕えられ、45歳から27年間も獄中生活を送ったすえに大統領となったのは、あまりにも有名な話。さらに、勝利を勝ち取った後も私欲を追求しなかったストーリーは、伝説にさえなっています。

彼の自叙伝「自由への長い道」は日本語にも翻訳され、映画化されたことから、一連の史実を知る人も多いことでしょう。私も自叙伝を読み、何度涙し、励まされたことか。個人的には、彼が3度の結婚(3度目は何と80歳!)をしたことに、偉大な人ながら人間味を感じ、親しみを覚えてしまいます。

反アパルトヘイトを掲げ、国家と対立していたマンデラ氏とその仲間が地下活動を行っていたのが、首都ヨハネスブルグです。彼は、南アフリカ最大のタウンシップ(アパルトヘイト時代の黒人居住区)であるソウェト地区に長く暮らし、権力と闘っていました。

ヨハネスブルグの定番観光スポット、「アパルトヘイト博物館」。資料を展示するだけではなく、かつてあった人種差別を疑似体験するコーナーもある

そんなソウェト地区は現在、ローカルな雰囲気を味わえる注目の観光スポットになっています。なかでも人気を集めているのが、ガイドの案内で住宅街を歩き、ローカルレストランで郷土料理を食べるツアー。街の歴史や習慣、幼い頃の思い出話など、生粋のソウェトっ子であるガイドから話を聞けるとあって、外国人旅行者に好評を得ています。

ツアーは、散策、トゥクトゥク(三輪タクシー)、サイクリングと三つのコースがあります。私は散策とサイクリングコースを体験したことがありますが、より強く心に残っているのは後者。

ソウェトのツアーは「Lebo’s Soweto Backpackers」が主催。公式ウエブサイトから予約が可能。サイクリングツアーは安全面にも十分に配慮され、グループの前後にガイドが着くので安心

自転車で走る私たちを迎えてくれたのは、子どもたちによるあいさつの嵐でした。すれ違うたびに「ハーイ!」「ジャパン!」と声をかけてくれる子もいれば、ハイタッチをしようと駆け寄ってくる子もいて、こちらが照れくさくなってしまうほど。これも旅の醍醐味(だいごみ)です。

ツアーでは、雑穀を原料にした伝統的なお酒「ムコンボティ」も振る舞われます。これは結婚式には欠かせないもので、素焼きの器を豪快に回し飲みするのが習慣なのだそう。新郎新婦がまとうアクセサリーまで用意されていて、一緒に参加したゲストと記念撮影をして大いに盛り上がりました。

青空レストランで食べる伝統料理。ローカルに触れるツアーが楽しい

このツアーでは、「マンデラ・ハウス」にも立ち寄ります。ここは、1946年から長期投獄される直前の1962年まで、マンデラ氏が当時の家族と暮らしていた旧宅。現在はミュージアムとして公開されています。館内には、実際に使用していた家具や生活道具、思い出の写真が飾られていて、映画で見た“あの家”に、本当にお邪魔しているような気分でした。

「マンデラ・ハウス」の庭には、ネルソン・マンデラ氏の元妻、ウィニー・マンデラのメッセージも。マンデラ氏は2013年12月に95年の生涯を閉じた後も人々の心の中に生き続け、尊敬の念と親しみを込めて「マディバ」と呼ばれている

「マンデラ・ハウス」が立つのは、フィラカジ・ストリート。ここは世界で唯一、二人のノーベル賞受賞者を輩出したストリートとしても知られています。一人はネルソン・マンデラ氏、もう一人は、反アパルトヘイト活動を行ったデズモンド・ツツ大主教です。一帯はちょっとした観光地となっていて、お土産を売る屋台やパフォーマーでにぎわっていました。

こうして人々の暮らしの中に入っていくのはとても新鮮です。もちろん、このツアーに参加することで南アフリカのすべてを理解することはできませんが、フレンドリーな人々や、アパルトヘイト時代に触れるセンシティブな質問にも真摯(しんし)に答えてくれるガイドの姿勢が、強く心に残っています。

街中が紫色の花に染まる「ジャカランダ・シティ」

ヨハネスブルグから約50キロ離れたプレトリアは、南アフリカの首都のひとつ。「ひとつ」というのは、この国は首都機能を、行政(プレトリア)、立法(ケープタウン)、司法(ブルームフォンテーン)の3都市に分けているためです。

行政の首都というと味気ない風景を想像してしまいますが、プレトリアは、19世紀に築かれたコロニアル様式の建物が建ち並ぶ美しい街です。ヨハネスブルグから車で40分ほど、南アフリカの空の玄関口であるO・R・タンボ国際空港から1時間ほどとアクセスも良く、足を延ばす価値があります。

プレトリアは文教都市でもあり、南アフリカ大学やプレトリア大学などの名門が構えています。洗練されたレストランも点在し、ヨハネスブルグよりも落ち着いた雰囲気。歴史的建造物を見て歩いたり、ダイニングで食事をしたりと、さまざまな楽しみがあります。

政府機関や官庁、各国の大使館が集中するプレトリア。歴史建造物を見て歩くのも楽しみ

街一番の観光スポットが、大統領官邸の機能も持つ政府庁舎のユニオン・ビルディングス。高台から街を見下ろすことができるので、各国の観光客でにぎわっています。ちなみに、ここにある高さ9メートルのネルソン・マンデラ像は、数あるマンデラ氏の銅像の中で世界一大きなものなのだそう。

小高い丘の上にあるユニオン・ビルディングスから街を一望
世界最大のネルソン・マンデラ像は人気の記念撮影スポット

街は別名を、「ジャカランダ・シティ」と呼ばれています。春を迎えた10月下旬になると、いっせいにジャカランダの花が咲き乱れ、街は可憐な青紫色に染まります。

ジャカランダというのは、春から初夏にかけて、ラッパのような形をした青紫色の花を咲かせる植物です。中南米を原産とする植物であるため、元々この街にあったものではありません。19世紀に街を整備する際に植樹したものが、鉄分を多く含む土と穏やかな気候のもと、すくすくと成長し、今や本場をしのぐ世界一のジャカランダ並木となったのだとか。

春に咲くジャカランダは街のシンボル。満開の時期を目指して訪れる日本人観光客も多い

総本数は約7万本、並木の総距離は約650キロ。世界各地にジャカランダの花が咲く街はありますが、これほどまで見事な風景は、プレトリアでしか見られないと言われています。

ジャカランダは、カエンボク、ホウオウボクと並ぶ、世界三大花木のひとつ

私は満開のタイミングを見計らって、プレトリアを訪れたことがあります。コロニアル様式の歴史的建造物が建ち並ぶ通りも青紫色に染まり、まるで映画のワンシーンのようでした。春の到来を告げるプレトリアは、まさに日本の桜に匹敵しますが、決してお花見宴会は開かれません(そもそも、南アフリカは公共の場での飲酒は法律で禁止されています)。しっとりと、日常のなかに美しい花の風景があるのが印象的でした。

南アフリカ観光局
CAPE SIDECAR ADVENTURES

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芹澤和美
芹澤和美(せりざわ・かずみ)
旅行ライター

 編集職を経て、1996年、中国・上海へ短期留学。帰国後、フリーランスの旅行ライターとして活動。主なフィールドは、98年から通い続けているマカオや、中国語圏、アジア、中米、南アフリカ。主に、旅行雑誌やカード会員誌、機内誌、新聞などで国内外の旅行記事や紀行文を掲載。著書に『マカオノスタルジック紀行』(双葉社)。

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