北前船で栄えた街・酒田の文化、芸術、グルメを味わう

リフレッシュ! 極上旅

本間美術館・鶴舞園(山形県酒田市)

2泊3日で巡る羽越の旅、最終目的地は山形県酒田市です。「江戸時代に北前船きたまえぶねで栄えた街」というぼんやりとしたイメージしかなかった酒田ですが、実際に訪れてみると、その文化の奥深さを実感。もちろん、日本海の旬の味覚もたっぷりと味わいました。

豪商の邸宅は、遊び心と地元を思う愛がそこかしこに

酒田と言えば、北前船の文化。北前船は、江戸時代から明治時代にかけて、日本海沿岸の各地を結んだ船です。当時の物流の大動脈だったのですが、ただ荷物を運んでいただけではありません。船がもたらしたものや文化は、激動期の日本に大きな影響を与えました。

北前船がユニークなのは、船主が預かった荷物を運送して収入を得るのではなく、船主が商品を買い集め、それを寄港地で売ることで利益を上げていたこと。船主の才覚が売り上げを左右する、いわば「商社」のようなビジネス手法だったのです。北前船が一度航海すると、船主は千両もの利益があったとも伝えられています。

北前船の寄港地は日本海沿岸や北海道に点在していますが、酒田は最も栄えた拠点のひとつでした。春になると大小の廻船かいせんが出入りし、諸国から集まった荷と人でにぎわっていたのだそう。まさにここは、当時の最先端をゆくコスモポリスでもあったのです。

本間家の4代目、光道が建築。大正時代には東宮殿下(後の昭和天皇)がご宿泊されるなど、迎賓館としても使用された清遠閣。手すきのガラス窓の向こうに、美しい庭園が

北前船の事業で腕を振るっていたのが、本間家。戦前まで日本一の大地主として知られていた実業家一族です。同時に、己の財産を増やすことに執着せず、築いた富を地元に還元し続けた、懐の深いセレブリティーでもありました。代々の当主が、土地改良、学問奨励、備蓄米の確保、貧民救済などに尽力し、土地の人とともに歩んできたといいます。

終戦後、荒廃していた社会にいち早く私立美術館として市民に開放された本間美術館。2階の部屋に置かれたアンティークのいすは、ゆったりと庭園を眺められる特等席
清遠閣の中には、大正ロマンをしのばせる喫茶室が。抹茶とお菓子をいただきながら、ほっと一息

ダイナミックで文化にも大きな影響を与えた北前船の事業、そして地元に寄り添う実業家。ポルトガルの大航海時代を思わせるような深い文化を知りたくて、JR酒田駅からほど近い「本間美術館」を訪ねてみました。開館は戦後まもない昭和22年(1947)年。日本の私立美術館のさきがけともいえる美術館で、大名から拝領した品や文書、当主が好んだ茶道の器物など貴重品が展示されています。

敷地内には、迎賓館の役割を果たしていた本間家別邸の「清遠閣せいえんかく」と、庭園の「鶴舞園かくぶえん」があり、見学することができます。お金持ちが建てた家と庭だから、さぞかしゴージャスできらびやかな建物だろうと思いきや、派手さではなく、趣向で魅せる造りで、見るほどにうっとり。

視線を柔らかに揺らめかせる手すきのガラス窓や、継ぎ目のない一本通しの杉の手すり、樹齢1000年以上の神代杉を使った板戸などの繊細な造りに、見入ってしまいます。ふと階段を見上げると、梅の木に止まるウグイスを影に映す透かし彫りが。こんなさりげない仕掛けに、心がくすぐられます。

梅の木の透かし彫り。その影には、よく見ると、木に止まるウグイスの姿が浮かび上がる。邸宅を利用した清遠閣のなかには貴重な芸術品がそこかしこにあり、評論家・大宅壮一(おおや・そういち)は「お座敷美術館」と呼び、たたえたのだとか

2階に上ると、窓の外に広大な鶴舞園が広がっていました。その向こうには、酒田の街並み。かつては、この絶景の中にカラオケ店の看板が堂々と見えていたといいます。とはいえ、看板に罪はなし。市民運動により看板の縮小工事が提案され、看板の所有者も「子どもの頃から親しんだ場所を守りたい」と、快くそれに応じたのだとか。本間家と地元のつながりが、こんなエピソードにも垣間見られます。

鶴舞園には、北前船が持ち帰った各地の石が配されている。10月下旬~11月上旬には紅葉が、12月中旬には美しい雪景色が楽しみ

素晴らしいのは、清遠閣と鶴舞園が生まれた由来です。その建造は、北前船が入港できなくなる冬期に仕事を失う港湾労働者たちのために、本間家が発案した失業対策でもあったといいます。鶴舞園を歩くと、しつらえた遊歩道に高低差があり、見る位置によって様々な景観を楽しませてくれました。

世界に名を知られる写真家、土門拳を知るミュージアム

以前からずっと訪れてみたいと思っていたのが、「土門拳記念館」。昭和期に活躍した酒田出身の報道写真家、土門拳どもんけん(1909-1990年)の足跡を公開しているミュージアムです。

