食と民芸陶器に心躍る ポルトガルのアレンテージョ地方

リフレッシュ! 極上旅

「ポルトガル・クッキングスクール」のソフィア先生

ポルトガル旅の後半で訪れたのは、中南部のアレンテージョ地方。首都リスボンからテージョ川を挟み、スペインとの国境に至るまでの南部一帯を占める広大な地域です。ここを訪れる楽しみは、郷土料理や日本でも人気のあるアレンテージョ産ワイン、青い空の下に広がる牧歌的な風景、そして、はるか450年以上も前に築かれた日本との交流の歴史……と盛りだくさん。ポルトガルらしさを存分に満喫できるエリアは、旅心を満たしてくれます。

日本人ならぜひ歩きたい古都エヴォラ

太陽の下で銀色に光るオリーブの葉、平原に赤茶色の樹肌をむき出しにするコルクの木々、その合間にのぞく白壁の家並み……。そんな牧歌的な風景がどこまでも続くアレンテージョ地方は、リスボンやポルトとはまた違った風情があります。まずは、中心都市のエヴォラへ。歴史ある旧市街は世界遺産でもあり、多くの観光客でにぎわっています。

歴史地区が世界遺産となっているエヴォラは、カフェやショップもたくさん。ポルトやリスボンほど混み合うこともなく、気持ちよく散策できる

街の景観は、時代の変遷そのものを表しています。ローマ時代の神殿や水道橋、8世紀以降のイスラム支配下で造られた城門とムーア人街跡、中世以降のキリスト教会や修道院など、異なる時代の建造物が点々と残されているのです。「ヴァスコ・ダ・ガマ通り」という路地を見つけ、「いかにもポルトガルらしい通り名だなあ」と思っていたら、そこはまさに、16世紀にヴァスコ・ダ・ガマが住んでいた場所でした。

歴史を物語る建物が点在する街は同時に、人々の生活の場でもあります。ローマ時代の水道橋の一部が雑貨店やカフェ(しかも、おしゃれ!)として利用されているのには驚かされました。この街が「天井のない博物館」と言われるのも納得できます。

街の真ん中にあるのは、ローマ時代に造られたディアナ神殿の跡(左)。水道橋のアーチの下は、カフェやレストラン、オフィスとしても利用されている(右)

歴史的建造物はどれも保存状態がよく、ひとつひとつに圧倒されてしまうのですが、そのなかで私が一番親しみを覚えたのが、「エヴォラ大聖堂」でした。ここは1584年、天正遣欧少年使節の少年4人(原マルティノ、伊東マンショ、中浦ジュリアン、千々石ミゲル)が訪れた歴史的な場所。マンショとミゲルが弾き、拍手喝采を浴びたと言われるパイプオルガンは、今もイベントで使われることがあるのだそうです。

現在は飛行機で行けるポルトガルも、彼らが旅した頃はきっと、私たちの想像をはるかに超える未知の国だったに違いありません。そんな時代に、日本のティーンエイジャーたちが異国の人たちに迎えられ、知性ある振る舞いが歓迎されたと思うと、思わず胸が熱くなってしまいます。

16世紀にエヴォラを訪れた天正遣欧少年使節は、大司教に織田信長直筆の手紙を見せ、大聖堂でみごとにパイプオルガンを演奏したという

エヴォラの街は、ほかにも見どころが多くあります。「エヴォラ大学」は、1559年に建設されたイエズス会(カトリック教の修道会)の神学校がルーツ。現役の校舎は、教室や講堂、回廊などが一般公開されています。アズレージョ(絵タイル)に彩られた美しい教室は鮮やかで、こんなところで学べる学生さんがうらやましくなりました。

ランチはワインを飲みながら、料理教室で調理

エヴォラはカフェやレストランも多く、食べ歩きの楽しみもあります。街の中心部、ジラルド広場に面した「カフェ・アルカーダ」のケイジャーダ(チーズタルト)は、歩き疲れたときのおやつにぴったり。ポルトガル名物のナタ(エッグタルト)は強烈に甘いものが多く、それが苦手な私も、こちらのケイジャーダはしっとりとして優しいミルクの風味があり、気に入りました。

各地方に特色があるケイジャーダ。エヴォラで食べたものは、しっとりとして甘さ控えめ

アレンテージョ地方を訪れたのなら、郷土料理はぜひ味わっておきたいもの。広大な面積を持ち、畜産業や、ポルトガル人にとって大切なパンの材料である小麦栽培などが盛んなこのエリアは、ポルトガルで最も料理がおいしい土地と言われています。

エヴォラのランチタイムは、外国人も気軽に参加できる料理教室「ポルトガル・クッキングスクール」に参加し、帰国してからも再現できる料理を学ぶことにしました。ポルトガルの調理器具が並ぶかわいらしいキッチンで迎えてくれたのは、ソフィア先生と助手のマリアさん。メニューは、ニンジンのアペタイザーと、ポルトガル風ソーセージ、バカリャウ(干しダラ)のスープ、アレンテージョ料理の代表格である豚肉とアサリのアレンテージョ風煮込み、そしてケイジャーダ。アペタイザーからデザートまで5品を2時間半~3時間で作ります。

