「ありがとう、トニ・エルドマン」 父と娘の心に刺さる物語

シネマレビュー

「ありがとう、トニ・エルドマン」(C)Komplizen Film

  辛辣しんらつなのに温かい、おかしいけれど心に刺さる、ドイツの気鋭女性監督、マーレン・アデによる型にはまらぬ快作。今の、ドイツの、父と娘の物語である。

 娘イネス(ザンドラ・ヒュラー=写真右)はコンサルタント会社勤務の仕事人間。たまに実家に戻っても携帯電話を手放さず、ひっきりなしに業務連絡。今はルーマニアのブカレストで石油会社の合理化計画を立案中で、上海への栄転を狙っているらしい。

 当世のエスタブリッシュメントめざしてまっしぐら。グローバル資本主義の「本流」に乗ろうとする娘と対照的なのが、父のヴィンフリート(ペーター・ジモニシェック=同左)。ベビーブーム世代ということもあるのだろう、彼は体制や常識にどうしても従順でいられない。久々に会った娘に思うところがあったのも明らか。そこは父親、面と向かってはっきり言えないのだが、心の支えだった老犬の死を契機に行動を起こす。

 いきなりブカレストで仕事中のイネスの前に登場。週末を共に過ごして帰ったと思いきや、再び思いがけない形で現れる。出っ歯に見せる付け歯、もっさりした黒髪のかつらで変装した父は名乗る。自分はトニ・エルドマンだと。

 以来、気づけばトニはそこにいる。イネスがおよそ現れてほしくないと思うであろうタイミングで姿を現し、おかしな言動で彼女を困らせる。でも、彼女は何を守ろうとしているのだろう。トニはイネスの世界をかき回し、彼女がすっかり順応していたシステムのひずみを浮かび上がらせていく。自己実現をめざしてきたはずの彼女が自分の人生の手綱を失っていたことも。

 「お前は人間か」。いつか父がぼそりと口にした一言がじわじわと利いてくる。

 映画はたんたんと前に向かって進み、父と娘の来歴や心情がべたべたと語られることはないが、ふとした言動、例えば、座り込んでじっと考え込む父親の姿に、思い合っていてもストレートに向き合えない関係性がにじむ。

 そして、イネスの生身の心情がむき出しになる時がくる。見ていてあぜん、でも愉快、その上ぐっとくる。アデ監督の終盤の大胆不敵な腕力には驚嘆させられるが、そこに至るまでには繊細な描写がきっちり重ねられている。上映時間2時間42分、蛇足はない。役者もうまい。仏頂面の娘と、彼女を案じるやんちゃおやじは、日本の観客をも魅了するはずだ。シネスイッチ銀座など。(恩田泰子)