瀬戸内海に面した歴史ある街、広島県竹原市。ヒストリカルな雰囲気の旧市街がある一方で、離島へのショートトリップやクルーズも気軽に楽しめます。1泊2日の竹原旅行、2日目は瀬戸内海のクルーズに出発。船上からみごとな多島美を眺めながら、可愛らしいウサギたちが暮らす大久野島へと向かいました。のどかなこの島は、知られざる歴史も秘めています。
船を降りたとたん、ウサギたちによる熱烈歓迎が
瀬戸内海のなかでも、最も多島美に優れていると言われているのが、竹原の近海。クルーズ船に乗れば、個性豊かな島々や、広島県と愛媛県を結ぶ「瀬戸内しまなみ海道」を構成する橋を間近で眺めることができます。

手軽な定期観光船からプライベートクルーズまで手段がいくつかあるなか、私が選んだのは、プライベートのチャータークルーズ。貸し切りのクルーザーは費用が高いイメージがありますが、「せとうちクルーザー」は1時間から利用することができて意外とリーズナブル。なによりマイペースでのんびりと楽しむことができます。
竹原港を出発して、まずは大久野島へ。ここは、野生のウサギが多く生息する島として知られ、外国からの旅行者も多い場所です。船が島に近づくと、なにやら港に向かって飛び跳ねてくる小さな影がたくさん……。なんだろう?と思っていたら、まさに野生のウサギたちでした。

港で私たちを待ち構えていた彼らのお目当ては、エサ。この日は天候があまりよくなく、朝は定期観光船で訪れる来島者がほとんどいなかったため、おなかを相当空かせていたのでしょう。思ってもいない熱烈歓迎ぶりでした。これも、一度に大勢が上陸することのないプライベートクルーズならではの醍醐味です。「せとうちクルーザー」からいただいたエサは、あっという間に彼らのおなかに収まってしまいました。
この島に生息するウサギは、現在900匹以上。これほどまでにウサギが増えたきっかけは諸説がありますが、1971年頃に地元の小学校で飼われていた8匹が放たれ、それが繁殖したという説が有力なのだそう。ウサギは繁殖力が強いとはいえ、ここはかなり居心地がよかったようです。

こうしてウサギたちのパラダイスとなった大久野島ですが、一時、秘密の島として地図から消されていた時代もありました。なぜなら、ここには日本陸軍の毒ガス製造工場があったからです。素朴で穏やかなこの島に毒ガス製造工場が造られたのは、戦前の1932年頃のこと。多いときには1日5000人の従業員がこの島に上陸していたといいます。
戦争が終わり、工場は処理・解体され、再び地図に大久野島の名が復活しました。でも、戦争中に行われていた毒ガスの生産も、戦後の毒ガス処理も、いうまでもなく危険で過酷な仕事。これらに従事し、傷害を受けた人や亡くなった人は少なくありません。

それにも関わらず、その事実は慎重に秘匿され、1980年代までほとんど知られていませんでした。今は、実態を多くの人に知ってもらい、悲劇を繰り返さないようにと、島内にある「毒ガス資料館」に貴重な資料が展示されています。
瀬戸内海に浮かぶ小さな島の、光と影。歴史を知るとなおのこと、ウサギたちが無邪気にエサをねだる平和な光景が、いとおしく感じます。
海上で圧倒的な存在感を放つ、一島まるごと工場
大久野島のウサギとお別れした後は、ふたたび瀬戸内海をクルーズ。「瀬戸内しまなみ海道」の一部となっている橋を下から眺めるのは、クルーズだからこその楽しみです。
圧倒されたのは、契島。ここは一島がまるごと、「東邦亜鉛株式会社」の亜鉛精錬工場となっています。産業のある島というと、長崎県の端島(通称:軍艦島)が有名ですが、ここは軍艦島と違って今も現役。日本の亜鉛の多くがここで造られているのです。

工場は1899年に精錬所として操業を始めて以降、実に100年以上の時を刻んでいます。現役で稼働しているため、上陸して社会見学というわけにはいきませんが、クルーザーで近くまで行って、その景観を眺めることができます。この日は風もなく、空にまっすぐにのぼっていく煙突の煙が、凛とした美しさを放っていました。
すぐ近くには、大型船舶を造るドックもあります。船上から眺めたのは、その強く美しい光景。モノを生み出す場所はこんなにも美しいものなのかと、じんときてしまいました。

せとうちクルーザー
休暇村大久野島HPより「うさぎからのお願い」