宇多田ヒカル 音楽と言葉とわたし

インタビュー

 日本のポピュラー音楽の歴史を変えたシンガー・ソングライターの宇多田ヒカルさん。彼女はいつも言葉とともにあった。15歳でデビューした時も、初アルバム「First Love」が国内最大のヒットとなって生活が一変してしまった時も、母を亡くした時も。デビュー20周年を迎える今年、新人の小袋成彬さんのプロデュースを初めて手がけた。6月に新作「初恋」を発表し、年末には約12年ぶりとなるツアーを行う。そんな宇多田さんに、紡いできた言葉について、20周年を迎える心境について、じっくり語ってもらった。(以下、敬称略)

20年続けるということ

 「よく20年もずっとやってきた。感慨深いです」

 何かを尋ねると、丁寧に言葉を選び、しかし率直に話す。宇多田は、黒い瞳が印象的な穏やかな女性だった。

 デビュー曲「Automatic」がいきなりヒット。「First Love」は767万枚を売り上げて、いまだに歴代最多売り上げアルバムであり続けている(オリコン調べ、4月23日付現在)。共感しやすくカラオケで歌いやすい「小室サウンド」が世を席巻した中、宇多田は鮮烈な歌詞を、心を揺らすビートに乗せて歌い上げた。確固とした「個」を持つ表現者がシーンの中心に躍り出たのだ。ただ、幸せなことばかりではなかった。

 「環境の変化や、それによって起きた様々なことがすごくつらくて。無理だと後悔したこともありました」

 それでも続けたのは「やらざるを得なかったんだろうな」と、遠い目をした。「スタッフ、父親、母親、音楽を聴いてくれる人。いろんな人が音楽を続けられる環境を作ってくれました」

 これまで書きためた日本語詞を、自ら3期に分けている。宇多田にとって音楽を作ることは「明るみに出ていないものを探しに行く作業」で、第1期はこれを無意識に行っていた時期。それを意識的に、より深く探しに行けるようになったのが第2期。活動休止を経て、さらに己をさらけ出し、日本語詞にこだわりを持つようになったのが第3期だ。

第1期 なんとなく

 母親は歌手の藤圭子、父親は音楽プロデューサーの宇多田照實。幼少の頃から親が作詞作曲したり、録音したりするのを当たり前のように見て育った。

 12歳で親の勧めで英語で作詞作曲を始め、14歳の頃、「日本語でやってみたら」と言われて、初めて書いたのが、「First Love」に収録した「Never Let Go」。「真実は最高の嘘で隠して 現実は極上の夢でごまかそう」という大人びた歌詞で、渋く退廃的な雰囲気も漂う。なぜこんな曲が書けたのか?

 「他者を通して世界を理解しようとしていた。その他者が、私にとっては親だった。親たちの恋愛を自分なりにかみ砕いて理解しようとしていました」

 とはいえ、当時はティーンエージャー。ある曲には照れくさい思い出も。「少し付き合っていた男の子の友達に『あの曲ってあいつのことだよな』と言われたことがある。違う、やめてほんと恥ずかしい!って感じた」と笑う。

第2期 意識して

 経験を重ねるにつれ、作詞作曲に加え、編曲やプロデュースも自ら手がけるようになる。「無意識にあるものをすくい上げる作業」を意識的にできるようになってきた。

 この頃、「traveling」や「SAKURAドロップス」などのヒット曲を出しているが、第2期を象徴する歌詞として挙げるのは、4作目「ULTRA BLUE」(2006年)に収録した「日曜の朝」だという。「お祝いだ、お葬式だ ゆっくり過ごす日曜の朝だ」と、家族や社会で求められる役割に左右されない本来の自分の姿を淡々と歌った。「すごく『私だなあ』って感じられて、好きですね」

「ULTRA BLUE」(2006)、「桜流し」(2012)

第3期 こだわり

 10年、ブログに「『人間活動』に専念しようと思います」とつづり、活動休止に入った。電話の契約をしたことも、飛行機や新幹線のチケットを買ったこともないまま20代後半になり、音楽だけを作り続ける状態をアンバランスだと感じるようになっていたのだ。

 そこで、ロンドンに移住し、不動産屋で部屋を探し、水道や電気を契約、ゴミを出す日を確認――。当たり前の営みを自ら行い、音楽業界以外の様々な人と触れ合った。日本語に触れる機会も小説や詩に限られた。

 「人間活動」を経て、作風は劇的に変化する。活動休止中だったが、アニメ映画のテーマソングとして「桜流し」を発表した。「開いたばかりの花が散るのを 見ていた木立の遣る瀬無きかな」という歌詞。「それまで絶対書かなかった、ちょっと古い感じの表現」を、情感豊かに歌い上げた。

 13年に人生の一大事に襲われた。母・藤圭子の死だ。「心に浮かぶのは、笑っている彼女――娘であることを誇りに思います」とブログに記した。

 その頃、サウンドは血肉を感じさせるタッチに変貌へんぼうを遂げていたが、「母の死という究極の現実。ドーンという一突きで、地に足が着いた」という。

 16年の「Fantôme」では母への思慕を歌に昇華させた。「花束を君に」は「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」と、死に化粧を想起させる痛切な言葉でつづった。

 約2年ぶりとなる新作の題名は「初恋」にした。「1作目から約20年。私の核にある、表現しようとする主題はずっと一貫していること。表現者としてこれだけ変わったこと。同時に見えてすごくスッキリするタイトルです」

作曲後に歌詞

 宇多田の歌詞には、いつも驚かされてきた。しかしながら、曲作りのプロセスで歌詞は最後。最初から何かを書こうと思って作詞することはない。

 「何か言葉じゃないものがあり、形にしようとする時、それが絵になる人もいるし、ダンスの人もいる。私は一度音楽を挟みます」

 ピアノやギターなどで作った曲を聴きながらイメージを膨らませる。「ここのメロディーは『あ』で終わりたい、ここは小さい『ッ』」。俳句や短歌のように、言葉になる前の細かい“制約”を増やしていくうちに「私が言いたかったのはそれか」と思い至る。

 「シンガー・ソングライターって、簡単に言うと歌人ですよね」

シングル「Automatic/time will tell」(1998)、「花束を君に」(2016)

 劇的な歌詞は、実話でも作り話でもないという。例えば「Automatic」の「七回目のベルで 受話器を取った君」、「花束を君に」の「今日は贈ろう 涙色の花束を君に」といった印象的な歌詞について。「7回目のベルで相手が受話器を取ったことはないし、母親に涙色の花束を贈ったこともない。ディテールを入れることで、そのまま説明する以上の情報量で表現できる。それが詩です」
(文 読売新聞・鶴田裕介、写真 守谷遼平)

☆読売新聞土曜朝刊で宇多田ヒカルさんのインタビューを掲載しています(九州・山口県地域 は木曜掲載)