花咲舞になれますか、池井戸潤が描く本音のヒロイン

イラスト・加藤木麻莉

 銀行で働く女性「花咲舞」を主人公にした池井戸潤さんの人気シリーズの新作「花咲舞が黙ってない」(中公文庫)が発刊されました。女優の杏さんがヒロインを演じたドラマとタイトルは同じですが、ドラマの後で池井戸潤さんが読売新聞に連載した連作短編集です。花咲舞は今回も捨て身で不正に立ち向かい、彼女のほかにも魅力的な女性たちが登場します。そんなヒロインを描いた思いを池井戸さんに聞きました。

リアルな働く人の気持ちにフォーカス

――東京第一銀行で働く花咲舞は「狂咲くるいざき」と上司に呼ばれるほど無鉄砲で、東京第一銀行の中で不正を見抜き、ズバッと指摘するヒロイン。どなたかモデルがいるのですか?

 特にいないですね。ただ、誠実さや賢さ、強さ、優しさといった、人としてこうありたいと自分が思う「人の条件」があって、理想論ではあるけれども、そういうものを反映させた人物造形は、いつも心がけています。

――率直にものを言う役柄は、女性の方が描きやすいのでしょうか。

 男性だから、女性だからというのは意識していないです。僕は、書き手は性差を超えられないと思っていて、花咲の女性らしい内面は書いてない。それよりも、仕事に対する悔しい思いや、やりとげた時の達成感など、男女も年齢も関係ない、働く人の気持ちの揺れにフォーカスして書いています。

 50歳過ぎのおっさんが20代女性の心の内を書くと地雷を踏みますから。男性が書いた小説で、女性が話す言葉の語尾が「ですわ」とか「ですの」というのを見ましたが、今どきそんな言葉遣いの働く女性はいないでしょう(笑)。リアリティーを感じないと読んでもらえないので、その点は気をつけています。

サイン会事件が登場人物の名前に

――舞の仕事は、支店に出かけて業務を指導する「臨店」ですが、今回の作品では幹部候補で、企画部特命担当調査役の昇仙峡玲子という女性も登場します。

 山梨の書店「朗月堂」で開いたサイン会の前に、地元の名称・昇仙峡を見に行ったんですが、開始時間を勘違いしていて、数分遅刻したんです。朗月堂の社長さんが、字は違うけれど、れいこさんという名前で、おわびの気持ちと遊び心で出しています。花咲は銀行という巨大組織の末端で生きていて、そこからの視点で組織の全てを見通すのは難しい。上の人たちの事情や思惑、葛藤を読者に知らせる一つの仕組みとして、彼女を登場させました。

文庫本にサインする池井戸さん(中央公論新社で)

――池井戸さんが描く銀行とは、日本の組織の象徴のような意味合いがあるのですか。

 銀行は「人事がすべて」とよく言われます。本音より大義名分が大事という官僚的な組織です。バブル崩壊後、そんな建前社会の銀行が不良債権処理を経て、のっぴきならない経済事情から、本音ではやりたくないだろう合併をせざるをえなくなった。銀行だけじゃなく、さまざまな企業でも、それまでの日本的経営のシンボルだった終身雇用や年功序列が崩れて、なりふりかまっていられない時代が到来しました。小説の舞台は、本音が建前を壊していって、新しい組織のあり方を模索する踊り場の時代です。

――ライバル行との合併が発表され、人事も体制も変わる中で、組織の闇が明らかになっていく。それに舞が立ち向かいます。

 実は彼女の戦いは悲壮なんですよ。本音を言ったら、つまはじきの目にあうと、読者も花咲もわかっている。実際に今回の作品で上司の相馬健は、出張所に飛ばされてしまいます。それなのに、花咲は、誰もが納得できる動機で、言わなければいけないことを言ったり、行動したりする。負けを承知で、利口に立ち回るんじゃない点が共感を呼んで応援したくなるのかなという気がしますね。

新聞小説に合う親しみやすいヒロイン

――上司の相馬さんは暴走する花咲を「待て」と止めながらも、上着を持って一緒に現場に走ってくれる。こんな上司が理想なのかなと思います。

 ドラマで演じた上川隆也さんがかっこよすぎたので、作中の相馬は多少ドラマに寄せて描きました。

――2004年に刊行された「不祥事」を原作として、2014、15年に日本テレビでドラマ「花咲舞が黙ってない」が放映されました。2016年に読売新聞で連載した時に、ドラマと同じタイトルにしたのはなぜですか?