1983年に開館した土門拳記念館。自然林と丘を背景に、池を配した全体の景観も見どころのひとつ

日本各地の寺院などを撮影した写真集「古寺巡礼」(63~75年)で仏像の美しさに触れさせてくれ、鉱山の街に暮らす子どもたちを撮った「筑豊のこどもたち」(60年)でリアリズムの中にある温かみを感じさせてくれた土門拳。私がずっと憧れてきた文化人です。そんな土門をテーマにした写真専門のミュージアムは、緑豊かな飯森山公園の中にあります。

ミュージアムが所蔵するのは、土門から寄贈された全作品、約7万点。ライフワークだった「古寺巡礼」をはじめ、「室生寺」「ヒロシマ」「筑豊のこどもたち」「文楽」「風貌」など、時代の瞬間を捉らえた作品が順次公開されています。

開放的な主要展示室。9月27日~12月22日の間、「生誕110年 土門拳 古寺巡礼名作セレクション」が開催されている

くしくも、今年は土門の生誕110年。私が訪ねたときは、彼の人物像と生涯をたどる、興味深い展示がされていました。アマチュア写真家でもなく、写真の知識がない私ですが、日本人の心をカメラで捉えた彼の作品は、見るたびに心を揺さぶられます。

エントランスホールに置かれた土門拳のカメラや写真機材は、訪ねた時に開催されていた企画展示(9月23日で終了)のひとつ

とはいえ、無知な私は、大御所の作品をどう観ればいいのか、やっぱり迷ってしまう……。そんな私に語りかけるような、土門の名言がありました。

「かのピカソがうまいことを言っております。人間は小鳥の声をきく時は、ただききほれるだけで、何をさえずっているのかなどと「理解」しようとはしていない。それなのに絵を見るときに限って、一生懸命、根掘り葉掘り、何が描いてあるのかと「理解」しようとする。絵は小鳥の声をきくように、ただ見ればよいのであると。写真もまったく同じであります」

中庭にある彫刻は、土門拳と親交があった彫刻家、イサム・ノグチの作品「土門さん」

彼の言葉に甘え、その世界に浸った後は、しばし建物の周りを散策。建物と自然が調和した景観も、心を和ませてくれました。

酒田だからこそ観られる芸術に親しんだ後は、日本海の旬のランチです。「こい」で、お寿司をいただくことにしました。ネタが新鮮なのはもちろんのこと、お寿司はどれも、ゆず塩やぽん酢、漬けなどで仕上げられています。

大将は「こい勢」の1代目。寿司職人ひとすじ50年!

塩だけで握ったノドグロのあぶり、歯ごたえのあるタチウオ、柚子胡椒とポン酢で仕上げたイシナギ、梅醤油がやさしいレンコダイの湯引き、甘くてトロリとした日本海のガサエビ(モサエビ)……。次々と握られるお寿司に、「次のネタはどんなアレンジなんだろう?」とワクワクさせられます。

レンコダイの湯引き(左)。柔らかな身に爽やかな梅醤油がよく合う。赤酢のシャ リでいただくイワシ(右)は、上品な風味

イワシと本マグロは赤酢のシャリで。「脂が強い魚は、赤酢で握ったシャリが味をひきたててくれるんですよ」と大将が言います。イワシは「こんなに上品な味の魚だったっけ?」と思うほどのおいしさでした。これからの季節、10月は冬の味覚がそろそろ始まり、ハタハタやズワイガニなどがおいしいのだそうです。

さて、新潟県村上市、山形県鶴岡市、酒田市を巡った旅もそろそろ終わりに近づきました。JR新潟駅に戻って東京行きの新幹線に乗る前に、酒田からさらに北に足を延ばして、遊佐町へ。地元の方が勧めてくれた「ギャラリー&ティールーム Sui(翠)」に入り、しばし旅の余韻に浸りました。

「ギャラリー&ティールーム Sui」。窓の外にもテーブルにも一面の緑が映る。この絶景のなかで、自然栽培の玄米で作られる「玄米コーヒー」と手作りケーキを堪能

JRで酒田から遊佐までは約12分。遊佐駅を降り、「この先にお店なんてあるの?」と思うほどの豊かな緑を抜けると、森と田んぼを背景に、ぽつんと建物が現れました。この環境を見て移住を決めたというオーナー夫妻が、目利きした食器を展示しながら、おいしいコーヒーとスイーツを味わわせてくれます。

今回は時間が足りませんでしたが、次回はここを再訪することを目的のひとつに、ゆっくりと羽越を旅したいと思います。なお、10月5日からは、新潟~酒田間でJR東日本の新しい観光列車「海里かいり」が運行。庄内と成田を結ぶジェットスターをはじめ、羽越の旅は、アクセスの選択肢も豊富です。

日本海きらきら羽越観光圏
本間美術館
土門拳記念館
ギャラリー&ティールーム 翠sui

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芹澤和美
芹澤和美(せりざわ・かずみ)
旅行ライター

 編集職を経て、1996年、中国・上海へ短期留学。帰国後、フリーランスの旅行ライターとして活動。主なフィールドは、98年から通い続けているマカオや、中国語圏、アジア、中米、南アフリカ。主に、旅行雑誌やカード会員誌、機内誌、新聞などで国内外の旅行記事や紀行文を掲載。著書に『マカオノスタルジック紀行』(双葉社)。

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