「作って食べて、作って食べて。ワインを飲みながらね!」とソフィア先生

料理には、想像以上にオリーブオイルを使います。ソフィア先生いわく、「すべてのポルトガル料理は、ガーリックとオリーブオイルで始まる」のだそう。そのほか、コリアンダー(パクチー)もよく使いました。コリアンダーは、15~17世紀の大航海時代、ポルトガルの船が寄港した東南アジアから持ち帰られ、定着したもの。ポルトガル料理には、調味料ひとつにもストーリーがあって興味を誘います。

ニンジンのアペタイザー(左)はビネガーとオリーブオイル、塩、コリアンダーでシンプルに味付け。燻製ソーセージ(右)は専用の器で直火焼きに
豚肉とアサリのアレンテージョ風煮込み(左)は、樫の実を食べて育つ豚のお肉がおいしい土地ならではの郷土料理。バカリャウのスープ(右)にも、コリアンダーとガーリックをたっぷりと

調理場には、アレンテージョ産ワインも用意されていました。調理が終わり、食事のときに飲むものかと思いきや、「アレンテージョのキッチンでは、料理をしながらワインを楽しむのよ!」とソフィア先生。コリアンダーを刻んで、ワインを飲んで、豚肉にマッサ(パプリカペースト)をもみ込んで、またワインを飲んで。ときにはつまみ食いもしながら、おいしいだけではなく、楽しいランチタイムとなりました。

知られざる、日本との関わりを持つ小さな村へ

ランチを後にして向かったのは、さらに内陸のヴィラヴィソーザ村。人口8000人ほどの素朴な村ですが、ここは日本との関わりが強い場所でもあります。1582年、ローマ教皇に謁見するべく日本をった天正遣欧少年使節が、マカオ、マラッカ、インドと苦難の旅を続け、ようやくポルトガルに到着したのは、出発から2年半後のこと。彼らは、リスボンのほかにアレンテージョ地方を訪れています。なかでも、8日間(往路4日間、復路4日間)滞在したヴィラヴィソーザ村のブラガンサ公爵宮殿では、多くの歴史的エピソードを残しました。

オレンジの街路樹が美しいヴィラヴィソーザ村(左)。ヴィラヴィソーザ村に残るブラガンサ公爵宮殿(右)

その宮殿は現在、博物館として公開されています。日本ではあまり知られていない少年たちのエピソードを詳しく教えてくれたのは、学芸員のティアゴさんでした。彼は数年前にふとしたきっかけから天正遣欧少年使節の記録を見つけ、以来、熱心に研究をしているのだそうです。

当時15歳だった伯爵のテオドシオ2世と少年たちが親しく遊んだこと、館の主であるカタリーナ妃が母親のように優しく少年たちに接したこと、病弱なジュリアンが体調を崩したときは、貴重な砂糖水を与えて看病したこと、少年同士が衣装を着せ替えて喜び合ったこと……。はるか昔の人物だと思っていた彼らの、初々しい異国訪問の様子がありありと想像できて、ワクワクする時間でした。

少年たちが泊まった部屋や歩いた階段は今もそのまま

館の装飾も見応えがあります。壁一面に歴史が描かれた大理石の階段や、なめらかなビロードの絨毯(じゅうたん)、金銀の装飾品、優雅な暖炉はきっと、日本からやって来た少年たちを驚かせたことでしょう。十代半ばにして、ここでいろいろな思い出を刻んだに違いありません。少年たちはその後、ローマ教皇に謁見し、目的を達成。活版印刷機を携え、8年ぶりに戻った日本は禁教令が敷かれ、彼らは数奇の運命を歩みました。でも、ここで過ごした4日間は、きっと輝いていたのだと思います。教科書には載らない歴史のドラマを、小さな村で知ることができました。

300人分の料理を作った厨房や礼拝堂も残る

思い出いっぱいのアレンテージョ地方で、最後に立ち寄ったのは、小さな陶器工房です。アレンテージョ地方の民芸陶器は、牧場で仕事をする羊飼いやオリーブの収穫がお皿に描かれていたり、農民をかたどった水差しがあったりと、とてもユニーク。もともとは農閑期に人々が描いていた絵付けがルーツなのだそうです。

女性作家が手がける「オラリア・ピラーサ」は、1930年創業の老舗工房

アレンテージョ地方には、家族経営の小さな工房がいくつもあります。リスボンのような都会で買うと高いものも、直営ならリーズナブル。私も小皿とボウルを何枚か購入し、大切に手荷物で持ち帰りました。のびのびとした絵柄はポルトガルの風土を思い出させ、いつ見てもほがらかな気分にさせてくれます。

ポルトガル・クッキングスクール
ブラガンサ公爵宮殿
オラリア・ピラーサ

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芹澤和美
芹澤和美(せりざわ・かずみ)
旅行ライター

 編集職を経て、1996年、中国・上海へ短期留学。帰国後、フリーランスの旅行ライターとして活動。主なフィールドは、98年から通い続けているマカオや、中国語圏、アジア、中米、南アフリカ。主に、旅行雑誌やカード会員誌、機内誌、新聞などで国内外の旅行記事や紀行文を掲載。著書に『マカオノスタルジック紀行』(双葉社)。

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