都心に遺跡が?! 「神戸のマヤ遺跡」を探検

リフレッシュ! 極上旅

ロープウェーの窓から見える「摩耶観光ホテル」の廃虚。その背後には高層ビルが立ち並ぶ

 神戸の街中に「遺跡」があると聞いて訪れたのは、摩耶山まやさん。街の中心を見下ろす緑豊かな山の中には、点々と、はかなくも美しい廃墟はいきょが残されていました。洗練されたベイエリアや、背景に広がる高層ビル群と隣り合わせにある“歴史の痕跡”が、好奇心を刺激します。

山の中にひっそりと残る古刹の跡

 街の中心から車で30分ほどの摩耶山は、神戸の人たちにとってとても身近な自然です。標高702メートルの頂上にある六甲山最大の眺望スポットやハイキングコース、湖などが点在しています。

 そんな摩耶山にあるのが、遺跡群。火災で焼失した旧天上寺跡や、大正期に建てられた瀟洒しょうしゃなサロン跡、昭和初期の宿泊施設の跡などが、緑深い山の中に点々と残されているのです。通称は、「神戸のマヤ遺跡」。その名を聞いたとたん、数年前に中米ホンジュラス、グアテマラのマヤ遺跡を歩いたときの興奮が思い起こされ、私も摩耶山を目指すことにしました。

摩耶山天上寺の旧境内は史跡公園として整備されている。園内をガイドとともに歩くツアーは、ホームページで募集が始まると同時に完売になるほどの人気ぶり

 案内してくれたのは、「摩耶山再生の会」のうつみ憲一さん。歴史に埋もれていたこれらの「遺跡」を景勝地としてよみがえらせた立役者です。慈さんのユニークな案内で約15か所の遺跡を約2時間かけて巡る「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」は、参加者が引きも切らない人気となっています。

 神戸市を見下ろす掬星台きくせいだい展望台から歩き始めてまもなく、摩耶山天上寺の貯水池跡が見えてきました。摩耶山天上寺は、646(大化2)年、インドの伝説的な高僧、法道仙人が開創した寺院。お釈迦様の生母、摩耶夫人をまつる日本で唯一のお寺です。「摩耶山」という名の由来でもある摩耶夫人は、子育てや安産の守護仏なのだそう。由緒正しく、長い歴史を誇る古刹こさつですが、1976(昭和51)年、火災により広大な敷地に点在していた施設の数々がほぼ全焼し、現在は北へ約1キロのところにある摩耶別山に再建されています。

神戸市で生まれ育った慈さんは、「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」のほかにも、山頂をスタートして山を下る「大人の下山部」など、ユニークなプログラムを多数企画

 壮大な寺院が建っていた場所に残るのは、お寺の人たちが使っていた五右衛門風呂や、湧き水をんでいた水場、山の水を大事に使うための濾過ろか装置、畑の跡など、人々の信仰や暮らしを連想させる遺物の数々。はるか昔、こんな山奥に寺院を建てた人々のパワーにも圧倒されてしまいます。

 ほぼ全焼してしまった天上寺のなかで唯一残っているのが、仁王門。その門前には、300段もの石段からなる参道がありました。「最盛期には年間50万人もの参詣者が歩いた道です。でも、この参道も傾きかけているから、いずれ朽ちてしまうと思います。永遠にあるものではないからこそ、今、見ておかなくちゃね」と、慈さん。

大火事で唯一焼け残った仁王門。徐々に崩壊が進んでいる(左)。仁王門に続く300段の階段。最盛期には、年間50万人もの人がここを歩いたという
約200年前の水害で生き残ったことから、「奇跡の木」として知られている大杉。徐々に枯死しているものの、いまだに存在感あり

 コースの途中には、幹の周囲が約8メートルにもなる杉の大木が。まるで天をつかもうとしているかに見える大杉は、かつてあった祈りの場を見守るようにして、たたずんでいました。

昔の人のパワー感じる、昭和初期の建築物

 天上寺の遺跡を後にすると、ツアーコースはかつての表参道へと続きます。そこに残されていたのは、大正時代に建てられた「摩耶花壇」。木造3階建てのこの建物は、眼下に市街地を見下ろす大浴場やレストランを擁する豪華な施設だったといいます。ところが、1955年(昭和30年)に山の中腹と山頂を結ぶロープウェーが開業すると、ここを歩く人が激減してしまい、ほどなくして閉業。かつての瀟洒な建物は、風雨にさらされて徐々に朽ちていくなか、地下室のコンクリート部分だけが残っています。

かつての瀟洒な複合施設「摩耶花壇」の跡。解体された後、廃材を使って茶店風の売店も造られたが、それもやがて閉鎖された

 かつて、大勢の参詣者が行き交い、「摩耶銀座」とまで呼ばれたにぎわいを想像することが難しいほど、一帯は朽ちています。さらに歩を進めると、昭和初期の建築様式が色濃く残った「遺跡」がありました。29(昭和4)年に竣工された建物の廃墟です。

 建物は、保養施設の「摩耶温泉ホテル」としてオープンしました。第2次大戦中に客足が途絶えた後、61(昭和36)年に「摩耶観光ホテル」として再オープン。フランスの豪華客船の部材を使った内装のダンスフロアや映画室、屋上のビアガーデンなどが完備され、地元の人たちには大人気の施設だったそうです。

 ところが、67(昭和42)年に台風で被害を受け、再び休業。70年代に「摩耶学生センター」と名を変え低価格のホテルとして再利用されたものの、93(平成5)年に閉鎖され、95(平成7)年の阪神大震災以降は立ち入り禁止となっています。すると、「廃墟の聖地」として有名になり、不法侵入が続出。そこで神戸市は、周辺の安全を守るためにあえて公開し、「摩耶山・マヤ遺跡ガイドウォーク」のコースにしているのだといいます。

「マヤカン」の通称で呼ばれる「摩耶観光ホテル」の廃墟。これも神戸の一時代を今に伝える大事な遺跡

 慈さんも、子どもの頃はここに遊びに来ることを楽しみにしていたのだそう。当時をリアルに知るからこそ、単なる歴史案内に終わらない慈さんのガイドは楽しく、引き込まれてしまいます。「道路がない時代、ここに立派な建物を造ってしまおうという、昔の人たちのエネルギーがすごいです。それが、この遺跡の魅力かもしれません」と慈さん。ツアーを終えてロープウェーで山上に上る途中、窓からは、高層ビルをバックにりんとして立つ「摩耶観光ホテル」が見えました。

摩耶山ポータルサイト

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芹澤和美
芹澤和美(せりざわ・かずみ)
旅行ライター

 編集職を経て、1996年、中国・上海へ短期留学。帰国後、フリーランスの旅行ライターとして活動。主なフィールドは、98年から通い続けているマカオや、中国語圏、アジア、中米、南アフリカ。主に、旅行雑誌やカード会員誌、機内誌、新聞などで国内外の旅行記事や紀行文を掲載。著書に『マカオノスタルジック紀行』(双葉社)。

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