 新聞小説を読み通してもらうには、親しみやすいヒロインの方が良かった。短編にしたのは、読めない日があって脱落しても、ちょっと待てば新しい話が始まるから。新聞に合う形を実験してみました。

――神保町のすし店や別府の旅館の料理など、大切な場面でおいしそうな食べ物がたくさん登場します。

 小説には季節感があった方がいいと思うんです。草木を書くのもいいけれど、この小説の場面は、職場、飲み屋、職場、飲み屋の繰り返しなので、彩りをだすなら料理しかない(笑)。

――今回は半沢直樹シリーズの最新刊「銀翼のイカロス」(文春文庫)と同時の文庫発売でした。

 いいものを作っているだけでは書店に足を運んでもらえない時代になっているのに、本の売り方は昔のまま進化していないんですよね。今までにない新しい努力が必要です。今回の同時発売は、各版元(中央公論新社と文藝春秋)からの提案でしたが、出版社が協力して新しいことをして話題を呼び、読者に届けばいい。単行本ではなく、まず文庫で出したのも、どうしたら手に取ってもらえるかを考えた結果です。表紙の装丁も、女性が手に取りやすいイラストにしてみました。

花咲舞、半沢直樹の同時発刊の記念新聞。花咲の悩みに半沢が答える「人生相談」も。一部書店で掲示されている

きっかけはピンチヒッター

――私の父は自営業者で、銀行員は冷たいと聞かされたことがあります。でも、池井戸さんの小説では、人や会社を生かすお金の使い方を考える銀行員が登場しますね。

 かつての小説は、銀行の非情さを書かないと受けなかった。「銀行=悪」という構図です。でも、自分が銀行に勤めていた時には、なんとか取引先の会社を助けようと一生懸命、稟議書りんぎしょを書いていました。その経験から、もっとポジティブな銀行員像が描けると思ったんです。

――花咲舞が誕生したのは、ほかの作家のピンチヒッターだったとか。

 締め切りまで2週間しかないというときに、某大作家が急病になって、誌面に穴があきそうになり、デビューしたてで暇だった僕に声がかかった。試行錯誤している時期だったので、今だったら絶対に書かない女性銀行員を主人公にしたんですが、それが花咲舞です。実は、半沢直樹を書いたのも同じ頃で、この2冊はどちらも10年以上たってドラマ化されたことになります。

――続編は?

 杏さんからは、ニューヨーク支店に行きたいと言われています(笑)。臨店指導班というのは支店さえあれば、全世界に出張可能なわけですから、ドラマにするには都合のいい設定ですが、いまのところ続編の予定はありません。

――次回作は?

 「下町ロケット」の続編を準備しています。テーマは読んでのお楽しみですが、この半年ほど、ストーリーの輪郭を考え、ようやくぼんやりと見えてきたところです。が、「わかった」はずなのに、「やっぱり違う!」ということの繰り返しなので、完成したら今のテーマとは違っているかもしれない(笑)。

――オフは何を?

 ゴルフに行ったり、バイクに乗ったり。でも、原稿が思うように進んでいないのに、中途半端に遊びに行くと、逆にストレスがたまるんですよ。机の上のストレスは机の上で解決するしかありません。

(聞き手:大森亜紀、写真:中島正晶)

池井戸潤(いけいど・じゅん)
作家

1963年、岐阜県生まれ。慶応義塾大卒。98年に「果つる底なき」で江戸川乱歩賞を受賞、作家デビュー。2010年「鉄の骨」で吉川英治文学新人賞、11年「下町ロケット」で直木賞を受賞。半沢直樹シリーズや花咲舞シリーズのほか、「空飛ぶタイヤ」「ルーズヴェルト・ゲーム」「七つの会議」「株価暴落」「民王」「アキラとあきら」などドラマ・映画化された作品多数。